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蒼竜と少年  作者: しまねこ


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蒼の森の朝

 その夜、休む前にシルフを通じて王都のマイリーを呼び出したヴィゴは、簡単に今日見た事を報告していた。

「我らが思っていた以上に良い暮らしをしておりますな。しかしそれは、彼ら自身がとてもよく働いている事と、精霊達の助けがあっての事です。それから明日の予定ですが、午前中は家畜達の世話と畑仕事があるそうです。午後からラピスの棲む泉を見せてくれるそうですので、そこへ行った後、レイルズのお母上の墓と、タキス殿が作られたエイベル様のお墓に参ってきます。時間によっては、そちらに戻るのが深夜になるので、もう一泊お世話になるかと話しておりました」

 机の上のシルフは、小さく首を振って、マイリーの言葉を順に伝えた。

『もう一日泊まっても良いと言っていたが無理のようだ』

『すまぬが墓参りが済んだら至急戻ってくれ』

 てっきり、構わないからもう一泊してこいと言われると思っていたヴィゴは、その言葉に驚いて座り直した。

「どうした、何かあったのか?」


『エピの街に派遣している黒梟(くろふくろう)から妙な報告が届いた』

 黒梟とは、一般人に紛れて偵察や調査を行う専門部隊を呼ぶ時の隠語だ。タガルノには城の内部や軍部にも、多数の黒梟が入り込んでいる。

『ここの関所を超えてタガルノに入る人の顔ぶれに変化があるそうだ』

『この数日確認出来ただけでアルカディアの民が十二名タガルノ入りしている』

『短期間にしてはどう考えても異常な人数だ』

『未確認だが森狼の群れの越境騒ぎも起きているそうだから』

『実際の人数はおそらくもっと多いだろう』

『タガルノ側の黒梟からも同じ報告が来ている』

『しかしその後の彼らの足取りが全く分からんそうだ』

 それを聞いたヴィゴは、思わず唸り声をあげた。


 国境での戦いで竜の背に乗ったルークを矢で射たのは、間違いなくアルカディアの民だ。

 彼らが、竜騎士に対してあれ程の攻撃力を有している事にタガルノ軍が気付いたのだとしたら、そして傭兵としての高給を餌に彼らをかき集めているのだとしたら……タガルノが、次の戦いの準備をしている可能性が非常に高くなる。


「分かりました。深夜であろうと戻る事にします」

『すまんな何事も無ければ良いのだがどうにも妙な動きだ』

「城の黒梟からは? 動きがあれば、そちらの方が報告は早そうだが?」

 当然、タガルノの中枢部に近い場所にも黒梟は紛れ込んでいる。しかし、前回の戦いの時、事前の特におかしな報告は無く、あの戦いはまさしく唐突だったのだ。

 城や軍部に紛れ込ませた者から、特に変化無しとの報告があったばかりだったというのに。

 その為、タガルノに潜入している多くの黒梟が、既に殺されている可能性も考えられていた。

『少なくともおかしな報告は無い』

『ヨルクは別の部隊の派遣を既に密かに始めている』

 ヨルクとは、諜報部隊を管轄する部隊長だ。前回のタガルノとの戦いの後、戦いの予兆を察知出来なかった不甲斐ない黒梟達に激怒した彼が、自分でタガルノへ行こうとするのを、部下達が必死で留めて大騒ぎになっていたのは、未だに軍の皆の間で密かに話題になる程だった。

『まあそんなところだ』

『大丈夫だとは思うが休暇は終わりだ』

『そちらでの用が済めば早急に戻ってくれ以上だ』

「了解した。何かあればいつでもシルフを飛ばしてくれ。以上」

『おやすみ』

 そう言って、シルフはくるりと回っていなくなった。

「これからは、竜騎士隊の出動時の装備を考えるべきだな、戻ったらロッカに相談するか……まあ、おそらくマイリーが、もうやってくれておるだろうがな」

 大きなため息を一つ吐いて、ヴィゴは着替えるために立ち上がった。



 翌朝、いつものようにシルフ達に起こされたレイは、目を開けた時に見えるいつもの丸い天井に、嬉しさのあまり飛び起きて歓声を上げた。

『おはよう』

『おはよう』

『ご機嫌』

『ご機嫌』

 そんなレイを見て、嬉しそうなシルフ達がレイの髪を引っ張ってはしゃいでいた。

 起きて着替えていると、ノックの音がしてタキスが顔を出した。

「おや、おはようございます。自分で起きるとは感心ですね」

「おはようタキス。目が覚めていつもの丸い天井を見て嬉しくなっちゃった」

 照れたように笑う寝癖のついたレイを見て、タキスも堪らない気持ちになった。

「おかえりなさい。ようやく日常が戻って来ましたね」

 隣に座ってそっと抱きしめてやり、額にキスしてから立ち上がった。

「まず顔を洗って来てくださいね。それからここ、寝癖がついてますよ」

 跳ねた髪を引っ張ってやると、照れたように笑って髪を押さえて洗面所へ走って行った。

『寝癖寝癖』

『可愛い可愛い』

 嬉しそうなシルフ達を見て、タキスは少しだけ涙が出そうになった。


 ようやく戻って来た。


 かけがえのないこの貴重な時間を大切にしようと、起き抜けの乱れたベッドを見て枕を戻してやりながら、タキスは心の底からそう思った。


『おはようおはよう』

『起きて起きて』

『もうみんな起きたよ』

 髪を引っ張るシルフ達に起こされたルークは、大きな欠伸をしてベッドから起き上がった。

 用意されたこの部屋のベッドは、とても寝心地が良くて快適だった。洗面所へ行って顔を洗ったところでノックの音がした。

「おはようございます、ルーク様起きていらっしゃいますか?」

 タキスの声に、ルークは慌てて返事して洗面所から出て扉を開けた。

「おはようございます。今起きたところですよ」

「ちょうど良かった。着替える前に湿布を交換しましょう」

 湯の入った桶を足元に置いて、タキスは椅子を持って来てベッドの横に座った。

「痛みはどうですか?」

 包帯を解きながら、タキスが尋ねると、ルークは笑って首を振った。

「大丈夫ですよ。念の為、痛み止めももらって来てるんですけど、飲まなくてすみそうですよ」

「それは良かった。無理はしないでくださいね」

 処置が終わった後、肩周りの少し硬くなった部分を揉みほぐしていると、ノックの音がしていつもの遠征用の制服に着替えたヴィゴが入って来た。

「おはようございます……え、もう部屋着じゃ無くて? 何かありましたか?」

 顔を上げたルークは、ヴィゴが朝からいつもの部屋着では無く遠征用の制服を着ている事に驚いて立ち上がった。

「おはよう。すまんがお前も念の為こっちを着ておいてくれ」

「おはようございます。王都で何かありましたか?」

 タキスも、汚れた包帯を丸めてカゴに放り込みながら驚いて立ち上がった。

「まあ、大丈夫だとは思うが念の為な。タキス殿、今日の予定はそのままで構いませんが、やはり我らは今日帰らせていただきます」

「……そうですか。分かりました。もし何かありましたら、私達の事はお構いなくお仕事なさってください」

 それだけ言ったタキスは、一礼して桶と籠を持って部屋を出て行った。

「何があったんですか?」

 着替えを出しながら、ルークが真顔で尋ねる。簡単に、昨夜マイリーと話した事を教えてやる。

「うわあ、俺もしかして……良くない前例、作っちゃいました?」

 左腕を見て、情けなさそうに言うルークのシャツのボタンを留めてやりながら、ヴィゴは首を振った。

「事情が分からんから断言は出来んが、あの矢を射たアルカディアの男が、タガルノに何か言った可能性はあるな」

「アルカディアの民には、こんな事だってできるんだぞ! って?」

「まあそんなところだろう。そうなるとこれからは、出撃の際の竜騎士達の装備を考えるべきだな。今までのような軽装では無く。それなりに防御力のある武装を、俺達にも、竜にもするべきだと思う」

「ああ、それは俺も思ってました。大きさからいけば、竜騎士を狙うより竜の身体を狙ったほうが、ずっと的はでかいですからね」

「帰ったら真っ先にロッカとモルトナに相談するべきだな。竜の装備も考えるとなると、それなりの時間が掛かる」

「マイリーはもう、絶対二人に相談してそう」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 剣帯の位置を整えてやり、準備が整ったところで居間へ向かった。


「おはようございます」

 二人が居間に入ると、レイの元気な声が聞こえた。

「おはよう。今日も元気だな」

 焼きたてのパンの入った籠を持ったレイは、振り返って笑った。

「この家に竜騎士様がいるって、この目で見ても夢みたいだ」

「まだ寝てるのか?この坊やは」

 笑ったルークが、レイの顔を捕まえて両手で頬っぺたを引っ張った。

「いひゃいれふ」

 パンの入った籠を持ったまま全く抵抗しないレイに、ルークがもう一度吹き出した。

「夢じゃないだろ?」

 そう言って昨日と同じ席に座った。隣にヴィゴが座る。

「あ、そんな風に座ったら剣が当たらないのか」

 二人が剣をつけたまま椅子に座るのを見ていたレイが、感心したように呟いた。

「何、お前椅子に座れなかったのか?」

 ルークに言われて、お皿を配りながらレイは、後見人との初めての面会の時、剣が邪魔で椅子に座りたくなかった事を話した。

「まあ、普通は外すんだけどね。面倒だからこのままな」

 二人は、剣のある左側に少し寄るようにして椅子に座っている、そうすれば長い剣も邪魔にならないのだ。


「ヴィゴ。えっと、後でちょっとだけ、その剣……見せてもらってもいいですか?」

 遠慮しながら言ったレイの言葉に、ヴィゴは驚いて振り返った。

「構わんぞ。改まってどうした?」

「あのね、ロベリオとユージン、それからマイリー副隊長の剣は見せてもらったの。あ、ルークの剣もね。それで皆言ってたのが、ヴィゴの剣が一番大きくて重いんだって。だから……」

 完全に単なる好奇心だったのだが、確かにヴィゴが腰に下げている剣は、改めて見てみるとルークの剣よりも一回り以上大きいのだ。

「なら、ちょっとこっちへ来てみなさい」

 手招きするヴィゴに、呼ばれたレイは嬉しそうに側に来た。立ち上がったヴィゴが、腰の剣を外してレイの目の前で抜いて見せてくれた。

「これはまだ、お前には重すぎるだろう。危ないから持つんじゃないぞ」

 突然現れた、目の前のミスリルの見事な輝きに、隣に座っていたギードは声も無く見惚れていた。タキスとニコスも、手を止めてその光景を見つめていた。

「綺麗だね……確かに全然大きさが違うね。えっと、マイリー副隊長の剣は、もっと細かったよ」

「ああ、あいつの剣はレイピアに近いからな。俺の剣は、大剣と呼ばれる片手で持てる一番大きな剣だ」

「いや……それ程の大剣ならば、普通の剣士には片手では持てますまい」

 思わず無意識に口に出してしまい、慌てたギードは俯いた。

「し、失礼いたしました」

「ヴィゴ、ギードにも見せてやって下さいよ。ロベリオから聞きましたが、ギードはミスリルを打てるそうですよ」

 ルークの言葉に、ヴィゴは驚いてギードを見た。

「はい、もちろん扱えますぞ。これでも火の精霊魔法は上位まで使えますので」

 自慢気に笑うギードに、ヴィゴは大きく頷いた。

「良ければ持ってみられるか? 貴方ならば信用致しますぞ」

 鞘に収めた剣をギードに差し出すヴィゴを見て、ルークは声も無く驚いた。言われたギードは一瞬躊躇ったが、慌てて立ち上がるとレイの隣に立った。

「拝見致します」

 丁寧に一礼して、両手で差し出された剣を持った。

「おお、この重み……素晴らしい」

 顔を上げてヴィゴを見ると、彼は真剣な顔で頷いた。

 頷き返したギードは、真剣な顔で右手で剣の柄を握るとゆっくりと引き抜いた。

 金属の擦れる音がして、再びミスリルの輝きが現れた。

「これは素晴らしい、バランスも完璧だ……これほどの剣、いつかは打ってみたいものだ」

 惚れ惚れと剣を見つめていたギードは、剣に書かれた文字を見て無言になった。

「成る程……意味深い言葉だ」

 小さく呟くと、左手に持った鞘に静かに剣を戻した。

「ありがとうございました。冥土の土産に良き剣を見せて頂きました」

 満面の笑みになったギードから、剣を受け取ったヴィゴは、小さく笑って剣を腰に戻した。


「さあ、いただきましょう。せっかくのスープが冷めてしまう」

 ヴィゴの声に慌てて席に戻った一同は、精霊王へのお祈りをしてから食べ始めた。

 今朝の食事は、大きく切った薫製肉と芋のサラダ、刻んだ野菜がたっぷり入ったスープと黒頭鶏の目玉焼きだ。パンは、いつもの白パンと全粒粉と言われる麦の皮などが入った色の黒いパンの二種類だった。

「あ、懐かしい。黒パンだ」

 それを見たルークが、それを持って声を上げた。

「黒パン?」

 ヴィゴだけが、どうやら知らなかったらしく、頷いたニコスが説明した。

「貴族の方に失礼かと思ったんですが、恐らくお食べになった事が無かろうかと思いまして、ご用意しました。せっかく城とは違う場所にいるのですから、これもまた経験でございます。黒パンは下々の者が食べる、小麦の皮や胚芽などを全て一緒に粉にしたものです。栄養は豊富なのですが、独特の酸味があります。ですが肉と相性が良いので、一緒に食べるのがお勧めです」

「成る程、もちろんいただきましょう」

 そう言ったヴィゴは、黒パンを千切ってまずはそのまま口に入れた。

「ふむ、確かに酸味がありますな。それに、荒い粉の感触があるが……ええ、美味しいですぞ。これは確かに肉と合いそうだ」

 笑ったヴィゴが、遠慮なく食べるのを見て、それぞれ食べ始めた。

「すごい、ニコスが作ると黒パンもこんなに美味しくなるんだ……」

 普通の黒パンを知っているルークは、苦笑いしていた。

「ヴィゴ、言っておきますが、これは黒パンだけど違いますよ。普通はもっと、なんて言うか……」

「硬くて酸っぱくて食えたものではありませぬなぁ」

 ルークの言葉をギードが引き継ぎ、同時に吹き出した。

「確かにその通り! 美味しい黒パンなんてものが存在したんだって、俺は今ものすごく感動してますよ」

 それを聞いて、全員吹き出した。

「成長期のレイの体には、栄養豊富な黒パンが欠かせません」

「成る程。そういう意味もあるのですね」

 感心したヴィゴが、美味しそうに黒パンを食べるのを、ニコスは嬉しそうに見つめていた。


 机の上に置かれた、スープの入った鍋の蓋の上で、火蜥蜴が大きな欠伸をするのをレイは食べながら笑って見ていた。

 いつもの食卓が、嬉しくて仕方がなかった。

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