それぞれの夜
「それじゃあ、おやすみなさい」
「すっかり夜更かししちゃいました。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。明日は午前中は事務仕事だからな。また整理をお願いする書類が山ほど溜まっているからよろしく」
レイとティミーの挨拶に、おやすみの声が重なる。
そして、ルークから明日の予定を聞かされたレイが呆れたようにルークとマイリーを見て、また全員揃って大笑いになったのだった。
深夜を過ぎる頃まで話し込んでいた一同だったが、いつもならもう熟睡している時間になったレイとティミーが堪えきれないような欠伸をしたところで、一旦その場は解散となった。
「じゃあ、場所を変えてもう少し飲むか。それともここでお前らも一緒に飲むか?」
レイとティミーが執事と一緒に部屋を出て行ったのを見送ったルークが、先ほど自分が持ってきたコージー工房の二十年もののウイスキーの瓶を軽く揺らしながらロベリオ達を振り返る。
「ぜひご一緒させてください!」
三人同時に目を輝かせてそう言い、レイ達を見送るために立ち上がっていた三人が慌ててソファーに座る。
それぞれのグラスに新しい氷が落とされ、ゆっくりとウイスキーが注がれる。
「あんな体格だけど、あれを見るとレイルズは、まだまだお子ちゃまって感じだなあ」
「確かに。この時間で眠くなるのもそうだけど、コージー工房の二十年もののウイスキーを一杯飲んだだけで下がるなんて、俺なら絶対に有り得ないぞ」
「僕も絶対やらないなあ。だけどあの様子だと、レイルズはこのウイスキーの価値を理解していなかったみたいだね。知らなかったのかな?」
手にしたグラスを軽く回しながら笑ったロベリオの言葉に、ユージンとタドラがこれまた面白そうに手にしたグラスを見てそう言って笑う。
「まあ、最近はあまり話題にも上らなくなったから、知らなくても仕方なかろう」
ウイスキーを一口飲んだヴィゴの言葉に、マイリーも頷いている。
「はあ、自分で持ってきて言うのも何だけど、やっぱり美味いなあ」
ため息を吐いたルークの言葉に、マイリーも苦笑いしつつ頷く。
「この二十年ものは、コージー工房の今は亡き初代の親方が最後に手がけたとされるウイスキーだ。美味いのは当然だろうさ」
その言葉に全員が頷き、しばし無言でそれぞれウイスキーを味わっていた。
「それにしても、コージー工房絶頂期に作られたとされる、今ではほぼ伝説となった通し番号付きのウイスキーか。本当に本物なんだろうな。あれは偽物も多いと聞くぞ」
ウイスキーを味わっていたマイリーが、棚の上に飾られた小ぶりな瓶を見上げて苦笑いしながらルークを見る。
「一応、購入する際にはシルフ達とウィンディーネ達に確認してもらいましたよ。彼女達によると、あれはグラスミア地方で作られた一度も開封された事の無いウイスキーで、中のウイスキーは間違いなく五十年前に詰められたものがそのまま入っているってね」
肩をすくめたルークの言葉に、全員の口からほぼ同時に感心したような声がもれる。
「だけどまあ、五十年前に作られた偽物の可能性は否定出来ませんけれどね」
しかし、その後に続いたルークの言葉に、また全員揃って吹き出す事になったのだった。
「まあ、そこまで念入りに仕込まれていたら、今の俺達では防ぎようがないな。では、彼女達の言葉を信じて、本物だと思って有り難く乾杯させてもらおう」
肩をすくめたマイリーの言葉に、呼びもしないのに集まってきていたシルフ達が一斉に笑う。
『本物なんだって』
『本物ってなあに?』
『なになに?』
『何だろうね?』
『何だろうね?』
笑いさざめくシルフ達を呆れたように見上げたマイリー達は、顔を見合わせてウイスキーを口にした。
「まあ、何であれ美味しければそれでいいさ」
手にしていたグラスの縁に、不意に現れて座ったウィンディーネに笑ってキスを贈ったマイリーは、残りのウイスキーをゆっくりと飲み干して新しくグラスに注いだ。
「ところで、今夜はまだ一度も対戦していないんだが、誰かお相手願えるか?」
最近、飲んでいるマイリーと陣取り盤で相手をするのはカウリばかりだったので、その言葉に全員が黙る。
無言で顔の前で手を振ったりばつ印を作る若竜三人組を横目に見て、ルークとヴィゴが顔を見合わせる。
「ちょっと酔いが回っている気がするんだけど、まあそれくらいの方が上手くいくかもな。お手柔らかに願いますよ」
しばしの無言の譲り合いの後、笑って諦めのため息を吐いたルークがマイリーの前に座り、隣にヴィゴが座る。
盤を挟んだ左右にロベリオ達が分かれて座り、ウイスキーを片手の、ルーク対マイリーの勝負が始まったのだった。
「おかえりなさいませ。今日は一日会議の聴講でしたからお疲れでしょう。湯の用意が出来ておりますので、どうぞお使いください」
部屋で出迎えてくれたラスティの言葉に笑顔で頷いたレイは、剣を外していつもの場所に置き、剣帯を外してラスティに渡す。上着も脱いで一緒に渡したレイは、用意してくれていた部屋着を手にしてラスティを振り返った。
「えっと、さっきカウリから連絡が来たんだけど……知ってる?」
「はい、先ほどお聞きしました。姫君だそうですね」
「うん、本当に丸一日がかりだったんだって。チェルシー、大丈夫かなあ」
心配そうなレイの言葉に、ラスティも困ったように頷く。
「まあ、知らせを聞く限り特に大きな問題は無かったようですから、大丈夫だと思われますよ。何であれ、今はゆっくりお休みいただく事ですね」
その言葉に、レイは真剣な様子で考え込む。
「えっと、ヴィゴが言っていたけど、生まれたばかりの赤ちゃんって、数刻おきに母乳を飲ませてあげないといけないんだって。お母さんって大変なんだね。そんなの、全然ゆっくり眠れないよね」
「まあ、その辺りは私も独身ですから詳しくは存じませんが、確かにそう聞きます。無理をして育ててくれた母に感謝ですね。貴族の場合は乳母をつける事も多いと聞きますが、カウリ様はどうなさるのでしょう?」
「それはヴィゴも言っていたね。チェルシーの年齢を考えると、場合によってはそういった方をお願いする事もあるだろうって。えっと、もしもそうなら白の塔から手配してくれるだろうってさ」
「成る程。色々と勉強になりますね」
笑ったラスティの言葉に唐突に真っ赤になったレイは、小さな悲鳴をあげて着替えを抱えたまま逃げるようにして湯殿へ駆け込んで行った。
「おやおや、あそこまで正直に反応されると、つい揶揄いたくなりますねえ」
小さく笑ったラスティも、抱えたままだったレイの上着をハンガーに掛け、剣帯は壁面にある専用の金具に引っ掛けておく。
一通り問題がない事を確認してから上着にブラシをかけて片付けると、手早くカナエ草のお茶の用意を始めたのだった。




