カウリとチェルシー
「精霊王よ、女神オフィーリアよ。どうぞチェルシーとお腹の子をお守りください」
帰ってきてからどれほどの時間が経ったのか全く分からず、もう何度目かすら分からないほどに唱え続けたその言葉をまた繰り返しながら、カウリは指先が白くなるほどに握りしめた震える手を額に当てる。
「精霊王よ、女神オフィーリアよ……どうぞチェルシーとお腹の子をお守りください……」
「うああああ〜〜! ひぎぃ!!」
その時、今までで一番甲高く苦しそうなチェルシーの悲鳴が廊下にまで聞こえてきて、用意された簡易の椅子に座ったまま目を閉じて必死になって祈っていたカウリは、文字通り飛び上がった。
「チェルシー!」
思わずそう叫んで立ち上がり、閉じたままの扉にしがみつく。
扉の取っ手を掴んだまま、開けて部屋の中に飛び込みたい気持ちを必死になって堪えていたその時、中から聞こえてきた声にカウリは目を見開いた。
「おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ!」
「う、産まれた〜〜〜〜!」
あわあわと叫んで、扉を開きかけては慌てて手を離すのを繰り返した。
「産まれました!」
その時唐突にその扉が開いて、扉のすぐ前に立っていたカウリは豪快に弾き飛ばされて後ろに倒れ込んだ。
しかしそこはさすがに現役の軍人、即座に受け身を取って床を一回転して立ち上がる。
「あ、失礼いたしました!」
「チェルシーは無事か? 赤ちゃんは!」
部屋から飛び出してきた看護婦の謝罪する声とカウリの叫びが重なる。
「はい! おめでとうございます。可愛らしい姫様でございます!」
目を輝かせたまだ若い看護婦のその言葉に声を上げて部屋に駆け込みそうになったカウリだったが、両手を広げて目の前に立ちはだかったその看護婦によって阻まれる。
「旦那様! まだお部屋にお入りになってはいけません。ただいま、あとの処置を致しておりますのでもう少々お待ちくださいませ!」
「あ、あとの処置……?」
意味が分からず、小柄なその看護婦越しに部屋の中を覗いたカウリは、ベッドの横に置かれた複数のワゴンに無造作に積み上げられた真っ赤な血に染まった布を見て絶句する。
「入っていただけるようになれば一番にお呼びいたしますので、どうぞもう少々お待ちください!」
衝撃の光景に呆然としているカウリをグイグイと廊下へ押し出した看護婦は、一礼してそのまま扉を閉めてしまった。
閉じてしまった扉の前で目を見開いて立ち尽くしたまま呆然としていたカウリは、そのままヘナヘナとその場に膝から崩れ落ちるようにして廊下の床に座り込んでしまった。
「旦那様、どうぞこちらへお座りください」
駆け寄ってきた執事二人がかりで助け起こされたカウリは、先ほどまで座っていた椅子にもう一度座らされた。
「おめでとうございます。旦那様」
執事達の祝福の言葉に、声もなく頷く事しか出来ないカウリだった。
「大変お待たせいたしました。どうぞお入りください」
椅子に座ったまま放心状態だったカウリは、今度はゆっくりと開いた扉から出てきた先ほどの看護婦の言葉に弾かれたように立ち上がった。
「チェ、チェルシーは無事なんだろうな?」
あの真っ赤に染まった布の山を見て、どれだけの出血量だったのかを考えて本気でチェルシーの容体が心配になっていたのだが、看護師はにっこりと笑って頷いた。
「はい、もう落ち着かれました。今にも眠ってしまわれそうですので、どうぞ一言でも旦那様からお祝いの言葉を!」
下がってくれた看護婦の言葉に、今度こそ開いたままの部屋へ駆け込んでいった。
「チェルシー!」
部屋の中央に置かれたベッドに、そう叫びながら飛びつくようにして駆け寄る。
「カウリ……」
カウリの目に飛び込んできたのは、まさに命懸けの大仕事を終えて疲労困憊な、それでも笑顔で自分を見つめているチェルシーと、真っ白なおくるみに包まれてチェルシーの顔のすぐ横に寝かされている赤ちゃんの姿だった。
「あ、ええと……」
言葉が出てこないカウリを見て、チェルシーが笑う。
「ご、ご苦労様でした」
なんとか出てきた棒読みのカウリの言葉に、チェルシーが小さく吹き出す。
「本当に死ぬかと思いました。でも、なんとか無事に産まれてきてくれました。よかった……」
「おお、そうだな。本当によかった。チェルシー、ゆっくり休んでくれ。愛してるよ」
最後は小さな声でそう言いながら、かがみ込んでチェルシーの唇にそっとキスを贈る。
「ええ、愛してるわ。私の大切な竜騎士様」
笑ったチェルシーの言葉の後、もう一度今度はゆっくりとキスを交わす。
それから笑顔で頷き合って横でモゾモゾと動いている赤ちゃんを見た。
「なんて言うか……生まれたての赤ん坊って……」
遠慮がちなカウリの言葉に、チェルシーだけでなく周りにいた看護婦達も小さく吹き出す。
「真っ赤でしわくちゃですけれど、生まれたての赤ちゃんは皆こんな感じですよ。大丈夫ですよ。すぐにふくよかなお姿になります。素晴らしい美人さんです」
年配の看護婦の言葉に、安堵のため息をこぼしたカウリだった。
『おめでとうカウリ』
『赤ちゃんと奥方に心からの祝福を贈るわ』
赤ちゃんの顔のすぐ横に現れた愛しい竜の使いのシルフが、これ以上ないくらいの嬉しそうな声でそう言って赤ちゃんの柔らかな頬にキスを贈るのを見て、笑顔で頷くカウリだった。




