産みの痛みと苦しみ
「も、もう産まれたか!」
文字通りすっ飛んで帰ってきたカウリの叫びが部屋の中まで聞こえて、必死になって踏ん張っている真っ最中だったチェルシーは堪える間も無く吹き出した。
「カウリ、笑わせないで……」
白の塔から駆けつけてきて処置に当たっていた女性の薬師と二人の看護婦達も、カウリの叫びとチェルシーの呟きを聞いて堪える間も無く吹き出して誤魔化すように咳き込んでいた。
「はい、旦那様もお戻りになられたようですし、もうひと頑張りですよ」
「は、はい!」
苦笑いしたエレーナ先生の言葉になんとか返事をしたチェルシーは、天蓋付きベットの頭上の梁に結ばれた太い縄状に結われたシーツに必死になってしがみついて、教えられた通りにまた息をし始めた。
先ほどから断続的な強い痛みが襲ってきては不意に引くのを繰り返している。
先生によると、この間隔がどんどん短くなってくるといよいよ産まれるらしい。だが、これくらいならばまだまだ時間がかかるからしっかり頑張ってくださいと言われて、本気で気が遠くなったチェルシーだった。
この部屋に来てどれくらいの時間が経ったのか、チェルシーには全く分からない。時間の感覚が無いのだ。
とにかく教えられた通りのリズムを取って口で呼吸をしながら、ただただ断続的に襲ってくる痛みに耐えて踏ん張る事しか出来ない。
目の前に垂れ下がる柔らかなシーツの束にしがみつきながら、早く終わってとひたすら願い続けているチェルシーだった。
「チェ、チェルシー、頑張れ!」
その時、聞き慣れた声がすぐ近くで聞こえて驚きのあまり閉じていた目を見開く。
「カ、カウリ……」
驚いた事に、ベッドのすぐ横に竜騎士の第一級礼装に身を包んだカウリが立っていたのだ。
通常、産室には男性は決して入ってこない。ここは女性のための場所だからだ。
だが、彼は入ってきてくれた。
額には、寒いこの時期にも関わらず自分と同じくらいに汗をかいているのを見て、チェルシーの胸にたまらない愛おしさが込み上げてきた。そして同時に泣きたいくらいの情けなさにも襲われた。
もしや陛下主催の夜会の最中に帰ってきたのだろうか。彼に大切な職務を放棄させるなんて、自分はなんて駄目な妻なのだろう。
謝ろうとして口を開いた途端、またしても襲ってきた痛みに咄嗟にシーツにしがみついた。
「ああ〜〜ああ〜〜いああ〜〜〜!」
突然襲って来た今までで一番強いその痛みに、声をこらえる事が出来ない。
私は大丈夫だから安心して待っていて。
そう言ってあげたいのに、痛みのあまり肝心のその言葉が出てこない。
「はうあっ!」
しかし、彼女の急な悲鳴に驚いたのだろう彼の妙に情けない悲鳴が聞こえて、チェルシーは堪える間も無く吹き出した。
今の叫び声は、彼が倉庫番の兵士だった頃に何かに驚いた時などに叫んで、よくチェルシー達の笑いを取っていた悲鳴だ。
久しぶりに聴いた懐かしくも愛しいその悲鳴に、チェルシーの笑いは止まらない。
痛いやらおかしいやら、感情が乱高下して大忙しだ。
そして、必死で堪えるも我慢出来ない笑いのせいで、完全に息が乱れて出産の際に大切だと教えられた呼吸が出来ない。
「カウリ、笑わせないでって……」
「す、すまん。今のは誓ってわざとじゃないんだってば」
口を開いてなんとか呼吸を戻そうとしているチェルシーの抗議の言葉に、慌てたカウリがそう答えて顔を見合わせてまた吹き出す。
「わざとだったら、許さないんだ、から」
「ごめんって、今なら大丈夫そうだから少しだけだって言われて入らせてもらったんだ。何も出来ない役立たずの邪魔者は退散するから頑張ってくれよな。何も出来ないけど応援してるからな。あ、愛してるよチェルシー」
優しい声でそう言われて、額にそっとキスが贈られる。
笑ってキスを返そうとしたチェルシーだったが、それは叶わなかった。
先ほどよりもさらに強い痛みが突然襲ってきて、悲鳴さえ上げられずに硬直する。
「カウリ様! 下がってください!」
チェルシーの様子が急に変わったのに気づいた鋭いエレーナ先生の声に、慌てたカウリがすぐに下がる。
「ああ〜〜〜!」
その直後に、シーツを引きちぎらんばかりに引っ張ったチェルシーが、甲高い悲鳴をあげてひきつけを起こしたかのようにブルブルと震え出した。
「外でお待ちください!」
そう叫んだ看護婦に突き飛ばされるようにして部屋から押し出されたカウリは、目の前で音を立てて閉じられた扉の前で立ち尽くしたまま、中から聞こえてくる初めて聞く別人のようなチェルシーの悲鳴に思わず耳を塞いでその場に膝をついた。
「チェルシー、チェルシー、チェルシー……精霊王よ。どうか彼女をお守りください。どうか彼女をお守りください」
もう、祈る事しか出来なかった。
時折聞こえる彼女の悲鳴と、先生達の何か話す声が僅かに聞こえるだけで、それ以外は何も聞こえない。
何度か、布の束を抱えたメイド達が部屋から出入りしているだけで、変化のない時間が続く。
執事が用意してくれた椅子に座ったカウリは、産室前の廊下で上着も脱がずにひたすら祈りを捧げ続けていたのだった。
彼の肩の上には彼の伴侶のカルサイトの使いのシルフがいて、彼を慰めるかのように何度も頬にキスを贈っていたのだった。




