子守唄
「へえ、これはなかなかに良い曲だね」
竪琴を抱えたレイは、手にした新しく貰った譜面を見て、確認するようにごく小さな声でハミングしてからそう呟いた。
『ほう、これは聴いた事はないが新しい曲か?』
右肩に座ったブルーの使いのシルフが、自分の知らない曲に興味津々でそう言って譜面を覗き込んでくる。
「うん、これは宮廷音楽家の方が作曲した新しい曲だよ。今夜の夜会でお披露目されるんだって。一応僕もちょっとだけ竪琴で参加するよ」
ブルーの使いのシルフにも見えるようにしてやりながら、赤いインクで印を付けたレイが弾く部分を指で示しながら笑ってブルーのシルフをそっと撫でる。
だが、そのレイが弾く部分は主旋律ではなく伴奏の部分ばかりだ。
「竪琴って、ヴィゴのコントラバスと同じで大人数での演奏の場合は比較的伴奏部分を担当する事が多いんだよね。でも、僕はその方がいいな。ゆっくり皆の演奏が聞けるからね」
笑ってそう言うと新しい譜面を譜面台に置き、竪琴を抱え直した。
それから時々譜面を確認しながら、まずは新しい曲の自分が担当する箇所を改めて確認しながら繰り返し何度も弾き始める。
それが終わると、今日の演奏予定の曲を、貰ったリストを確認しながら順番に弾いていった。
優しい竪琴の音は廊下にまで響き、荷物や書類を持って行き来していた執事達や第二部隊の兵士達は顔を見合わせて笑顔で頷き合い、レイの部屋の前だけは少しゆっくりと静かに通り過ぎていたのだった。
隣の部屋にいるラスティは、いくつかの報告書を書いていたところで聞こえてきた竪琴の音に文字を書いていた手を止め、目を閉じてしばしその優しい音に聞き惚れていたのだった。
呼びもしないのに集まってきたシルフ達は、窓辺にぎゅうぎゅうになるくらいにくっついて並んで座り、ラスティと同じように目を閉じてその優しい音色をうっとりと静かに聴いていたのだった。
「そう言えば、今日もアンコールがあるって聞いたけど何を弾こうかなあ」
もう大丈夫だと思うまで繰り返し練習していたレイは、演奏する手を止めて小さな声でそう呟く。
少し考えて、自分を見ている譜面台の端に座ったブルーのシルフを無言で見返す。
『ん? いかがした?』
苦笑いしたブルーのシルフの言葉に、レイは素知らぬ顔で首を振る。
「なんでもない。もしかして、ブルーがまた何か昔の曲を思い出したかなあ、って思っただけ」
少し上目遣いになってそう言いながら笑いを堪えるレイの様子に、ブルーの使いのシルフはわざとらしく腕を組んで考え込んだ。
『そうさのう。なにぶん昔の事であるから、我もあまりよく覚えておらぬのう。だが、それでもいくつかは覚えておるぞ。例えば、アルカーシュの街で歌われていた花の歌や、早春の山を讃える歌。あるいは、古い子守唄くらいであろうかのう』
それを聞いたレイは、目を輝かせて竪琴を抱え直した。
「ブルー! その、古い子守唄を教えてください! だって今夜の夜会で、ティア妃殿下のご懐妊が正式に発表されるって言っていたものね!」
目を輝かせるレイの言葉に笑って頷いたブルーのシルフが立ち上がる。
それを見て、窓辺に他のシルフ達と一緒に並んで座っていたニコスのシルフ達がふわりと飛んできて竪琴の周りに集まる。
急いで白紙の譜面と万年筆を取り出したレイは、改めて竪琴を抱え直し、ブルーの使いのシルフとニコスのシルフ達が弦を示して教えてくれる旋律をまずはゆっくりと弾いてみて満面の笑みになり、何度も確認しながら譜面にも書き出していった。
「ちなみに、これには当然だが歌詞もついている。必要か?」
「お願いします!」
そう言ったレイが慌てて別の真っ白な紙を用意するのを見てから、ブルーの使いのシルフはゆっくりと歌い始めたのだった。
「レイルズ様、今日は早めに夕食に行きますので、その前にハン先生が……おや、静かになったと思ったら」
軽いノックの音がしてからラスティが入ってきたのだが、竪琴を抱えたままソファで眠っているレイを見て小さく吹き出す。
足元には譜面と文字を書いた紙が落ちて散らばっている。
苦笑いして譜面を拾い上げたラスティは、それが今日自分が預かって持ってきた譜面とは違うのに気付いて思わず譜面を確認する。
「おや? これは……レイルズ様の作曲でしょうか? それに、こちらはどうやらこれの歌詞のようですね」
ラスティ自身、楽器の管理方法は一通り知ってはいるが、手入れや調音などは専門の執事が担当してくれている為、彼自身がする事はまずない。その為、譜面も読めないし楽器の演奏も出来ない。
首を傾げつつ、とりあえず散らばった譜面と文字の書かれた紙を拾い集めたラスティは、竪琴を抱えたまま熟睡しているレイの肩をそっと叩いた。
「レイルズ様、起きてください。間も無くハン先生が来られますよ」
「う、うん……」
眉間に皺を寄せて小さな唸り声を上げたレイは、しばらくしてからゆっくりと目を開いた。
「あれ? 僕……もしかして寝ちゃってた?」
「はい、静かになったと思ったらまさかお休みだったとは。竪琴の練習は大丈夫ですか?」
その言葉に、レイは堪える間も無く吹き出した。
「あはは、最後にもう一回って思って、ブルーに頼んで歌ってもらったら本当に寝ちゃったんだね。ううん、すごい効き目だ。これなら間違いなく役に立ちそうだね」
『ああ、そうだな。確かに役に立ちそうだな。カルサイトの主のところでも、間も無く生まれるのだろう? 役に立つではないか』
笑い転げるレイの膝の上に現れた伝言のシルフの言葉に、ラスティも納得する。
どうやらまた、ラピス様が昔の歌を教えて下さったのだろう。しかも話を聞く限りどうやら子守唄。
レイルズ様が眠ってしまわれるくらいだから、間も無く生まれるカウリ様のところの赤ちゃんや、ティア妃殿下のが孕っておられる赤ちゃんにもきっと役に立つだろう。
小さく笑ったラスティは、集めた譜面を一旦机の上にまとめて置き、まずはハン先生が来る事を改めてレイに知らせたのだった。




