爪のお手入れ
『大丈夫か? レイ』
ルーク達と別れてひとまず部屋に戻ったレイが、部屋着に着替えてソファーに座ったところで現れたブルーの使いのシルフが心配そうにそう言って頬にそっとキスを贈った。
「うん、大丈夫だよ。そりゃあまあ、全く痛くないと言ったら嘘になるけどさ。ウィンディーネの姫達が頑張って冷やしてくれたからもうそれほど痛くないよ。一応、早めの夕食のあとでもう一度ハン先生が来てくださって、目立たない湿布に変えてくれるんだって。確かにこの湿布だと、違う意味で大注目になっちゃうよね」
苦笑いしたレイが自分の首筋に手をやって困ったように笑う。
今は、大きく引っ掻かれた首の後ろ側にはベッタリと大きな湿布が貼られていて、首にも包帯が巻かれている。
頭の中の引っ掻き傷は幸いそれほど深くはなかったようで、もう血も止まっていて今は軟膏を塗ってもらっただけで湿布はしていない。
『全く、あの太った猫めが。いくら皇族に可愛がられているのだとしても、我が主殿に怪我を負わせるとは許しがたし! 思い知らせてくれようぞ!』
「怒らないで、ブルー。ティミーが言っていたけど、引っ掻き傷は猫と遊ぶ時のお約束なんだってさ。ティミーも家にいた時は、遊んでいる時なんかにうっかり何度も引っ掻かれてお薬のお世話になったって言っていたよ」
『まあ、確かに猫の爪は鍵状になっているから引っ掻き傷を作りやすい。あれは本来、狩猟の為の爪だからなあ』
苦笑いするブルーの使いのシルフの言葉に、レイも苦笑いしつつ頷く。
「えっと、僕はあまり知らなかったんだけど、猫っていつも爪を研いでいるから常にツンツンに尖っているんだって。ティミーのところの猫のセージも、何度か爪を切ろうとしたんだけど、全然駄目だったんだって言っていたよ」
『猫の爪は人の子の爪とは違っていて、鞘状になった古い爪がすっぽりと抜けるように剥がれるのだよ。そうすれば中から新しい尖った爪が出てくる仕組みだ。だから爪研ぎと言うよりは、爪の皮を外す、といった感じだな』
ブルーの使いのシルフが、レイの指先をそっと突っつきながらそう教えてくれる。
「へえ、爪を研ぐってそう言う意味なんだね。僕、猫もヤスリみたいなので削ってあんなに尖らせるんだと思っていたよ」
レイも、自分の爪を見ながら感心したようにそう呟く。
「あ、僕の爪もちょっと伸びてきているね。削っておかないと」
指先を綺麗に整えるのも仕事のうちだと言われて、ここへ来て以降、いつもレイの髪を切ってくれる専任の方がレイの指先も綺麗に整えてくれている。
もともと農作業や様々な労働で酷使されていたレイの指先は、足の爪と同様にやや変形していて指先もガサガサの荒れ放題だった。
毎日のようにオイルや専用のクリームを塗り込み丁寧な手入れをしてもらったおかげで、今では指先もツルツルだし、爪の形は今でも少し歪んではいるが、手入れをしてもらっている指先はとても綺麗になっている。
しかし綺麗に伸ばして形を整える女性の指先と違って、武器を持つ手の爪は握った時に爪が手のひらに当たらないように短く整えられている。
最近では爪専用のやすりを何種類ももらっていて、普段は自分で削ったりもしている。
専用の箱に入った爪磨きを戸棚から箱ごと持ってきて取り出し、少し伸びた爪を丁寧に削ってから磨いていく。
「でも、竪琴を弾くのに爪は必要だから全部は削らないよ。よし、これでいい」
「おや、いかがいたしましたか?」
レイの脱いだ第一級礼装を片付けていたラスティが部屋に戻ってきて、爪を磨くレイ見て驚いたようにそう尋ねる。
「うん、ちょっと爪が伸びていたから全体に整えたの。ほら見て、綺麗になったよ」
得意そうに指を開いて爪を見せるレイの様子に、ラスティも笑顔になる。
「おお、これは綺麗になりましたね。では、念の為クリームを塗っておきましょう」
戸棚から小さな瓶を持ってきてレイの前に座る。
「うん、お願い」
念の為、改めてレイの爪を軽くヤスリで整えたラスティは、指先全体にクリームを馴染ませるように塗っていく。
「歪んでいた指の爪は、すっかり綺麗になりましたね」
「そうだね。ここへ来てすぐの頃に、指先がボロボロでラスティに驚かれたもんね。足の指は確かにまだちょっと歪んでいるけど、これも別に不自由はないから心配しないでね」
「そうですね。もし痛みがあれば必ず言ってください。ああ、お怪我したところは少し跡が残ってしまいましたが、ここもすっかり綺麗になりましたね。はい、これで良いですよ。馴染むまでしばらくものに触らないでください」
「ええ、竪琴の練習をしようと思っていたのに〜〜」
別に何時間もじっとしていろと言われているわけではない。レイもそれを分かっての軽口だ。
「では早く馴染むように、こうやって両手をこすり合わせていてください」
笑いながら両手をこすり合わせるラスティの様子を見て、レイも笑顔でせっせと両手の指先をこすり合わせた。
それを見たシルフ達が、一斉にレイの真似をし始める。
『スリスリ〜〜』
『モミモミ〜〜〜』
『指先は〜〜〜』
『優しく優しくモミモミするの〜〜〜』
シルフ達が歌う即興の歌を聴いて、レイとブルーの使いのシルフは揃って吹き出して大笑いになったのだった。
「おやおや、なにやら楽しそうですね。シルフの皆様ですか?」
届いていた新しい楽譜と、いつもの竪琴をケースごと持ってきてくれたラスティの言葉に、顔を上げたレイは嬉しそうにお礼を言って、シルフ達の様子を身振り手振りで教えてあげたのだった。




