時送りの儀式と巫女達の舞
「本日、一年最後の日を迎え、新たなる年を迎える準備を始めます事を、精霊王と十二の神々に、ここにご報告申し上げるなり」
やや緊張しているのか頬を紅潮させた一人の神官が進み出て、堂々たる声でそう言って精霊王の像の前に跪いて深々と頭を下げた。その両手はしっかりと握りしめて額に当てられている。
しばしの沈黙の後、立ち上がったその神官はゆっくりと下がっていった。
しんと静まり返った礼拝堂の中、次に八人の巫女達がゆっくりと進み出て祭壇の前に並ぶ。
それ以外の神官達と巫女や僧侶達は、精霊王の像の左右に広がって整列した。
前列に並んだ者達の手には、ミスリルの鈴や大小のハンドベル、あるいはミスリル製の杖などが握りしめられている。
その前に楽器を持った神官達と数名の僧侶が進み出て、用意された椅子に座って楽器を構えた。
進み出た八人の巫女達の中に、真剣な顔のクラウディアの姿を見つけたレイは思わず笑顔になり、改めて居住まいを正した。
一度だけ大きくミスリルの鐘が打ち鳴らされ、その後はゆっくりとしたリズムでミスリルの鈴が鳴らされる。
始まったのは、精霊王に捧げる聖歌の一つだ。
去年見た時と同じように、前に進み出たクラウディア達の手には幅の広い真っ白な長いリボンがあり、左右に四人ずつに分かれて歌いながらゆっくりと舞い始めた。
互いの端を持ったリボンが絡まる事なく彼女達の舞いに合わせてするすると動き、まるで生きているかのようだ。
ゆっくりと足を進めながら静かに舞う彼女達の姿はとても美しい。
あちこちから、感心したような密やかなため息が聞こえた。
「去年は六人だったのが、今年は八人になっているから立ち位置が去年とは少し違うね」
それはそれは真剣にクラウディアの舞を見つめていたレイが、ふと気がついたように小さな声でそう呟く。
『ああ、気が付いたか』
右肩に座ったブルーのシルフの感心したような声に顔をあげたレイが、チラリとそっちを横目で見る。
「うん、でも偶数だから立ち位置が少し変わっているだけで、舞そのものは変わっていないみたいだね。あ、リボンを切った」
胸元に差し込まれていた守り刀を抜いた巫女達の手によって、見事にそれぞれのリボンが断ち切られ素早く巻き取られていく。
ゆっくりと刀を鞘に納めてから胸元に戻した巫女達が、一礼して守り刀を胸元に戻す。
クラウディアの胸元に輝く真っ赤なルビーが、蝋燭の炎に照らされて一瞬揺らいだように見えた。
「ここに古き時は無事に聖なる刀で断ち切られた。また新たなる時をここに紡ぎ始めるものなり」
先ほどの神官の声を合図にして、また別の真っ白なリボンを持った巫女達が彼女達に駆け寄り、そっとリボンを渡してすぐに下がる。
そしてまたリボンの端を持ち合った八人の巫女達は、次の聖歌を歌いながらまた奏でられる伴奏に従ってゆっくりと舞い始めた。
祭壇前に整列していた神官達や僧侶、巫女達も揃って歌い始める。
ここからは見えないが、ニーカやジャスミンも一緒に歌っているのだろう。
精霊王の御守りをここに
精霊王の御守りをここに
我ら死の谷の底を歩む時、御救いの手がある事を知るもの也
愛しき人の手を取りし時、ただ死によって互いを分つと知るもの也
悲しみの泉の底で流せし涙の幾星霜が、新たなる喜びの源流たるを知るもの也
絶望と疑いの闇の中で祈りと希望を見出しき時、世界と生命を司りし全ての精霊達よ、どうか幼き我らを守りたまえ
一時の安らぎと眠りをここにあれかし
我らここに誓うもの也
正しき道を進み行き、いつの日にか輪廻の輪に辿り着きしその時まで
懸命に日々を生き、命を繋ぐ事を
我ら今ここに誓うもの也
精霊王の御守りをここに
精霊王の御守りをここに
かくあれかし
「ああ、なんて素敵なんだろう……」
小さく深呼吸をしたレイが、胸元を右手で押さえながらごく小さな声でそう呟く。
去年、彼は初めてこの舞と歌を間近で見て、感動のあまり気がつかないうちに涙を流し、立てなくなるという経験をした。
そして今年も、レイの体は感動に打ち震えているし、滑らかな頬には堪えきれなかった涙の粒がポロポロとこぼれ落ちていたのだった。
『大丈夫か? レイ』
少しだけ俯いてこっそり指先で涙を拭ったレイを見て、ブルーの使いのシルフが優しい声でそう言ってくれる。
「うん、大丈夫だよ。今年もディーディーの舞は素敵だったね」
ごく小さなレイの言葉に頷いたブルーの使いのシルフは、愛おしくてたまらないとばかりに少し濡れた頬に何度も何度も優しいキスを贈ったのだった。
歌が終わり、最後のリボンが巻き取られて舞手の巫女達が揃って祭壇に背を向けて参列者達の方を向く。
ゆっくりと進み出てきたクラウディアが、空になった両手をゆっくりと左右斜め上に上げる。
「祈りと癒しを守りし精霊達よ。我らの進む苦難の道を照らせし唯一の光あれ」
「光あれ」
クラウディアの声に、その場にいた全員が一斉に唱和する。
次に瞬間、彼女の両手に光の精霊達が現れて座るのが見えて、レイはこれ以上ないくらいの笑顔になる。
彼女の右手に座っているのは、いつもはレイのペンダントの中にいるはずの、母さんから引き継いだ光の精霊であるのが何故か分かったからだ。
「何をしてるんだよ」
いつの間にペンダントから出ていったのか、全然気が付かなかった。笑ってごく小さな声でそう呟くと、まるでその声が聞こえたかのように彼に向かって手を振ったその光の精霊は、クラウディアの手の上で軽く手を叩いた。
一気に輝きを増して広い礼拝堂が一瞬だけ光に満ちた。
「あれ、何だ?」
光に満ちて視界が真っ白になったその瞬間、何かが視界の端に何かが見えた気がしてレイが慌てて祭壇の方を見る。
その瞬間、レイ以外の人には見えなかったが、後ろに並んでいた神官の中の一人だけが何故か一瞬だけ影のように黒く浮かび上がったのだ。
光の精霊の輝きが戻るまでの数秒の間に、その黒く浮かび上がった神官がふらふらと揺れて突然声も無く倒れた。
左右にいた神官が慌てたようにその倒れた神官を受け止め、両脇を抱えてすぐに下がらせる。
ざわめきは一瞬だけで、すぐに何事もなかったかのように整列し直す神官達を見て、ブルーのシルフは満足そうに頷いて人には聞こえない声で呟いた。
『よし、ようやく支配の糸の端を見つけたぞ』と。




