自習室にて
「おはよう。いつもの自習室、取ってあるからね」
レイ達が訓練所へ到着して鞄を持っていつもの自習室を借りようとしたところで、廊下にいた元気なニーカの声が聞こえてレイ達は揃って目を見開いた。
降誕祭が終わったとは言っても、女神の神殿も精霊王の神殿もさまざまな祭事がほぼ切れ目なく年が明けるまで続く。当然彼女達も忙しいだろうからお休みだとばかり思っていたのに。しかもそこにはニーカとクラウディアだけでなく、ジャスミンともう一人小柄な少女が一緒だったのだ。
「ペリエルは、ちょっと体調を崩して降誕祭の間は街の施療院に入院していたんです。当然、しばらく訓練所でのお勉強もお休みだったの。でも今日から復学なんですって。それで、せっかくだから午前中は一緒に自習する事になったの。教授は、ちょっと急ぎの御用があるんですって」
笑顔のニーカの言葉に、困ったように笑ったペリエルが自分を見ているレイ達に向かって地面に頭がつきそうな勢いで深々と一礼する。
「えっと……もう、大丈夫なの?」
降誕祭前に彼女の身に何があったのかは、この場にいる全員が理解している。
おそらく教授の急ぎの用と言うのは、彼女が授業を受ける際に使う教室を浄化しているか、あるいはなんらかの守護の守りを追加で付与している為だろう。
もしかしたら、第四部隊からも上位の守護の術を使える兵士が来ているかもしれない。
レイの気遣うような言葉に、顔を上げたペリエルは笑顔で頷いた。
「はい、おかげさまですっかり元気です。でも、せっかく頑張って覚えた降誕祭のお祈りや所作が、施療院で寝ている間に全部どこかへ飛んでいっちゃったみたいです」
「あはは、それは残念だったね。来年、また頑張って覚えてもらうしかないね」
笑ったレイの言葉に、ジャスミン達も揃って苦笑いしていたのだった。
「ええと、ここの計算の時にはこの式を使うの。ほらやってみてね」
真剣に勉強するペリエルの横にニーカとジャスミンが座り、まだまだ一番最初の初等科の算数の基礎に苦労しているペリエルに計算のやり方を教えていた。
「そうか。彼女は今までこういった勉強をほとんどしていなかったんだな。そりゃあ苦労するか」
自分達の資料作りをしていたキムが、それはそれは真剣な様子でニーカの説明を聞いているペリエルをそっと見ながら納得したようにそう呟く。
ここは精霊魔法訓練所で、当然精霊魔法に関する部分を教えるのが本来の役割なのだが、貴族出身の者ならばある程度の基礎教育は受けているのが当たり前だが、市井の出身者の場合は、そもそもそれ以前の読み書きや最低限の算術すらままならないものも多くいる。
その為、ここでは本人の学力に応じて初等科の基礎の部分読み書きの部分から個人授業で教えたりもする。
ニーカも、オルダムへ来て以降最低限の読み書きは白の塔に入院中に習い、その後の基礎教育は全てここで受けている。
「算数が苦手だって言ってるニーカも、初等科の算数なら人に教えられるくらいに解るようになっているんだね。そっちも凄い」
こちらは高等数学の計算問題を解いていたレイが、嬉しそうにそう言ってペリエルに勉強を教えているニーカを見る。
「確かにそうだな。それに人に教える事で自分にとっても勉強になる部分だってあるからな」
同じく顔を上げたマークも、笑顔で少女達を見ている。
ニーカの隣に座って、時折一緒にペリエルに計算のやり方を教えてやっていたクラウディアは、今は光の精霊魔法に関する本をそれはそれは真剣な顔で熟読中だ。
「皆、頑張ってるんだもんね。僕も頑張らないと」
小さくそう呟いたレイは、一つ深呼吸をしてから次の計算問題を解くために算術盤を指先で綺麗に整えて、パチパチと算術盤の玉を弾いて計算問題を解き始めた。
いつの間にかレイの右肩に現れて座っていたブルーのシルフは、真剣な様子で計算問題を解き始めたレイの様子を見て立ち上がり、レイの頬に猫が甘えるときのように何度も頬擦りをしてから優しいキスを贈っていたのだった。
「ん? どうしたの?」
ノートに計算問題の答えを書き込んだレイが、顔を上げて右肩にいるブルーのシルフを見る。
『なんでもないよ。ちょっと甘えたくなっただけだ』
レイにだけ聞こえる程度のごく小さな声でそういったブルーのシルフは、誤魔化すように笑ってもう一度レイの頬にキスを贈ると彼の首元にくっつくようにして座った。
「甘えん坊さんだねえ」
嬉しそうに笑ってそう呟いたレイは、左手でブルーのシルフをそっと撫でてから次の計算問題を解き始めたのだった。
『ここは清浄なり』
『我らが守るからね』
『主様達は何も心配せずにしっかり勉強してください』
『我らが守るからね』
それぞれに真剣に勉強を続ける彼らの頭上では、集まってきた光の精霊達がクルクルと輪になって飛びながら口々にそう言っては何度も手を叩き、部屋に光の精霊だけが作れる人の目には見えない浄化の光を撒き散らしていった。
レイに甘えながら頭上を見上げたブルーのシルフは、そんな光の精霊達の様子を見て小さく満足そうなため息を吐いてから、目を閉じてレイの首に甘えるように頬擦りしていたのだった。




