クラウディアの舞とニーカの悩み
一つ深呼吸をしたクラウディアは、窓辺に立って背筋を伸ばした。
ミスリルのついた杖を持った右手は、まっすぐ前に差し出されている。
レイの竪琴がゆっくりと、女神オフィーリアに捧げる歌の前奏部分をつま弾き始める。
クラウディアは、目を閉じてじっと立ったままでその音を聞いていたが、前奏部分が終わったところでゆっくりと体を揺らすようにして動き始めた。
レイの竪琴の音に合わせて、手にしたミスリルの鈴を軽く打ち鳴らす。
軽やかな鈴の音に合わせて一歩前に足を踏み出す。
「女神ともに在して」
「迷い進みし険しき道を」
「その慈しみの灯火にて我らの道行を守らん」
「女神ともに在して」
「幼き我ら惑いし時も」
「その慈しみの灯火にて我らの道行を守らん」
「偉大なる女神への感謝をここに」
「偉大なる女神への感謝をここに」
時折、手にした鈴の付いた杖を打ち鳴らし、ゆっくりとした所作で静かに舞いながら朗々と部屋いっぱいに美しい歌声を響かせる。
華美な衣装を纏っているわけではない、普段と変わらぬ質素な巫女服のクラウディアだったが、今の彼女は普段とは全く違って大きく見える。
堂々と顔を上げて朗々と女神オフィーリアを讃える歌を歌いながら舞う彼女は、もうこれ以上ないくらいにとても美しかった。
レイは、竪琴を半ば無意識で演奏しながらそんな彼女を間近で陶然と見つめていた。
実は時折、演奏しなければならない弦をすっ飛ばしていて、その度に苦笑いしたニコスのシルフ達が代わりに弦を弾いて誤魔化してくれていたのだった。
レイの演奏が終わると同時に最後にもう一度大きく鈴を打ち鳴らしたクラウディアが、軽く膝を曲げて竜騎士達に向かって両手を軽く握り合わせて深々と一礼する。
一瞬静まり返った部屋に、大きな拍手が湧き起こる。
「これは素晴らしかった。時を忘れて見入ってしまったよ」
大きく拍手をしながらのアルス皇子の言葉に、部屋にいた全員が同意するように何度も頷く。
恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに笑ったクラウディアが、もう一度深々と一礼してから先ほど座っていたソファーに戻った。
レイも、竪琴を執事に預けて彼女の後を追った。
「ありがとうレイ。とても舞いやすかったわ」
少し頬を紅潮させて、まだ息が早いクラウディだったが、レイを振り返ってそう言いながら満面の笑みになる。
「う、うん。僕の方こそ……あの、すっごく素敵だったよ」
「あ、ありがとうございます」
レイのその言葉に一気に真っ赤になるクラウディアを見て、あちこちから堪えきれない笑い声が聞こえたのだった。
「素晴らしかったわ。さすがはディアね」
これ以上ないくらいの笑顔で拍手をしていたニーカだったが、クラウディアを見て、ジャスミンを見てからわざとらしくため息を吐いて頭を抱えた。
「それにしても、私があれくらい舞えるようになる日が本当に来るのかしら。不安しかないんだけど……」
「大丈夫よ。もう少し背が伸びれば、もっと見栄えがするようになるって」
笑ったジャスミンの言葉に、もう一度ニーカはため息を吐いて自分の頭に手をやった。
「ねえ、背ってどれくらいの年齢まで伸びるものなの? まだ私に成長の余地があるかしら?」
座っていてさえ、自分よりも遥かに大きなレイを見上げてそう言い、もう一度ため息を吐く。
「えっと、僕もニーカくらいの年齢の時にグッと伸びたんだよ。だからきっと大丈夫だって」
少し考えたレイの言葉に、ニーカは困ったように笑って首を振った。
「そこまで伸びる必要はないと思うけど、せめて人並みくらいには伸びて欲しいなあ」
呆れたようにレイを見上げたニーカの言葉に、また皆が笑う。
「女性と男性では成長期も違うだろうからなあ。一概には言えないだろうが、確かにニーカは年齢からすると小柄ではあるな」
この中では唯一の子育て経験のあるヴィゴの呟きに、ニーカはクローディアとアミディアを見た。
そこから、彼女達の背の伸び具合をイデア夫人が笑いながらニーカに詳しく説明して、結果、まだ年齢的に成長の余地が充分にあると聞き、ニーカは安堵のため息をもらしたのだった。
「えっと、背を伸ばそうと思ったら、牛乳を毎日飲んでしっかり寝る事。って、僕はニコスに教わったよ。確かに森のお家にいた頃は、毎日温めてもらったミルクを飲んでいたね」
「ああ、確かに牛乳を飲んだら背が伸びるって話は聞くなあ。俺も入隊前のガキの頃は、毎日たっぷり飲んでいたぞ」
カウリの言葉に、ニーカが目を輝かせる。
「ねえ、カナエ草のお茶に蜂蜜とミルクを入れるのはどうかしら? それなら毎日飲めるわ」
良い事を思いついたと言わんばかりのニーカの提案に、竜騎士達が揃って吹き出す。
「ニーカ、気持ちは分かるがやめたほうがいいと思うぞ」
真顔のルークの言葉に、ニーカは不思議そうに首を傾げる。
「貴族の方は紅茶にミルクを入れるって聞きましたけど、駄目ですか?」
「そうだねえ。ぐだぐだ説明するよりも、これは飲んでみるのが一番分かると思うなあ」
笑ったロベリオが、テーブルに置かれていたポットを見て、執事を振り返る。
それだけで、すぐに動いた執事が手早くカナエ草のお茶を入れてくれる。
ニーカの前に新しいカナエ草のお茶の入ったカップと、蜂蜜の瓶とミルクの入った小さなピッチャーが並べて置かれる。
「では!」
嬉しそうに笑ったニーカが、まずは蜂蜜をたっぷりとカップに入れてゆっくりとスプーンでかき混ぜ、ミルクをたっぷりと注いだ。
薄茶色の綺麗な色になるカップの中を見てから、嬉しそうに口をつけた。
一口飲んで無言になる。
「……何これ」
思いっきり顔をしかめてなんとか口の中のものを飲み込んだニーカだったが、しばらくしてからそう言ってカップを置いた。
「どうだったの?」
考えてみたら、自分もミルクを入れて飲んでみた事がないクラウディアの不思議そうなその言葉に、ニーカは無言で置いたカップを指差した。
「よければ一口飲んでみてよ。貴女の意見を聞きたいわ」
「うん、いただくね」
頷いたクラウディアも一口飲んだきり固まる。
「……何これ」
ニーカと全く同じ感想に、また笑いが起こる。
興味津々で自分を見ているレイに、クラウディアは無言でカップを渡した。
レイも一口飲んで無言になり、笑ったルークがレイの置いたカップをそっと指先で突っついた。
「な、分かっただろう。カナエ草のお茶の苦味を抑えてくれるのが、唯一蜂蜜だけなのさ。それ以外は、何故か入れると蜂蜜が入っていても苦くなるんだよ」
「何もなしで飲むより、もっと苦いです!」
ミルクと蜂蜜入りのカナエ草のお茶を飲んだ三人の叫びが重なり、部屋は大爆笑になったのだった。




