浄化の術
「はあ、では順番にやっていきます」
ルーク様から借りたミスリルの短剣を手にルディ僧侶と共に巫女達の寮へ向かったクラウディアは、到着した懐かしい寮の扉の前で一つ深呼吸をすると、そう言ってゆっくりと扉を開けて中へ入った。
「何処からするんだ?」
守衛部から借りてきた部屋の鍵の束を手にしたルディ僧侶の言葉に、クラウディアはゆっくりと廊下を歩いて突き当たりまで進んだ。
そこから廊下を戻ってきて、数えて二十歩、歩いたところで立ち止まる。
「では、ここから奥の部屋の鍵を全て開けて、扉を開いていただけますか」
「了解だ。ちょっと待ってくれ」
てっきり一部屋ずつ中へ入って行うのだと思っていたルディ僧侶は、驚いたようにしつつも急いで言われた通りに部屋の鍵を開けて、扉を開いていった。
その間に、クラウディアは足元に目印代わりの畳んだ手拭き布を置き、また廊下を二十歩数えながら歩いた。
「ルディ様。そちらがすめば、ここまでの部屋も全て同じように扉を開けてください」
「ああ、分かった」
何も聞かずに頷いたルディ僧侶は、手早く鍵を開いては扉を開けていった。
「これでいいか?」
言われた場所までの部屋の扉を全て開けたところで、待っていたクラウディアを振り返る。
彼女は、最初に手拭き布を置いた場所まで戻っている。
「では始めます。あの、今から行う浄化魔法は、始めて見る方は驚かれるかもしれませんが、普通の人には害はありませんので、そこで見ていてください。念の為、術を行使中は動いたり声を出したりしないようにお願いします」
「了解だ」
真顔で頷き壁際に立ったルディ僧侶の言葉に笑顔で頷き、一つ深呼吸をしたクラウディアはゆっくりとミスリルの短剣を抜いて掲げた。
「聖なる結界を守りし光の精霊よ。乱れし結界を整えるよう願う」
目を閉じたクラウディアが、ゆっくりと結界修復の際の決められた呪文を唱える。
すると、彼女の声に呼ばれて次々に光の精霊達が現れ、扉の開いた部屋の中を出たり入ったりし始めた。
光の精霊が見えないルディ僧侶の目には、小さな光の玉が、部屋を出入りしているように見えている。
しばらく好き勝手に飛び回っていた光の精霊達だったが、一斉に開いた扉の部分の廊下の両端に分かれて集まり、空中に並んで手を取り合った。全員がクラウディアの方を向いている。
それを見たクラウディアは、小さく頷いてもう一度短剣を掲げた。
「其はかくあるべし!」
クラウディアが大きな声でそう言った直後、廊下の左右に綺麗な淡い薄紅色の光の柱が次々と現れ、ゆっくりと広がって一体化していき、最後は薄紅色のカーテンのようになって廊下や部屋全体を包み込んだ。
実際の浄化作業を始めて見るルディ僧侶が声もなく驚きに目を見開いていると、唐突に光のカーテンが消えて無くなった。
「おお、何だか凄いものを見たな。もう良いのか?」
クラウディアが安堵のため息を吐くのを見て、こちらも一つため息を吐いたルディ僧侶が興味津々でクラウディアを見ながらそう尋ねる。
「はい、これで今扉を開けた部屋の浄化作業は終わりました。もっと上手く浄化の術を扱える人なら、一度にもっと広い範囲を浄化出来るのですが、私はこれが精一杯なんです」
短剣を鞘に収めたクラウディアが、少し恥ずかしそうにそう言って笑う。
「いやいや、充分過ぎるくらいに凄いって」
小さく拍手をしたルディ僧侶は、急いで開けた部屋の扉と鍵を閉めて周り、同じようにして次々に浄化作業を行なっていった。
途中一度休憩を挟み、三階まである寮の部屋を、念の為空き部屋まで含めて全て、夕方までに浄化し終える事が出来た。
「浄化作業、お疲れ様でした。ありがとうございました、クラウディア。お茶とお菓子を用意してありますから、少し休んでから帰ってくださいね」
保安部へ鍵を返しに行くとイサドナ様が待っていてくれて、そのまま先程の応接室へまた通された。
「ああ、ご苦労様。まあ座って」
応接室には先客がいて、書類を手に竜人の兵士達と話をしていたルークが二人が部屋に入ってきたのに気付いて笑顔で振り返った。
「は、はい。念の為、一通り確認しましたが、特に問題は無かったと思います」
そう言って向かいのソファーにルディ僧侶と並んで座ったクラウディアは、手にしていたミスリルの短剣をそっと机の上に置いた。
「あの、素晴らしい短剣をありがとうございました。自分でも驚くくらいに術が安定していて、あれだけ連続で行使したのに、一度も揺らぎによる失敗が無くて、とても上手に術を行使出来ました」
「お役に立てて良かった。確かに返してもらったよ」
笑顔で頷いたルークは、机の上に置いてあった短剣を片手で受け取り、そのまま自分の剣帯に装着した。
それから竜人の兵士達も一緒に、イサドナ様が用意してくれた久しぶりの紅茶をハーブのビスケットと一緒にいただいた。
それから、少し休憩してから全員揃ってそれぞれラプトルに乗って本部へと戻って行った。
クラウディアはまたルディ僧侶に乗せてもらい、夕焼けに染まる城壁と街並みを滅多に見られない高い位置からこっそりと堪能していたのだった。
『想い人の巫女様は』
『難しい浄化の術を見事に使いこなしていたね』
人混みの中をゆっくりと進む一行を、通り沿いのお店の屋根に座ったクロサイトの使いのシルフとブルーの使いのシルフがのんびりと眺めている。
『ああ、そうだな。手間取るようならこっそり助けてやるつもりだったが、必要無かったようだな』
満足そうなブルーの使いのシルフの言葉に、クロサイトの使いのシルフも嬉しそうにうんうんと頷く。
『想い人の巫女様は光の術が苦手だなんて言うけど』
『普通の人間があれだけ安定して浄化の術を扱えれば』
『もう充分過ぎるくらいに上手って言えると思うなあ』
呆れたように笑うクロサイトの使いのシルフの言葉に、ブルーのシルフも苦笑いしつつ頷く。
『そうだな。我が見るに、そもそも彼女は攻撃の術よりも守りや浄化の術が特に上手いように感じるな』
『術との相性は、適正とともに個人の気質によるところもあると言われている。どうやら彼女は、何かを攻撃するよりも、何かを守ったり綺麗に場を整えるのが得意なようだな』
『確かにそれはありそうだね』
『良いじゃない』
『間違っても巫女様が戦場へ出る事なんて無いんだからさ』
笑ったクロサイトの使いのシルフが、そう言って肩をすくめる。
『そうだな。確かにその通りだ。ああ、行ってしまうぞ』
頷いたブルーのシルフは、一行が城壁を通って曲がるのを見て、ふわりと飛んでその後を追った。
『ああ待って! 置いていかないでよ』
クロサイトの使いのシルフも、慌てたようにそう言ってブルーの使いのシルフの後を追いかけて飛んで行ったのだった。




