急ぎの頼まれ事
「お、そろそろ時間だな」
小さな声で呟いたロベリオの言葉に、レイは小さく息を飲んで慌てて背筋を伸ばした。
戻ってきたレイと若竜三人組と交代でカウリが出ていき、アルス皇子とヴィゴが戻ってきたところで定刻の鐘の音が鳴り響く。
それを合図に下がっていた神官達が、ミスリルのハンドベルを手にゆっくりと整列して祭壇の前へ進み出てきた。
一定の間隔で鳴らされるミスリルのハンドベルの音が、静かになった礼拝堂の中に響き渡る。
「ほら、行ってこい」
ごく小さな声でそう言ったロベリオが、レイの背中を軽く叩いて前に押しやる。
「はい」
真剣な声で応えたレイは、ロベリオの手に押されるようにしてゆっくりと立ち上がった。
そのまま、ゆっくりと進み出て精霊王の彫像の前に立った。
精霊王を讃える曲が流れる中、進み出たレイは祭壇前に用意されている蝋燭置きの右側から一本手に取り、蝋燭を左手に持ち替えてから、右手の人差し指を近づけて、火蜥蜴にお願いして蝋燭に火を灯してもらった。
火のついた蝋燭を祭壇前に用意されている燭台にしっかりと立て、一歩下がってミスリルの剣を抜いた。
そして抜き身の剣を横向きに床に置き、片膝をついて跪くと両手を握りしめて額に押し当て目を閉じて祈る。
しばしの沈黙の後、神官達が一斉に一度だけミスリルのハンドベルを打ち鳴らすと、それを合図にレイは顔を上げて床に置いてあった剣を手に取りゆっくりと立ち上がって剣を鞘に収めた。
ミスリルの火花が散ってシルフ達が一声に集まってくる。
一瞬だけレイに向かって強い風が吹きつけて、レイの真っ赤でふわふわな髪が風に揺れる。
これはシルフ達がわざと起こした風なので、蝋燭の炎は少し揺らいだだけで決して消える事はない。
「精霊王に感謝と祝福を!」
改めて精霊王の彫像の前に立ったレイが、大きな声で決められた言葉を高らかに叫ぶ。
「精霊王に感謝と祝福を!」
礼拝堂にいた全員がそれに習い唱和する。
軽く一礼してから、レイは自分の席へ戻って行った。
その際にも、祭壇の前からまっすぐ自分の席へ戻るのではなく、一度祭壇横までまっすぐ下がってから曲がり、壁沿いに席の横まで進み、また曲がってそれからまっすぐ歩いて席へ戻った。
レイが席まで戻るのを見届けてから、ミスリルのハンドベルをずっと一定間隔で鳴らし続けていた神官達が、そのままハンドベルを鳴らしながら退場していった。
神官達が全員下がったところで礼拝堂にざわめきが戻り、一般の参拝者達が順番に祭壇に蝋燭を捧げて参拝を始めて一気にざわめきが戻る。
「お疲れさん。初めてにしては中々に上手く出来ていたよ。大したものだ」
「確かに、初心者とは思えぬほどに堂々としていたな」
笑顔のアルス皇子とヴィゴに揃ってそう言われてしまい、なんだか恥ずかしくて真っ赤になるレイだった。
「ああ、クラウディア。ここにいたのか。すまないが急ぎの用があるので、至急一緒に来てもらえるかな」
背の高いルディ僧侶が、道具を手にしたクラウディアを見つけて廊下の向こうから駆け寄ってくる。
「ええ、今すぐにですか? あの、今から祭壇の蝋燭の火の当番なのですが……」
困ったようにそう言ったクラウディアは、手にしていた柄の長い小さな塵取りと火鋏、それから短い箒を上げて見せた。
日々たくさんの蝋燭が捧げられる祭壇の燭台には、燃え尽きた蝋燭や途中で火が消えてしまって残った蝋燭を定期的にお掃除して綺麗にする担当が巫女達に割り振られている。
特にこの役割は安全の為に、火の精霊魔法を扱える者が必ず一人は入るように考えられているので、クラウディアやニーカ、それからジャスミンは普段から多めにこの役が割り振られている。
いつもは一緒に役割が与えられる事が多い彼女達だが、貴重な精霊魔法使いであるので、この役だけは一人ずつ割り振られていて一緒になる事はほとんどない。
ちなみに今はジャスミンが担当してくれているので、クラウディアは彼女と交代になっているのだ。
「ああ、蝋燭の担当だったか。ううん、それは困った。では、第四部隊から大至急誰か来てもらうから、すまないがちょっと行かずに待っていてくれ」
そう言って懐から取り出した精霊の枝を折ろうとするルディ僧侶を見て、クラウディアは慌てたように頭上にいるシルフ達を見上げた。
「あの、それなら私が呼びます。どなたをお呼びすればいいですか?」
「すまないね。それなら、第四部隊のミラー中尉を頼むよ」
「第四部隊のミラー中尉ですね。かしこまりました。シルフ、お城の第四部隊のミラー中尉を呼んでください」
そう言いながら、クラウディアは先ほど出てきた倉庫へゆっくりと戻った。当然ルディ僧侶もついてくる。
さすがに、廊下で立ち話していい内容ではないだろう。
並んだシルフ達と話を始めたルディ僧侶を見て、クラウディアは少し離れて大人しくその場で立ったまま待った。
「すぐに来てくれるそうだから、申し訳ないが道具を置いて来てもらえるかな」
代わりの人が来てくれるのならと頷いたクラウディアは、ルディ僧侶に断ってその場でもう一度シルフにジャスミンを呼んでもらうようにお願いした。
『ちょっと待ってね』
『今お話中だからね』
『ちょっと待ってね』
しかし、呼び出したシルフ達は、クラウディアがジャスミンの名前を出した途端笑って首を振った。
この言い方は、ジャスミンが誰かと精霊通信で話をしていると言う意味だ。
しばらくして、改めて並んだシルフ達がクラウディアを見上げた。
『ああディアね』
『今第四部隊のミラー中尉って方から知らせを貰ったわ』
『代わりの方が来られるまで』
『私がここにいるから』
『貴方はルディ様について行ってちょうだい』
クラウディアが何か言う前に、おそらく事情を聞いたのだろうジャスミンの声を届けるシルフ達が笑ってそう言ってくれる。
「急にごめんなさい。それじゃあお急ぎらしいから行かせてもらうね」
『ええ、いってらっしゃい』
笑って手を振ってくれたシルフ達に、クラウディアも笑顔で手を振り返し、次々に消えていくシルフ達を見送った。
それから大急ぎで持ち出した道具を元の場所に片付けると、クラウディアはルディ僧侶について廊下へ出て行ったのだった。




