降誕祭の始まりとオルダムに潜む闇の影
「ふわあ、すごく大きい!」
本部の休憩室へ戻ってきたティミーは、休憩室の東側の壁際に見事なまでに飾り付けられた、自分の背丈よりも遥かに巨大なツリーをポカンと口を開けて眺めていた。
「ああ、すごい! 竜達の飾りがある! ああ、ターコイズがいるよ、ほらあそこ!」
しばしツリーを見上げたまま呆然としていたティミーだったが、不意にある飾りに気がついて、それを指差しながらその場でウサギのようにぴょんぴょんと飛び跳ねた。
少々お行儀の悪い行為なので普段なら即座に執事から注意が飛ぶところだが、さすがに今日だけはお目こぼししてもらえたみたいで、特に何も言われる事はなかった。
ティミーの視線に合わせたやや低い位置に飾られていたのは、ニコスが作って届けたターコイズの姿を模して作られたツリーの飾りだった。
「これ、刺繍で竜の模様を綺麗に浮き上がらせているんだね。ターコイズの水色に金線が入ってるところまで再現されている。うわあ、ルチルの模様もそっくりだ。すごい……」
ターコイズにそっくりなツリーの飾りをそっと手に取ったティミーは、その隣に並べられたルチルにそっくりな竜と、他の飾りよりもやや小さめのクロサイトにそっくりな飾りを見て、また驚きの声を上げた。
「ねえ、これはどこかの工房の作品ですか? それとも、どちらかのご婦人の手作りの贈り物ですか?」
もしもこれをどなたかが作って贈ってくださったのならば、絶対に直接会ってお礼を言いたい。そしてもしも売っているのなら、自分用に一揃え買いたい。特に、このターコイズの飾りは絶対に欲しい。
割と本気でそう思って尋ねたのだが、ちょうどお茶の準備をしてくれていたティミーの従卒のグラナートが笑顔で教えてくれたその答えに、ティミーは驚きの声を上げる事になった。
「そちらの刺繍の竜の飾りは、レイルズ様のご家族であるニコス殿の作品です。レイルズ様がここに来られた初めての年から少しずつ増え、今年は未成年の皆様方の伴侶の竜も全て揃いました。本当に見事な出来栄えですね。まるで生きているかのようです」
「ええ、ニコス殿って、レイルズ様の育ての親の一人で、オルベラートの貴族の館で執事をしていたお方ですよね。すごい、こんな事まで出来るんだ……」
半ば呆然とそう呟きながら、ブルーにそっくりな濃い青色の大きな飾りもそっと腕を伸ばして撫でた。
「ラピスもそっくりだね。それに大きい」
小さく笑いながらそう呟き、飽きもせずに夕食の時間まで、ずっとツリーを眺めて過ごしたのだった。
「はあ、もう覚える事だらけで大変」
大きな木箱を自分の背丈よりも高く積み上げて抱えたペリエルは、廊下を歩きながら小さな声でそう呟き突き当たりの倉庫の扉の前に立った。
「シルフ、扉を開けてください」
両手が塞がっていて開けられないので小さな声でそうお願いすると、彼女の周囲を飛び回っていた何人ものシルフ達が集まって、すぐに扉を開けてくれた。
「ありがとうね」
笑いながらそう言って倉庫の中へ入り、決められた戸棚に持ってきた木箱を戻していく。
彼女が倉庫に入った途端に、倉庫の壁面に用意されていた大きなランタンの中にあった蝋燭に一斉に火が灯る。真っ暗だった倉庫はとても明るくなった。
「火蜥蜴さん、ありがとうね。これで真っ暗な倉庫の中で転ばずに済むわ」
笑いながらポケットからメモを取り出し、番号を確認しながら戻すべき戸棚を探す。
持ってきたこれは、祭壇の左右に用意された巨大なツリーの飾りが入っていた木箱で、中は空っぽなのでとても軽い。
それぞれ飾りと箱、そして戸棚には同じ番号が振ってあって、降誕祭が終わってツリーを撤去したら、飾りも全て元の箱にちゃんと片付けられるようになっているのだ。
皆降誕祭の準備で忙しくしているので、空き箱の片付けは彼女が一人で担当している。
「まだあと十二個も運ばなくちゃ駄目なのね。ううん、一人でするのは、なかなかに大変だわ」
小さな声で文句を言いつつも、その顔は笑っている。
早足で倉庫の中を走り回り、背が届かないような高い位置に木箱を置く時は、倉庫にある大きな踏み台を引っ張ってきてそれに登って戻したりもしている。
祭壇裏の廊下に積み上がっていた空箱を、彼女は一人でせっせと運んでは棚に戻していった。
「降誕祭はすっごく楽しみなんだけど、覚える事だらけでもう嫌になっちゃいそう。先輩達は、大変なのは今年だけだって言うけど、絶対来年には綺麗さっぱり忘れてる自信があるわ。それに、祭りの期間中は訓練所をずっとお休みしないといけないから残念。下位の実技は全部単位が貰えて、やっと次からは中級の技を習うって聞いていたから、すっごく楽しみにしていたのになあ。はあ、ちょっとだけ休憩」
独り言を呟きながら、持ってきた最後の木箱を片付けたペリエルは、小さなため息を一つ吐いて踏み台に座った。
その時、キィと金具が軋む音がして扉が閉まった。
「あれ? 風でも吹いたかな?」
基本的に、倉庫に入る時には扉を開けておくように言われている。今もそうしていたはずなのだが、なぜか閉まってしまった。
首を傾げつつ、気にせずに背後の棚にもたれる。
「このあとは、夕のお祈りがあってお歌を歌う役。それが終わったら早めの夕食を食べてから深夜まで祭壇の横でミスリルの鈴の担当」
小さな手帳に書いた自分の役割を指を折りながら確認して、またため息を吐く。
神殿での務めは覚える事だらけで大変ではあるが、ここでの暮らしに不満はない。
精霊魔法訓練所でのお勉強だってとても難しくて大変だけれども、シルフ達とどんどん仲良くなれるし、新しい精霊魔法が使えるようになれば嬉しいし楽しい。
皆、とても親切でわからない事があればすぐに教えてくれる。
それでも、彼女はたまらなく寂しかった。
目を閉じて、故郷のお家を思い出す。
近所に住んでいた腰痛持ちのお婆さんは大丈夫だろうか。それから、元軍人だったという隣に住んでいたお爺さんは、痛めた足をいつも引きずって歩いていたので彼女が代わりに買い物に行ってあげると、ありがとうと言っていつもお小遣いをくれた。誰か代わりに買い物に行ってくれる人はいただろうか?
懐かしい、近所の人達の顔が次々に浮かんでくる。
そして瞼の裏に浮かぶのは、大好きな父さんの笑顔だった。
父さんに会いたい。
父さんに会いたい。
会いたくてたまらない。
気がつけば、涙が頬をこぼれ落ちしゃくりあげていた。
「父さんに、会いたい……会いたい、よう……」
『会わせてあげようか?』
泣くのを必死で堪えていた彼女の耳元で、不意に声が聞こえて驚いて目を開く。
いつも聞きなれたシルフやウィンディーネの声ではなく、ノームとも違う、けれども男の人の声だった。
キョロキョロと周りを見回していると、彼女の膝の上に黒っぽい小さな人型の影が現れた。
こっちに向かって手を振っているのが見えて、覗き込んだが不思議な事に顔が見えない。
「初めまして、貴方は何の精霊なの?」
彼女は、初めて見る真っ黒な精霊にそう尋ねた。口をきいてしまった。
あれほど常に彼女の周りに大勢いたシルフ達が、その時には誰一人いなくなっている事に、残念ながら彼女は気が付けなかったのだった。




