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蒼竜と少年  作者: しまねこ


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1927/2490

エケドラの神殿にて

「おうおう、これはまた一晩でずいぶんと積もってくれたなあ。早朝のお祈りの前にまずは雪かきだな」

 その朝、夜通し降った雪に覆われて真っ白になった神殿の中庭を眺めながら、窓を開けて真っ白な息を吐いたテシオスが苦笑いしながらそう呟いた。

 東の空が少し白み始めているが、冬の遅い朝日は葡萄畑の向こうに広がる険しい山並みから未だ顔を出さない。

 バルドも、テシオスの背後から雪の積もったまだ真っ暗な外を見て真っ白なため息を吐いた。



 エケドラの神殿の朝は早い。

 元々聖グレアムを主神として建てられたここは、今も精霊王と並んで聖グレアムの大きな彫像が本殿の巨大な祭壇に祀られていて、精霊王への信仰と共に聖グレアムへの信仰が厚い。

 創建当初は、聖グレアムを信仰し、俗世との関わりを断ち厳しい修行に明け暮れた山岳修行者達の住む場所としても開放されていたここは、そんな彼らに倣うかのように今でも外部との接触は必要最低限しかなく、ようやく今年の秋に三位の神官の資格を取った二人はここへ来て以降、神殿の関係者以外の人と会った事は一度もない。

「今日から降誕祭が終わるまでそれに関する祭事が数多くあるから、俺達も色んな役割を割り振られている。頑張ろうな」

「ああ、頑張ろう。なあ、レイルズも、今年は神殿の祭事に竜騎士見習いとして参加しているんだろうな」

「そうだな。あいつならどんな面倒なお役目でも、大真面目に嬉々として務めていそうだ」

「確かにそうだな。その様子が目に浮かぶよ」

 顔を見合わせて笑った二人は、そんな話をしながら手早く神官服に着替え、二人揃って小さな巾着のついたペンダントを首から下げて胸元に入れた。

 ここにはレイルズからシルフ達を通じて届けられた、あのまじない紐が入っている。小さな巾着だが、これは今の彼らの心のよすがともなっているのだ。



 身支度を整えた二人は、まずは顔を洗う為に廊下へ出て少し歩いて水場へと向かう。ここは一応簡素だが屋根があり風が吹き込む山側には壁もあるので水場が雪に埋もれる事はなく、また、豊富な地下水のおかげでここの井戸はたとえ真冬であっても凍る事はない。

 四季を通じて常に豊かな水を与えてくれる古い井戸に向かって深々と一礼して感謝の祈りを捧げたテシオスが、そっとつるべを落とし、バルドと二人分の水を人力で引いて汲み上げる。

「うわっ、冷たい!」

 平たい洗面器に水を移す際に、不意に跳ねた水滴が顔にかかって慌てて下がる。

「ウィンディーネの悪戯っ子」

 笑ったテシオスの言葉にバルドも笑って頷き、空になった桶を井戸の縁に置いて一つ深呼吸をしてから右手で水をすくって口をゆすいでから顔を洗い始める。

「うひゃあ冷たい!」

 さっきのテシオスと同じように叫び、それでも笑ってバシャバシャと顔を洗う。

 それを見て大きなため息を吐いたテシオスも、目を閉じて口をゆすいでから一気に顔を洗った。



 使った水を流したら洗面器は井戸の横の棚に伏せて置いておき、顔と手を拭いたら二人揃って早足で中庭へ向かう。

「おはようございます!」

「おはようございます!」

 中庭にはすでに数人の神官達が出てきて黙々と雪かきを始めていた。

「おはようございます。貴方達はあちらの雪かきをお願いします」

 顔を上げた、彼らの指導役である正一位の地位を持つコーディー神官がある一角を指差す。そこは早朝に回廊を吹き抜けた風が真正面から吹き付ける場所で、ほとんどの雪が強い風に吹き払われていて他と違って大して積もっていない。

「ありがとうございます」

 それを見て、そう言って深々と一礼した二人は、黙って置いてあったショベルを手に黙々と雪かきを始めた。

 片目のテシオスと片腕しか使えないバルドは、こういった肉体労働では正直に言ってあまり役に立たない。それが分かっているコーディー神官様は、労働そのものは免除こそしないがいつも少しでも楽な場所を彼らに割り振ってくれる。他の神官達も同じで特に意地悪する事も文句を言う事もなく、どうしてもやらなければならない体を使う重労働の作業は、率先して変わってくれたりもするのだ。

「手押し車は俺が押すから、バルドは雪を載せるのを手伝ってくれるか。避けた雪を運ばないとな」

 担当箇所の雪かきがすぐに終わったテシオスは、壁際に置かれていた大きな手押し車を押してきてそう言いながら積み上がった雪をそれに乗せ始めた。

 大きなショベルに持ち替えたバルドもそれを手伝う。

 しかし、片手では大した量を運ぶ事が出来ない。しかも途中でバランスを崩して雪を落としたうえに足を滑らせて膝をついて転びそうになってしまう。

 だが、一瞬だけ何かに当たったような感触があり、体が起こされて転ばずに済んだ。

「ありがとうシルフ」

 落とした雪の塊の上に懐かしいシルフの姿が一瞬だけ見えて、すぐに消えてしまった。

 だが、バルドは嬉しそうに何も見えない空間に向かって小さな声で笑顔でお礼を言い、地面に落とした雪をまたすくって運び始めた。



 こんな風に時折、転びそうになったり何かを落としそうになったりした時に、毎回では無いがシルフ達が助けてくれる事があるのだ。しかもごく一瞬だが今のように姿を見せてくれる事さえある。

 だが姿が見えるのはほんの一瞬だし、そもそも姿が見えない時の方が多いし、声は一切聞こえない。法則性は一切ないので、シルフの気まぐれなのだろう。

 それでも、こうやって彼女達の存在を身近に感じられるたびに、二人は何も見えない空間に向かって律儀にお礼を言っているのだ。それも笑顔で。

 しかし、ごく一瞬とはいえ姿が見える事があるのはシルフだけで、他の精霊達は今のところ全く気配も無い。

 だが、さっき顔を洗う時に不意に水がありえない角度に跳ねたように、間違いなくウィンディーネ達も自分達を見てくれているのだろうと思われる事象が何度も起こっている。

 いつか彼女達がまた姿を現して話してくれる日を夢見て、日々真面目に何も無い空間に向かってお礼を言ったり話しかけたりしている二人だった。

 最初は驚いていた周囲の神官達も、今ではそんな二人を見ても特に驚きもせずにそっとしておいてくれる。



 雪が手押し車一杯に山盛りになったところでテシオスがそれを運んで行き、神殿内部を流れる水路に雪を落としてすぐに戻ってくる。

「無理はするなよ」

 もう一台の手押し車でテシオスの倍以上の雪を運んでいた大柄な神官が、彼の荷車の横を進みながらそう言ってくれる。

「はい、大丈夫です。私は、両手はちゃんと使えますから」

 背筋を伸ばして笑顔でそう答えたテシオスに、その神官様は笑って彼の頭を撫でてくれた。

 成人年齢になったとは言ってもまだ十代の貴重な若手でもある二人は、年配の神官達が多いこの神殿では密かに可愛がられていて、実は彼等には多くの自称祖父と自称父親がいる。

 けれど残念ながらそういった愛情には疎い当の本人達は、その事に全く気づいていなくて周囲を残念がらせていたのだった。



「ご苦労様でした。これでしばらくは大丈夫でしょう。では、参りましょう」

 ようやく中庭の雪かきが終わったところで手早く道具を片付け、コーディー神官と一緒にそのまま本殿へ向かう。

 本殿前の庭も綺麗に雪かきが終わっていて、先に来ていた神官達が灯してくれた焚き火で少し体を温めてから中に入る。

 一定の間隔で鳴らされるミスリルの音を聞きながら、それぞれの像に朝の挨拶をしていく。

 いつもよりも飾りが多い祭壇を嬉しそうに見た二人は、顔を見合わせて頷き合ってからいつもの場所に並んで立つ。

 定刻の鐘の音が響き渡る堂内に彼らの唱える祈りの声がゆっくりと響き始めた。

 燭台に座った何人ものシルフ達は、すっかり覚えた朝のお祈りを真剣な様子で唱える二人を黙って見つめていたのだった。

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