擬似決闘?
「ええ? 本当に?」
担当執事から、最後となる二十番目のお願いの内容を聞いたレイは、咄嗟にそう叫ばずにはいられなかった。
進み出てきたのは、カナシア様のように男装に身を包んだおそらくは同年代と思われるごく若い細身の女性だ。女性としてはやや身長は高いもののレイと比べるとはるかに小さく、その差は頭一つ分どころではない。
その彼女の手には、やや短めの木剣が握られていた。
「ええ、武器の扱いは禁止じゃあなかったの?」
思わず、側にいた執事に小さな声でそう尋ねる。
「真剣は禁止されておりますが、木剣の場合は、滅多にはございませんが両者の了解があれば使用は可能でございます。次のお願いは木剣にて手合わせをご希望との事ですが、いかがなさいますか? もちろん辞退なさる事も可能でございます」
そう言われてレイは困ってしまった。
あの細身の身体ではそうは見えないが、もしかしたら剣の腕が立つお方なのかもしれない。
だけど仮に彼女が女性としてはそれなりの腕前なのだとしても、どう考えてもレイの相手にはならないだろう。そもそもの腕力が違すぎる。
しかし、サーラと名乗ったその女性はレイが受けてくれると確信しているようで、木剣を手にレイを睨みつけている。
「えっと……」
「レイルズ殿! これは決闘の申込みと心得よ! よもや、逃げるなどとは言わないだろうな! その大きな図体は飾り物か?」
木剣の切っ先を突きつけられ、堂々と宣言されてしまい思わず眉を寄せる。
どうやら彼女には、レイと手合わせしなければならない事情があるらしい。
助けを求めるようにニコスのシルフ達を見たが、彼女達は、揃って困ったように彼女とレイを交互に見ている。
レイの視線に気付いた彼女達は、なんと揃ってお願いするかのように彼女を見てからレイに向かって手を合わせたのだ。
しばし無言で考えたレイは、小さなため息をひとつ吐いてから執事に向き直った。
「木剣を」
差し出した右手に渡されたのは、普段レイが朝練で使っているものよりもはるかに短く小さくて軽い木剣だ。おそらく彼女が持っているのと同じ大きさなのだろう。
「何をもって勝ちとしますか?」
柄の握り具合を確認しながら、なんでもない事のように平然と彼女に向かって尋ねる。
「叩きのめした方が勝ちだ!」
雄々しい宣言に、どうなる事かと心配しながら見守っていた会場からどよめきが起こった。
「それはこの場にふさわしくはありませんね。ではこう致しましょう」
にこりと笑ったレイは、手にしていた木剣をやや下向きに構えた。
「僕はここで構えたまま百数えます。どうぞお好きに打ち込んできてください。百数える間に、僕の身体に貴女が打ち込む。もしくは僕が一歩でも動けば僕の負け。貴女の攻撃を全て防ぎ、僕が動かなければ貴女の負け。これでいかがですか?」
「馬鹿にして……」
音を立てそうなくらいに歯を噛み締めたサーラ嬢は、大きなため息を吐いて木剣を構えた。
「その条件でよかろう。では参る!」
宣言と同時に彼女は木剣を振りかぶって一気に正面から打ち込んできた。
甲高い音が会場に響き渡る。
「一、二、三……」
レイは、ゆっくりと数を数えながら右手だけで持った木剣でその打ち込みを軽々と受けた。
普段、ルークやヴィゴ、キルート達と本気で打ち合っているレイにしてみれば、片手であっても余裕で受けられる程度の軽い打ち込みだ。
もちろんそれが彼女の全力だ。しかし、女性にしては太刀筋も良いし打ち込みに迷いがない。これは相当な鍛錬をしている証拠でもある。内心では驚きつつも、右、左、上段下段と、手を変えて必死になっている彼女の打ち込みを、当然のように全て受けて流す。もちろん、レイの方から打ち込むような事も、打ち返す事もしない。
「二十一、二十二、二十三……」
「馬鹿にして!」
目に涙を浮かべたサーラ嬢がさらに力を込めて打ち込んでくるが、どれ一つたりともレイの身体にかすりもしない。
会場内からレイと一緒に数を数える声が起こり始め、サーラ嬢がさらに勢い込んで打ちにくる。
しかし数が五十を過ぎた辺りで息が切れ、汗をびっしょりとかき始めたサーラ嬢と違い、レイは息一つ乱すどころか汗すらかいていない。
数が七十を過ぎたところで、打ち込んだサーラ嬢が勢い余って大きく空振りしてしまい、木剣が床を叩き攻撃の手が止まる。
口を開けて必死に肩で息をする彼女を見て、レイの眉が寄る。
「もう、やめにしませんか?」
「うるさい!」
半泣きになった彼女が、大きく振りかぶって上段から攻撃してくる。彼女にとっては上段だが、レイにとってはほぼ正面の位置だ。これも当然のように受けて流す。
結局、九十を越えても、サーラ嬢の木剣はレイの身体に一度もかすりすらしなかった。
しかし、これが最後とばかりに全身で打ち込んできたサーラ嬢だったが、限界を超えた体がもう言う事をきかず、足を滑らせて前のめりに転んでしまった。
「危ない!」
全く受け身を取れずに顔から転がるのを見て、レイは咄嗟に木剣を放り投げて彼女の下に滑り込むようにしてその体を受け止めた。
大きなどよめきが会場中に響く。
「だ、大丈夫ですか?」
完全に硬直しているサーラ嬢をそっと起こしてやり、駆けつけてきた執事にとにかく任せる。
立ち上がったところでレイは、床に転がった木剣と、さっき立っていた位置とは違う自分の足元を見た。
「ああ、動いちゃいましたね。ううん、これは参った。僕の負けですね」
苦笑いして両手を上げたレイの宣言に、あちこちから吹き出す音が聞こえ、大きな拍手が湧き起こった。
「な、何故……?」
執事に支えられてなんとか立っているサーラ嬢は、レイの負けました宣言に呆気に取られたようにポカンと口を開けてレイを無言で見上げていた。
「どうぞ胸を張ってお帰りください。この勝負、貴女の勝ちです」
レイはあえて彼女の事情を聞かなかった。
何の力もない見習いの自分に何か出来るとは思えなかったし、初対面の人の事情に勝手に首を突っ込むのは違う気がしたのだ。
だが、今のこの場にいる自分になら出来る事はある。
これがその答えだった。
「あ、ありがとうございます……」
顔を覆ってそう言ったサーラ嬢は、そのまま泣き崩れてしまい、執事達に抱えられるようにして舞台から下がって行ったのだった。
「後で教えてね」
明らかに何か事情を知っていそうなニコスのシルフ達にそう言い、ため息を一つ吐いてから、この勝負を見守ってくれた会場の人達に深々と一礼したレイだった。




