お菓子とワイン
「ありがとうございます、レイルズ様。一生の思い出が出来ました」
レイの背中から車椅子に戻ったシャーロット嬢は、とてもいい笑顔でそう言ってレイを見上げた。
「とんでもありません。僕も楽しかったです」
笑顔のレイの言葉に照れたように笑ったシャーロット嬢は、自分の短いドレスを摘んだ。
「車椅子に座るために、私は皆のような裾の長いドレスが着られないんです。しかも足を見せないためにこんな長いパンツまで履く、この服装がとても嫌いだったんです。だけど、これのおかげでレイルズ様におんぶしてもらえたんだから、今度からはちょっとは好きになれそうです」
恥ずかしそうにそう言ってレイを見上げる。
「そんな事はありません。そのドレスもとても素敵ですよ。またどこかでお会いできたら嬉しいです」
「はい。その時は横抱っこをお願いしますね」
レイの言葉にこれ以上ないくらいの笑顔になったシャーロット嬢は、執事達の手により無事に舞台から下ろされ、涙を浮かべたご両親に両側から抱きつかれていたのだった。
そして次もこれまた不思議なお願いで、お菓子を食べる。というものだ。
これのどこがお願いになるのか分からず密かに悩んでいたレイの前に進み出てきたのは、レイと歳の変わらないであろう若いお嬢さんと、もうお一人は間違いなく三十代後半であろう年上の女性だった。
「次のお願いですが、こちらのアップリー様にお菓子を食べさせてあげて欲しいとお願いです。そしてこちらのソルティ様は、逆にレイルズ様にお菓子を食べさせたいとのお願いです」
「ええ、お菓子を食べるって、そういう意味だったんですか!」
驚きのあまり大きな声で言ってしまい、見ていた会場内の人たちがどっと笑う。
「えっと、でも食べさせるって……何をどうするんですか? あ、お菓子が出てきた」
助けを求めるように近くにいた執事に小さな声でそう尋ねたレイは、舞台袖から進み出てきたワゴンを見て小さく吹き出した。
ワゴンの上にはお皿が二枚あって、どちらにもやや小さめの焼き菓子と少量のクリームが綺麗に飾られている。
「えっと……」
何をどうしたらいいのか分からず困っていると、不意に目の前にニコスのシルフ達が現れて一人が何かを切る動作をした後に、隣にいる子に右手で食べさせる振りをしたのだ。
「ああ、食べさせるってそういう事なんだね」
小さくそう呟いて頷いた。
それなら分かる。ゴドの村にいた頃、熱が出た時に母さんがミルクがゆを食べさせてくれた事がある。それに、母さんにキリルの実を食べさせてあげた事だってある。
だけどあの頃と違って、お皿の上のあのお菓子を手で摘んで食べさせるのは駄目だろう。
「レイルズ様。私共がお菓子を切らせていただきますので、それをどうぞ食べさせて差し上げてください」
レイの戸惑いが分かったらしい執事が進み出て、用意されたナイフとフォークを使って小さなお菓子をさらに二等分してくれた。
小さなフォークを渡されたレイが振り返ると、進み出てきたアップリー嬢が顔を上に向けて目を輝かせながら小さな口を開く。
「わかりました。では失礼しますね」
笑顔になったレイがそう言い、右手に持ったフォークをお菓子にそっと突き刺してお菓子が落ちないように左手を添えてアップリー嬢の口元へ持っていく。
本来であれば、向かい合って彼女にお菓子を食べさせてやる男性という、恐らくは仲睦まじい恋人同士のような場面になったのだろうけれども、残念な事にアップリー嬢とレイでは明らかに身長差があり過ぎるので、どう見ても恋人同士ではなく親子になってしまっている。レイにしてみれば、まさしく雛鳥に餌をやる親鳥になった気分だ。
それでも、真っ赤な顔をしながらも残りのお菓子を口に入れてもらって嬉しそうに口元を押さえてもぐもぐと食べる彼女を見て、会場からは笑い声と暖かな拍手が沸き起こったのだった。
その後、嬉々として進み出たソルティ様に、今度はレイが食べさせてもらう番となったのだが、こちらもあまりの身長差のせいで上手く食べさせる事が出来なくて、結局レイは、急遽用意された椅子に座って大人しくマロンタルトを食べさせてもらうという。彼にしてみればある意味貴重な体験のお願い成就となったのだった。
満面の笑みで揃ってお礼を言って舞台から下がる二人を見ながら、あれで喜んでもらえたのだろうかと密かに悩んでいたレイだった。
『主様は相変わらず鈍いねえ』
『憧れの方にお菓子を食べさせてもらって喜ばない子はいないと思うね』
『それに食べさせてあげるのもそうだよね』
『乙女心が分かってないねえ』
揃って腕を組みながらうんうんと頷き合うニコスのシルフ達を見て、燭台に並んで座っていたブルーのシルフは、それを聞いて大笑いしていたのだった。
次に進み出てきたのも、先ほどのソルティ様と変わらないくらいの年齢の女性で、一緒にワインを飲んで欲しいとのお願いだ。
「もちろん喜んでご一緒させていただきます。ですが、あまり酒精の強いのはお許しください」
まだこの後もお願いが続いているので、ここで酔っ払う訳にはいかない。
苦笑いするレイの言葉に、グレイプと名乗ったその女性は執事の手から一本のワインを受け取ってレイに見せた。
「大丈夫ですわ。ご心配なく。これは私の父と夫が支援している、グラスダルにある小さなワイナリーで今年から新しく作った貴腐ワインなんです。貴腐ワインがお好きなレイルズ様の感想をいただきたくて頑張って入札しました」
成る程。そういうお願いもあるのか。
納得したレイが笑顔で頷くのを見て、進み出た執事が手早くワインの蝋を掻き落として栓を抜いてくれる。
グラスに注がれたのは、とても綺麗な琥珀色のワインだ。
「精霊王に感謝と祝福を」
「精霊王に感謝と祝福を」
笑顔のレイの乾杯の言葉に、グレイプ様も笑顔で頷きそれに続いた。
掲げたグラスを下ろして軽くグラスを揺らしたレイは、目を閉じてまずは香りを味わってから少し口に含んだ。
しばし無言でワインを味わって感嘆のため息をもらす。
「素晴らしい香りですね。そしてとても濃厚な味わいです。これが本当に初めて作った貴腐ワインなのですか?」
ゲルハルト公爵閣下から教えてもらった様々な貴腐ワインに勝るとも劣らぬ見事な味と香りに、思わず目を見開いてそう尋ねる。
「ああ、そう言っていただけただけで、頑張って入札した甲斐がありました。実を言うと、ここまで作るのには何度も失敗したのだとか。上手く出来たとは言っても作る量はまだまだ少ないので、採算が取れるようになるにはもう少しかかりそうですね」
「では、販売された暁には是非とも購入させていただきますね」
これは社交辞令ではなく、本気でそう言ったレイだった。
笑顔でお礼を言って下がるグレイプ様を見送り、密かにため息を吐く。
「ここでやっと半分だよ。はあ、大丈夫かなあ」
ごく小さな声でそう呟き、改めて背筋を伸ばしたレイだった。




