巨人の丘
ようやく涙が止まったが、レイは顔を上げられなかった。いつから、自分はこんなに泣き虫になってしまったんだろう。なんだか悔しくて恥ずかしくて、ブルーの顔に力いっぱい抱きついた。
ブルーが、まるで笑ったように低い音で喉を鳴らした。
なんとか落ち着いてきて、抱きしめていた手を緩めたが、それでも顔を上げられなかった。
「……落ち着いたか」
優しく問いかけるブルーの声に、ようやく顔を上げる。
「うん、ごめんね。光の精霊を助けてくれてありがとう。僕、早く話せるように頑張るよ」
「無理せずとも、すぐに聞けるようになろう。大事なのは、焦らず、竜人達やドワーフから教えられたことをしっかり覚えていく事だ」
「そうですよ、無理も焦りも禁物です」
タキスが笑って後ろから抱きしめてくれた。
「ところで、そろそろ腹が減って来たのではないか」
ギードが笑いながら、レイの頭を軽く叩く。
「空いてなんか……」
無い、と言おうとしたのに、まるで代わりに答えるようにレイのお腹が鳴った。
「腹は正直なようだな」
「言われてみれば、私もお腹が空きましたね。この辺りでは狩りもできないですから、少し戻りますか?」
すると、ギードが手に持った包みをタキスの目の前に差し出す。
「ニコスが、ちゃんと三人分作ってくれておるわ。急いで作ったから大したものは無いと言っておったが、あいつの飯はなんでも美味いからな」
「お弁当とは気が利く。でも、ここは地面が濡れてますから座れませんね。それでは少し戻って河原あたりで食べましょうか」
「それなら、我が連れて行ってやろう。見晴らしが良いところなら、巨人の丘はどうだ?それとも、竜の背山脈の辺りまで行くか?あそこには、良い草原があるぞ」
ブルーが割り込んで来て当然のように言うのを聞いて、二人はぽかんと口を開けて固まった。言葉も無く蒼竜を見る。
「ブルーも一緒に行ってくれるの?」
代わりにレイが聞いた。
「勿論、レイはどこが良い?」
「いやいやいや、お待ちくだされ蒼竜様」
当然のように話す二人を見て、慌ててギードが止めに入る。
「何か問題でもあるか?」
「申し訳ござらぬが、さすがに貴方様の分はありませぬぞ」
手に持った包みを上げて見せる。
「それを寄越せとは言わぬ。レイがちゃんと食事をしているか、食べているところを見たいだけだ」
大人二人は顔を見合わせてホッとしたように笑った。
「それならば、共に参りますか」
「それで、どこへいくの?」
「……り、竜の背山脈まで行っておっては日が暮れてしまいます」
やや引きつった声で、タキスが答える。
「我の背に乗っていけば良いではないか。それでレイはどこに行きたい?」
「巨人の丘って?」
「太古の巨人たちが造った、古い石の建物の跡がある所だ」
「面白そう! そこで良い?」
振り返ってタキスの腕を取ったが、大人二人はまた固まっている。
「どうしたの?」
「……太古の巨人ですって?」
「……いや、それ以前だろう……蒼竜様の背に誰が乗る……ですと?」
「さて行くとするか、人を乗せるのは久しぶりだな」
蒼竜は、伸びをするように翼を大きく広げて一つ羽ばたいた。
「我の背に乗ると良い」
そう言うと、頭を下げて伏せるような体勢をとった。
当然のように、レイはブルーの前足に乗って肩まで行きそこで止まってしまった。残念ながら、一人で上がるには少し背が足りなかった。
助けてもらおうと振り返ると、まだ二人は固まったままだった。
「どうしたの?助けてくれないと、背が届かないんだけど」
声をかけられ我に返った二人は、困ったように顔を見合わせ伏せている蒼竜を見た。
「あの……我らまで乗せていただいて……よろしいのでしょうか」
意を決したように尋ねるタキスに、蒼竜は答える。
「お前達にはレイの面倒を見てもらっておるのだからな、これくらい安いものだ」
「な、ならばせっかくのお申し出、有り難く乗せていただきます」
「おう、たしかに滅多にない機会でございますが……」
ためらうギードを置いて、タキスが側へ来る。
「それでは、失礼いたします」
大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと蒼竜の腕に乗りそのまま手をかけて一気に上がった。
丁度、長い首の根元のあたりにまたがって座ると、手を差し伸べてレイを引っ張り上げて自分の前に同じようにまたがって座らせる。
「ギード、置いていかれますよ」
まだ呆然としているギードに話しかけると、彼は自分の頬を両手で叩き首を振った。
「ええい!どうなっても知らぬぞ」
そう言って、一気に近寄り包みをタキスに手渡して上がってきた。ちょっと考えて、タキスの後ろへまたがって座る。
「それでは行くぞ。シルフ達に守らせておくから落ちる心配はせずとも良い」
そう言うと、大きく翼を広げてふわりと浮き上がった。樹々の上へそのまま上がると、軽く羽ばたいた。
一気に景色が流れる。
風は感じるもののそれほど強いものではない。
下を見ると森の木々がまるで緑の絨毯のように小さく見えた。
「すごいすごい!本当に風になってるみたいだ」
レイが声を上げて笑う。後ろで、タキスも楽しそうに笑って答える。
「これはすごい眺めですね。帰ったらニコスに自慢します」
「今度、ニコスも乗せてあげてね」
「いつなりと、望むままに」
目を細めてブルーが答えた。
しばらく飛んでいると景色が変わってきた。
濃い緑の森の間から、転々と巨大な石の柱が顔を出している。
「着いたぞ」
そう言うと、ゆっくりと降下し、音もなく降り立った。
辺り一帯は段々になった坂になっていて、あちこちに苔生して崩れた石の建物が点在している。
小高い丘の上から見る景色はたしかに絶景だった。
「これは素晴らしい景色だ」
呟きながら、タキスが背から降りる。助けてもらってレイも降りたが、何故かギードが降りてこない。
「どうしたの? 僕、お腹すいたよ」
レイが声をかけると、泣く様な声が答えた。
「ワシは……ワシは高いところだけはダメなんじゃ……」
タキスと顔を見合わせて、堪える間も無く二人揃って吹き出した。
「そう言う事だったんですね。物凄い力で抱きついて来るから、本気で私を絞め殺す気なのかと思っておりましたよ」
タキスが笑いながら言い、もう一度腕に乗って声をかけた。
「大丈夫? 一人で降りられますか?」
「笑うでない!それくらいできるわ!」
文句を言いつつ降りてきた。でも、かなり足が震えていたのは二人とも見ないふりをした。
ニコスが作ってくれたお弁当は、山鳩の薫製肉やレタスをたっぷりとを挟んだパンだった。キリルのジャムをたっぷり挟んだパンもある。
「お茶の支度をしますから、見ててくださいね」
そう言うと、タキスが包みからやかんを取り出した。
ギードが、周りから小石を拾ってきて即席の竃を作り火をつけた。
のぞいて見ると、火蜥蜴が一匹丸くなっている。
「サラマンダーも連れてきたの?」
ギードに聞いてみる。
「こいつらはそこら中におりますからな。頼めば来てくれますよ」
水の入ったやかんに茶葉を入れながらギードが答える。
「やかんのお水は? それも?」
小さな瓶を振りながら、答えてくれた。
「ここに水が入っとりましてな。水の精霊に頼めば、その水を増やしてくれるんです。まあ、何もないところから水を用意するより簡単ですので、精霊使いは皆こうしますな」
竃にやかんをかけると、すぐにお湯が沸きお茶が出来た。
「さて、いただくとしましょうか」
ギードがお茶をコップに入れて渡してくれた。
お腹いっぱい食べた後、優しい秋の日差しの下でお昼寝をした。
蒼竜のお腹にもたれてぐっすり眠る少年を見て、皆笑顔になった。
「ちゃんと食べておる様だな。安心した」
「どこまで出来るかは分かりませぬが、大切に育てます」
タキスが愛おしげにレイの髪を撫でながら言った。
ギードが、少し離れたところから、そんな彼を痛ましげに見ていることにタキスは気づかなかった。