戦略的撤退と強制退場
「ふわあ、なんて素敵な演奏なんだろう」
金額指定札を募金箱に押し込んだレイは、後半はもうただただうっとりと三人の見事な演奏に聞き惚れていたのだった。
主旋律は主に公爵が担当しているのだが、時折ルークと交代してどちらも見事な演奏を見せてくれた。
ユーリ様は今回は伴奏に徹していたようで、一見するとやや地味な演奏に終始していた。
それでも全体とすれば、ユーリのセロの音はとても重要だろう。
後半の一番聞かせる部分では、まるで会話するかの如くルークとディレント公爵が弾き交わしていた。
「でも、そろそろ時間が……」
見ると砂時計の砂はもう、残り少なくなってきている。
密かに心配するレイだったが、そんなの知らないとばかりにここで曲調が一転する。
今までは比較的ゆっくりでやや低音の音が中心だったのだが、ここで一転してリズムもグッと早くなり、賑やかな演奏に変わる。
低い音を響かせていたユーリのセロまでもが、ルークの弾くハンマーダルシマーの賑やかな音に合わせて、まるで金属の転がるような賑やかな音を立てている。
ここで突然、公爵が自分が演奏していた主旋律の部分の演奏を半ば無理矢理に終わらせ、なんとそのまま舞台から楽器を抱えて走って下がったのだ。それはどう見ても逃げた。
しかも、しかもその瞬間に砂が落ち切って砂時計が空になったものだから、それを見た会場からどっと笑いと拍手が起こる。
「そ〜こ〜ま〜で〜〜〜〜!」
そこで、待ってましたとばかりに大声が聞こえて、可愛らしい盾を持った放浪の賢者達が進み出てくる。
だがよく見るとマーク達はいない。どうやら、放浪の賢者達も全員ではなくチーム分けがされているみたいだ。
揃って吹き出したルークとユーリの演奏が加速する。
盾に押されつつも必死で踏ん張る二人は、笑いながらでたらめに弾いているみたいだけど、よく聞くとちゃんと先ほどと変わらない旋律だ。
ただしものすごく早いだけで。
それを見て大笑いした人達が募金箱に駆け寄る。
ルークが演奏しているハンマーダルシマーは、小さな台の上に置かれているので、一体どうやって退場させるのかと思って見ていると、なんと台ごとゆっくりと動き始めた。その動きはとても滑らかで自然だ。見えてはいないけれど、ワゴンと同じようにコマが付いていたらしい。
しかも演奏中は、動かないようにルークがどこかを踏んで押さえていたみたいだ。
六人の放浪の賢者にぐいぐいと押されたルークとユーリは、大笑いしながらも必死になって踏ん張って演奏を続けている。
それを見て吹き出したレイは、大急ぎでもう二枚、あらかじめ記入してあった金額指定札をミレー夫人達と一緒に先を争うようにして募金箱に押し込んだのだった。
「こ、公爵、閣下が、見事に、お一人、だけ、先に、に……逃げおお、せ、まし、た、ね」
もう笑いすぎて呼吸困難になったレイの言葉に、同じく肩を震わせて口元を扇でおさえたご婦人方も、声も出せずにうんうんと頷いている。
「そ〜〜こ〜〜ま〜〜で〜〜〜〜〜〜!」
杖を持った放浪の賢者の大声と共に、杖の石突きで舞台を叩き、鈍い音が響き渡る。
ここでようやく演奏をやめた二人は、大爆笑と拍手の中を放浪の賢者達に取り囲まれて強制退場されていき、レイも遠慮なくも大笑いしながら思い切り拍手をして見送ったのだった。
「ああ、公爵閣下」
次の演奏が始まったところで、一息つくためにミレー夫人が購入してくれたワインを一緒にいただいていると、笑顔のディレント公爵が近づいてきたのだ。
目敏くそれに気付いたレイが、慌ててワインを飲み干した。
「ああ、一杯いただけるか」
背後に控えていた執事から金額指定札を受け取った公爵が、ワインの並んだワゴンを押す執事からグラスに入れてもらう。
「俺も俺も〜」
乾杯しようとしたその時、ルークとユーリも戻ってきたので、改めて二人にもワインを渡して乾杯した。
「逃げ足の速い勇者殿に乾杯」
大真面目なルークの乾杯の言葉に、全員揃って吹き出し大爆笑になった。
「何を言うか。あれは戦略的撤退と言うのだ。レイルズ、覚えておきなさい。危ないと思ったら、逃げる事は恥ではないぞ」
「はい、覚えておきます」
満面の笑みで答えるレイを見て、また揃って大笑いになるのだった。




