入札と裏の事情
『おやおや、これは錚々たる顔ぶれだな』
笑っているロベリオの顔の前に、大きなシルフが現れて募金箱の縁に座る。
「ああ、ラピスか。なあ、これを誰が言い出したのか知らないけど、レイルズは大丈夫か?」
『何をもって大丈夫だと?』
面白そうに笑ったブルーのシルフの言葉に、ロベリオが肩をすくめる。
「ラピスは知っているだろうけど、一応解説な。入札者の欄に複数人の名前が並ぶのは、共同入札って言って、事前に相談の上で連名で入札する特別な入札方法だよ。まあ、絶対に演奏して欲しい場合なんかにやる方法だな。全員同額を出資するのが基本だけど、場合によっては言い出した奴が倍額出す事もある。誰が言い出したにせよ、これだけの顔ぶれが揃っているのなら相当な金額での入札なのは間違いない。何しろ主催者自らが出資しているんだもんな」
笑って頷くブルーのシルフを見て一つため息を吐いたロベリオは、舞台袖で竪琴を手にしたレイを見て心配そうな顔をしている。
「この夜会での演奏の場合、時間延長で強制退去そのものはなんら問題にはならないし、大抵の場合は喜ばれる。追加で寄付金を入れてくれる人が増える事だしな。だけど、それなりの金額での入札の場合は、事情が変わってくる。奏者には、最低でも出された金額に見合うだけのそれ相応の演奏が求められるのが暗黙の了解だって事。うっかり下手な演奏をしてみろ。そら見た事かと言わんばかりに、例の血統主義のお歴々が張り切ってレイルズを攻撃するぞ。ろくな演奏も出来ない未熟者が。ってな」
『ほう、そんな暗黙の了解があるのか。それは大変だな』
まるで他人事なブルーの使いのシルフの様子に、ロベリオは呆れ顔だ。
「ここは古竜の知恵でもって大事な主殿をお助けする場面じゃあないのか? 下手して途中で演奏が止まりでもしてみろ。会場に戻ってきたら袋叩きに会うぞ。ましてや演奏する曲が、短縮するのが至難の業と言われているさざなみの調べなんだから、止まる確率はかなり高いぞ」
割と本気で心配しているロベリオの言葉に、ブルーのシルフは笑顔で首を振った。
『心配いらぬよ。そこで安心して聞いているといい。だが、我が主を心配してくれた事には素直に感謝しておこう。レイは良き先輩を持ったな。それから、先程の其方の演奏もなかなかに素晴らしかったぞ』
笑ったその言葉に、ロベリオが驚いたように目を見開いてブルーのシルフを見る。
「そりゃあレイルズの将来には、俺達だって期待してるんだからさ。ああ、そろそろ演奏が始まるみたいだな。では、お手並み拝見といきましょうかね」
神妙な面持ちで舞台に進み出てきたレイを見て苦笑いしたロベリオは万年筆を取り出し、手にしていた金額指定札にかなりの金額を何枚も記入し始めたのだった。
レイが進み出てきた大きな舞台の前では、入札したルークやマイリーを始め、全員が並んで待ち構えていた。
当然だが、全員の手にはすでに金額が記入された分厚い金額指定札の束が握られている。
「さて、彼がどんな演奏を聞かせてくれるのか、楽しみな事だねえ」
表向きこの入札の発起人であるゲルハルト公爵の言葉に、マイリーが横で小さく吹き出している。
「閣下もお人が悪い。いくらなんでもいきなりこの曲は、時間制限付きの舞台初心者のレイルズには難しいのでは?」
呆れたような口調のルークの言葉に、ゲルハルト公爵はにんまりと笑った。
「いや、私は割と本気で、彼が素晴らしい演奏をしてくれるのではないかと期待しているよ。だがまあ、もしも途中で演奏が止まるような事があれば……どうなるかまでは知らないがね」
そう言いながら、少し離れたところに集まっている人達をチラリと横目で見た。
そこには豪華なドレスを身に纏った婦人達の団体が集まっていた。
彼女達は、以前からレイやカウリに何度も嫌がらせをしていた血統主義の婦人達だ。
実は血統主義の集まりの筆頭人物だったラフカ夫人は、現在病気療養中という名目で一の郭の屋敷に謹慎処分となっている。
当初は名目上の病気療養だったが、実際に彼女は精神に異常をきたしている為に日常会話もままならず、屋敷の奥に監視付きで閉じ込められている状態だ。その結果、もう彼女の社交界への復帰は絶望と見られている。
そのせいで彼女の取り巻き達の間で密かな、しかし激しい権力争いが起こり、今はもう血統主義の人達の集まりは完全に崩壊している状態だ。
だが、事件からそれなりに時間が経過した事もあり、いくつかの派閥に分かれてまたある程度の同じ考えを持った人数が集まり始めている。その中でもある程度の人数が集まっているのが、元はラフカ夫人の取り巻きだった、アインリーデル侯爵家のリーゼン夫人を中心にした集まりだ。
今、ゲルハルト公爵が何か言いたげに横目で見たその団体の中心にいた人物だ。
実を言うと彼女達も仲間内でレイルズに相当の金額で共同入札をおこなっている。しかも、指定した曲まで同じ、さざなみの調べ。
当然、こちらは執事からの注進の通りに完全に嫌がらせの意味での入札だったのだが、まさか同じ内容で両公爵をはじめとするあの顔ぶれに入札されていてしかも負けるとは思わず、募金箱に書かれた内容を見て、揃って放心しているところだ。
実は、とある執事からの注進で彼女達の企みを知ったゲルハルト公爵が発起人となり、急遽今回の共同入札を行ったのだが、彼女達はそんな理由を知るわけもなく、実は彼らもレイルズの事が嫌いであんな入札を行ったのだと、勝手に自分達の都合のいい勘違いをしていたのだった。
そんな周りの様々な思惑など知らぬレイは、自分に入札してくれた顔ぶれを赤い腕章をつけた執事からの報告で知り、それはそれは張り切って舞台へ上がったのだった。




