演奏の始まり
「へえ、これが見習いの作ねえ。俺は、楽器に関しては特別目利きってわけじゃあないけど、これはかなり良いものに見えるぞ」
苦笑いしたマイリーが、並んだヴィオラのケースのうちの一つを手に取ってそっと開けた。
「ヴィオラは複数あるから好きに選べるな。アンフィーはどれを使うんだ?」
「あ、あの……良し悪しなど解らぬ素人でございますので、どうぞお先にお選びください」
慌てるアンフィーの答えに、笑って保管の為に緩めていた弓と弦を手早く張り直したマイリーは、手にしていたヴィオラに弓を当てて、試しに軽く音を鳴らしてみる。
ヴィオラ特有の大きくて澄んだ綺麗な音が部屋に響いた。
「おお、良い音ですねえ」
フルートの入ったケースを手にして確認していたカウリが、笑顔でそう言ってマイリーを振り返る。
「ああ、これも新しいから確かに音が少々硬いが、別に演奏の際に問題に成る程じゃあないよ。なかなか良い。こっちはどうかな?」
一旦ヴィオラをケースに戻したマイリーが、嬉しそうにそう言いながら他のヴィオラも取り出して順番に音を鳴らしていった。
アンフィーは笑顔で、そんなマイリーを黙って見つめている。
一通りのヴィオラの音を鳴らし終えたマイリーは、少し考えて、その中から自分とアンフィーのヴィオラを選んで残りを元のケースに戻した。
もう一本の弓もしっかりと張り直してから、アンフィーにヴィオラと弓を渡す。
「ありがとうございます」
笑顔で受け取ったアンフィーも、嬉しそうにヴィオラを構えると弦に弓を当てて軽く引いて試しの音を鳴らした。
先程のマイリーと変わらないような、澄んだ大きな音が出る。
その見事な音を聞いて、その場にいた全員が笑顔で拍手を送った。
「いやいや、俺なんて全然大した事はありませんって。それより俺、この演奏前にしなきゃならない調音があんまり上手くないんですよね」
恥ずかしそうに笑ったアンフィーの言葉に、マイリーが驚いたようにアンフィーを見る。
「確かに、日常的に正しい音を聞き慣れていないと調音はなかなか難しいよな。それなら俺が合わせてやるよ。ああ、だけどケースには音叉が入っていないぞ」
「音叉はこちらの箱にございます。マイリー様、どうぞこれをお使いください」
慌てたようにそう言ったギードが、別の木箱から音叉を取り出して渡した。
音叉は金属製の道具で、軽く叩くと曲がった棒の部分が決められた音だけを鳴らすように作られている。
この音は常に一定で安定している音で、楽器の音を合わせる際の基本となる音となっている。特に、弦楽器には欠かせない道具だ。
「ああ、音叉は別に保管していたんですね。では、ちょっとお借りします」
そう言って受け取り、二丁のヴィオラの音を簡単に合わせていった。それを見て笑顔になったギードは、マイリーの隣にいたレイとルークにもそれぞれ音叉を渡した。受け取った二人も目を閉じて正しい音を聞いてからそれぞれの楽器の音合わせを始めた。
「これでよしっと。うん、大体合わせてくれてあったから、それほど苦労しなかったや」
実はレイも調音が少々苦手で、普段は楽器の管理を担当してくれている執事が、定期的に調音をしてくれているのだ。
「調音も自分でやらないと、いつまで経っても上手くならないぞ。だけどまあこれって案外面倒だから、他の人がやってくれるならお任せしたくなる気持ちは分かるけどな」
そう言って笑ったルークが、レイの頭を突っつく。
専用の道具を使ってこちらも軽々と音合わせをするルークを、レイは目を輝かせて見つめていたのだった。
「どうやら、ずいぶんと立派な演奏会を開催してくれるようだな。楽しみな事だ」
今は閉じられている切り窓に座ったブルーのシルフが嬉しそうにそう呟く。
その隣にニコスのシルフやそれぞれの竜の使いのシルフ達が、いそいそと集まってきて並んで座った。それを見て、他の窓辺にもシルフ達が嬉しそうに集まって座っていた。
「えっと、どうしますか? 練習無しだけど、何か一緒に弾いてみますか?」
竪琴を抱えたレイの言葉にマイリーとルークが顔を見合わせる。
「そうだなあ。アンフィーは誰かと一緒の演奏はした事が無いみたいだから、とりあえず一度マイリーと二人で弾いてみれば?」
「そうだな。ええと、何か譜面を見ないで弾ける曲はあるか?」
マイリーの言葉にヴィオラを手にしたアンフィーが困ったように考える。
「譜面なんて元々見ませんよ。俺が普段弾いているのは、言ってみれば宴会の時に弾くような曲ばかりですって。いわゆる俗曲と呼ばれる戯れ歌や流行歌なんかばかりなんですよね……そうかあ、冷静に考えれば、竜騎士様の弾くような曲は、多分俺は一つも知りませんよ。これはちょっと無謀だったかなあ……」
まるでいつものレイのように眉を寄せたアンフィーが、小さな声でブツブツと呟きながら考えている。
「あ! いつも神殿で歌っている、精霊王へ捧げる歌なら空で弾けますよ」
良い事思いついたと言わんばかりのアンフィーの言葉に、マイリーも笑顔で頷く。
「ああ、それは良いな。じゃあ、合わせてやるから好きに弾くといい」
笑って構えるマイリーの言葉に、一瞬驚いたように目を見開いたアンフィーだったが、満面の笑みで頷いた。
「では、よろしくお願いします!」
そう言ってヴィオラを構えたアンフィーは、軽く足を踏んでリズムを取った後に堂々と弾き始めた。
驚いた事にいつもレイ達が弾いているのと全く同じ旋律で、しかもちゃんと前奏部分から弾き始めたのだ。
それを聞いて満足そうに頷いたマイリーが、アンフィーの演奏に合わせて主旋律を奏でながら時折美しい和音を響かせる。
それを見て満面の笑みになったレイが、ごく軽い音で竪琴をつまびき始めた。しかし、普段の演奏の時のような大きな音は立てずに、あくまでも伴奏に徹してアンフィーの演奏の邪魔をしない。
それを見て笑顔で頷き合ったルークとカウリも、同じく伴奏を弾き始めた。
やや緊張しつつも、きっちりと譜面通りに演奏を続けるアンフィーの周りには、呼びもしないのに集まって来た多くのシルフ達が、笑顔で彼にキスを贈ったり、演奏に合わせて手を繋いで輪になって楽しそうに踊り始めたりしていたのだった。




