ギード
「わはは、お戯れを」
真顔のマイリーの言葉を、しかしギードは一つため息を吐いて笑い飛ばした。
「ワシなんぞ、少々場数を踏んでおるだけの元冒険者にすぎませぬ。武術も格闘術も、誰かに師事したわけではなくただ実戦で覚えた自己流に過ぎません。人様に、ましてや軍人となるお方にお教えするほどのものではございませぬよ。ご冗談も大概になされませ」
「冗談のつもりはありませんよ。ねえギード、改めてお願いしますよ。今の俺の言葉を本気で考えてはいただけませんか? 推薦状ならいくらでも書きますよ」
真顔になった本気のマイリーの言葉に、一瞬目を見張ったギードは泣きそうな顔でそれでも笑って首を振った。
「ありがとうございます、マイリー様。ワシ如きをそこまで評価していただき、心より感謝いたします。ですが、ワシなど所詮は……何者にもなれなかった、中途半端で器用貧乏なだけの死に損ないの男でございます。人様に何か教えるなど、そのような大層なお役目、到底ワシには務まりませぬ。どうかご勘弁を」
ゆっくりと首を振ったギードの言葉に思わず何か言いかけたマイリーだったが、無言のまま自分を見つめてもう一度首を振るギードを見て小さなため息を吐いた。
「わかりました。今のはあなたのご事情を考えない、一方的で考え無しの軽率な発言でした。取り消します。大変な失礼をいたしました。どうぞお許しください」
改まって頭を下げるマイリーの言葉に、ギードが分かりやすく慌てる。
「と、とんでもない。どうぞお手をあげてください、マイリー様! こちらこそ過分なお言葉をいただきながら大変なご無礼をいたしました」
焦ったギードが、そう言ってこちらも深々と頭を上げる。双方が頭を下げたままの奇妙な沈黙が続く。
「えっと……」
戸惑うようなレイの呟きの直後、見学していたバルテン男爵が突然大声をあげてその場にかがみ込んで床にをついて額を擦り付けるようにしてうずくまった。
「申し訳ございませぬ。マイリー様。考え無しはこの私です。どうかお許しを! そしてギード! すまぬ! すまぬ!」
うずくまったまま大声で叫ぶようにして謝るバルテン男爵の言葉に、駆け寄りかけたルークとカウリも戸惑うように顔を見合わせて立ち止まった。
「ちょっと、突然どうしたんですか?」
レイが慌てたようにそう言ってバルテン男爵の元へ駆け寄って起きあがらせようとするが、床にうずくまったまま首を振るバルテン男爵は、レイの力で引っ張っても起きあがろうとしない。
そしてマイリーとギードの二人も、顔を上げこそしたものの戸惑うようにバルテン男爵を見たまま口を開こうとしない。
今度の奇妙な沈黙を破ったのは、カウリの軽い咳払いだった。
「バルテン男爵、とにかく立ってください。それじゃあ話が進まないっすよ」
ごく軽い調子でそう言うと、片手でバルテン男爵の右腕を掴んで軽々と立ち上がらせた。それを間近で見たレイの目が見開かれる。
「し、失礼をいたしました……」
俯いたまままた謝るバルテン男爵を見て、カウリが軽い調子で笑ってその腕を叩いた。
「お気になさらず。どうやら、それぞれに色々とご事情がおありのようだが、互いに思うところも色々とあるようですね。よければ力になりますよ」
笑ってそう言い、もう一度バルテン男爵の肩を叩いてその場に座らせ隣に並んで座る。それを見たルークが黙ってマイリーの手を引いてきてその隣に少し前に進んで座らせ、自分もその隣にバルテン男爵の方を向いて座った。
顔を見合わせて頷き合ったレイとタキスは、まだ立ち尽くしているギードの腕を引いてきてバルテン男爵の隣に座らせ、その隣に並んで座るとちょうど全員で円陣を組むようにして並んで座った形になった。
「改めて、大変失礼をいたしました。先程の一件、私がマイリー様にお願いしたのです。ギードを、オルダムで勤めさせてはもらえぬでしょうかと……」
その言葉に驚くレイをチラリと横目で見たギードが、無言でバルテン男爵の足を蹴る。鈍い音がして、座っていたバルテン男爵がうめき声を上げて足を抱えて後ろに転がる。
「その話なら断ったはずだ。何を勝手な事を」
嫌そうなギードの言葉に、マイリーが小さく吹き出す。
「やっぱりそうでしたか。バルテン男爵からギードを軍部の教官として推薦して欲しいって話を聞いた時、実を言うと俺も思ったんですよね。これ、ギードは了承しているのかなあと」
苦笑いするマイリーの言葉に、何故かルークとカウリが揃って目を見開いて驚いている。
「ん? どうかした?」
それに目敏く気付いたレイだったが、彼らが何を驚いているのかが分からなくて首を傾げる。
「いや、マイリーがその状態で、本当にギードにその話をしたから驚いているんだよ」
ルークの言葉に、レイが不思議そうに目を瞬く。
「あのな、俺達に誰かを推薦して欲しいとか、誰かを推薦するからどこそこで働かせて欲しいなんて頼まれ事は、日常茶飯事なんだよ。だけど、普通は断る。受けるにしても、かなり慎重に事を進めるよ。少なくとも簡単には受けない」
「そうなの?」
「当たり前だろうが。仮に、その本人がどんな人かすらろくに知らずに、ただ頼まれたからって何処かに推薦でもしてみろ。万一そいつが何かやらかしたら、推薦したこっちが責任問われるぞ」
真顔のカウリの言葉に、レイはようやくその意味を理解して納得した。
「俺がギードを推薦しても別におかしくはあるまい? ギードの為人は少なくとも知っているし、何ら問題はなかろうが。それに、これでギードがもしもオルダムに来てくれたとしたら、レイルズだって嬉しいだろう?」
苦笑いするマイリーの言葉に、レイは、もしもギードがオルダムへ来てくれたらと考えて満面の笑みで何度も頷く。
「だが、ギードはそれをよしとしなかった。断られたんだからこれでこの話は終わりだ。まあ、気が変わったらいつでも言ってください。好きなところへ推薦状を書いて差し上げますよ。軍部でも、ロッカのところでもね。ああ、ルークが支援している技術訓練校なんかもいいかもな」
「マイリー、これでおしまいとか言ってる割に、招く気満々じゃねえか」
呆れたようなルークの言葉に転がったままのバルテン男爵が吹き出し、遅れてギードも吹き出す。レイとタキスも吹き出し、その場は笑いに包まれたのだった。
「まあ、この辺の詳しい話は夕食の後に酒でも飲みながらしましょう。こういう事は、腹ん中にいつまでも置いておくほうが問題ですよ。言いたい事はお互いに言葉に出して言わないとね」
笑いが収まったところで、一つため息を吐いたカウリが口を開いてバルテン男爵の背中を叩いた。
「ねえギード、貴方が今のご自分に価値を置いていないんだって事は分かりましたが、俺も含めて少なくともここにいる全員、そうは考えていませんよ。もう少し、ご自分の価値についてはお考えになった方がいいと思いますけれどね」
優しいカウリの言葉に、ギード以外の全員が揃って頷く。
無言で顔を覆って頭を下げるギードの背中を、レイは黙って抱きしめたのだった。




