遅い昼食と寝癖で大笑いした話
「おお、いい香りだ」
着替えと左足のマッサージを終えたマイリーと一緒に、レイは居間へ戻った。
ルークとカウリは一旦自分に用意された部屋に戻り、本当にすぐに着替えて居間へやって来た。
来るのがあまりに早くて驚くレイを見てカウリが小さく吹き出す。
「一般兵は、着替えも早いんだぞ。こういう所は、俺は無駄に習慣として残ってるよなあ」
「俺もそうだなあ。ハイランドでやんちゃしていた頃の習慣で、気をつけていないとすぐ早食いになるし、着替えも早いぞ」
「確かに。俺も第一部隊にいた頃は着替えなんて本当にすぐ終わっていたなあ」
すすめられた椅子に座ったマイリーも、二人の会話を聞いて面白そうに笑っている。
「レイ、これとこれ。どちらももう出来上がっているから、お皿に取り分けてくれるか」
大きなフライパンを持ったニコスの言葉に、机の上に積み上げられたお皿を見たレイが笑顔で返事をしてフライパンを受け取って机の上に置かれた鍋敷きの上に置いた。
それを見たギードが、窯の横に設置されている網棚から並べてあった焼きたてのパンをカゴに入れて机の上へ持って来る。飲み物はりんごのジュースが用意されている。
「お昼は、黒頭鶏の目玉焼きに燻製肉添え。付け合わせは酢漬けのキャベツと香草のあえもの。それからじゃがいもとにんじんのソテーでございます」
並べたお皿にフライパンから目玉焼きを取り分け、もう一つ渡されたフライパンから手早くじゃがいもとにんじんのソテーも取り分ける。
お皿の横に置いてあった大きなお椀から、酢漬けのキャベツと香草のあえものを大きな匙ですくって目玉焼きの横に盛り付けて、あえものの上に炒って砕いた胡桃を散らせば昼食の準備は完成だ。
出来上がったお皿をそれぞれの席の前へ並べていく。
「お待たせいたしました。ではどうぞお召し上がりください」
マイリー達三人に向かって執事の真似をして優雅に一礼するレイを見て、三人が揃って吹き出し、遅れてタキス達も揃って吹き出す。
「上手いぞレイ。完璧だ」
「お褒めいただくほどの事ではございません」
拍手をしながら笑ったニコスの言葉に笑顔で首を振り、今度はニコスに向かってもう一度優雅に一礼したレイは、顔を上げてとうとう堪えきれずに吹き出した。
「ああ、最後は残念でした。ここは完璧に顔を作らないと。執事は、たとえ何が起ころうともそんな風に笑ったり、ましてや吹き出したりするなんて絶対に駄目なんだぞ」
笑って首を振るニコスの言葉に、もう一度ルーク達が揃って吹き出す。
「確かにそうだよなあ。本部の執事達も、普段の給仕中なんかには絶対に笑わないよな。だけど、この間の事件の時には彼らも一緒になって大笑いしたんだよなあ」
「そうそう、あれはもう最高だった」
笑ったルークの言葉にカウリとマイリーが揃ってうんうんと頷くのを見て、ニコスが驚いて目を見開く。
今の話の本部の執事とは、竜騎士隊の本部に仕えている執事達の事だろう。だが、竜騎士隊の本部にいるのは、間違いなくお城に大勢いる執事達の中でも、選りすぐりの超一流の人達のはずだ。
その一流の執事達までもが一緒になって大笑いをした?
意味がわからなくて一人混乱するニコスを見て、彼の混乱が手に取るように分かるマイリー達三人がまた揃って吹き出す。
「その話なら、あとで全部説明して差し上げますよ。それよりまずはいただきましょう。このままだとこれが夕食になってしまいそうだ」
まだ笑っているルークの言葉に我に返ったニコスが頷き、無言の譲り合いのあと、タキスが代表して食前の祈りを唱え、ようやく食事の時間になったのだった。
「ううん、雑穀入りのパンも、本部の食堂で出るのと全然違うな。めちゃくちゃ美味い」
「確かに全然違うよな。何ていうか……甘みがあって本当に美味しい」
パンを食べていたカウリの感心したような呟きに、顔を上げたルークも何度も頷いている。
「確かにニコスが焼いてくれるパンはどれも美味しいよね。何が違うんだろう?」
レイも半分にちぎったパンを見ながら首を傾げている。
「俺は、レイが普段食べている竜騎士隊の本部にある食堂のパンの味を知らないから、どちらが美味しいかは言えないけどなあ。一応パンの味の違いは小麦そのものの味の違いと、それから種菌、つまりパンを発酵させるための酵母菌の違いが大きいと言われているなあ」
「酵母菌って、地下の食糧庫の戸棚に並んでいるあれの事?」
そう言いながら、レイが両手で大きな瓶の形をなぞってみせる。
「そうそう。俺は基本的には数種類の干しブドウとリンゴ、それからヨーグルトなんかで種類の違う自家製酵母をいくつも作って、それらを混ぜて使っているからなあ。季節によっては配合を変えたり、焼くパンによって酵母菌を使い分けたりもしているんだぞ」
当然のようにそう言って笑ったニコスの言葉に、ルーク達が感心したように揃って声を上げる。
「へえ、自家製酵母。それは俺も見た事が無いなあ」
「あれ? そうなんだ。俺は辺境農家の出身だから、家で自家製酵母は普通に作っていたぞ。ルークが知らないのはちょっと意外だな」
驚いたようなカウリの言葉に、ルークは苦笑いしながら肩をすくめた。
「一応、ハイランドはスラムとはいえ街の中だったからな。俺が住んでいたボロ屋には、そもそもパンを焼く窯なんて無いって。パンを食えたのは、神殿の配給品を貰えた時くらいだったなあ。まあ、子供の頃は配給品のカチカチの不味い黒パンや雑穀パンがたまにあったくらいで、こんな柔らかくて美味しいパンを食えるようになったのは、ある程度デカくなってからだなあ」
お皿に半分残った柔らかいパンを見て、ルークがそう言ってそっとパンを撫でる。
「余りあるくらいに食べ物がある今の生活に感謝しないとな。ましてやその食べ物がこんなに美味しいんだから、残したりしたら罰が下るぞ」
「もちろん残したりしません!」
即座に応えたレイの言葉に、皆それぞれの幼い頃を思い出して、さまざまな思いのこもった笑いをこぼしたのだった。
食事の後、紅茶とカナエ草のお茶を頂きながら、先程の話の執事達までが一緒になって大爆笑をしたレイが遠征訓練から戻った翌日の寝癖事件の事と、その翌日に、レイの寝癖を見て笑うかどうかでルークとマイリーが賭けをして、その結果負けたマイリーの奢りでその夜に皆で年代物の四十五年もののグラスミア産のウイスキーを飲んだ話がルーク達の口から語られ、ここへ来てからの毎朝の寝癖見学会の話まで出て、またしても皆で涙が出るまで笑い合ったのだった。




