夜の語らい
一方、レイと別れて蒼の森へ戻ったブルーだったが、自分の寝ぐらである泉へは戻らずに、もう一度大爺の元を訪ねていた。
そして眠ったはずの大爺も、光の精霊が灯してくれる薄明かりの中を当然のように起きてブルーの訪れを待っていたのだった。
「何度もすまぬ。だが今回の一件、聞いておかねばならぬ事が多すぎる」
草原に降り立つなり言ったやや不機嫌そうなブルーの言葉に、しかし大爺は笑う事も文句を言う事も無かった。
『ふむ、我にとっても今日の出来事は……少々急に過ぎたわい。落ち着いて検証する必要があるだろうな』
目を閉じた瘤が頷くようにゆっくりと上下する。
「全くだ。まず、森の乙女についてだが、起きてしまったものはもうどうしようもなかろう。今更、もう一度精霊の岸辺へ追いやるわけにもいくまい。少々癪ではあるが、レイのペンダントの中に入れば彼女は安全だ。あの石の中で好きなだけ眠っていてもらおう。ついでに言わせてもらえるなら、あと百年ぐらい眠っていてくれ」
嫌そうに鼻に皺を寄せてそう言ったブルーの言葉に、目を開いた大爺の瘤は笑い出した。
『相変わらずだのう。まあ、喧嘩するほど何とやら、と申す故、これ以上は、問題が出ない限り、我は関わらぬよ。好きにするが良い』
無言で頷くブルーを見て、大爺も無言になる。
「して、大爺にもう一つ問いたい。何故、あの男の話をレイに聞かせた?」
低い、しかし問い詰めるかのようなブルーの強い声に、大爺はためらうようにゆっくりと目を閉じた。
『知識はいくらあっても邪魔にはならぬ。主殿は、間違いなく、いずれこの大いなる時の流れの中にて、潮の変わり目の一つとなるであろう重要な存在だ。故に、教えたまでの事』
息を呑むブルーに、目を閉じた大爺の瘤がゆっくりと左右に振られる。
『森の賢者だなどと言われたところで、我は所詮はここを動く事すら出来ず、ただ見届けるだけの傍観者でしかない。何も出来はせぬ……何も、な……』
諦観のにじむ大爺の静かな言葉に、口を開きかけたブルーも黙る。
しばしの沈黙を破ったのはブルーだった。
「ふむ、大爺の心配は何処にあるのだ? 先ほどの大爺の昔語りが真実あの通りであるのならば、封印しただけではいずれ復活すると思われていた闇の冥王が、実質消滅したのだ。我の知識では、これは事実上の人の側の勝利ぞ。何が問題だ?」
不審そうなブルーの問いに、大爺の瘤が目を開く。
『人の子の視点で見れば、確かにそうであろう……だが、我らの、幻獣や精霊達のような長き時を生きるものからの目で見れば、それは同時に新たな問題が起こったのと同じ意味を持つ』
「新たな問題、とは?」
問いただすようなブルーの言葉に、大爺の目が再びゆっくりと閉じられる。
『何故其方がこれに気付かぬ? それはつまり、闇の冥王がいずれどこかに新たに誕生する可能性が現れた。という事だよ』
息を呑むブルーに、目を閉じた大爺の瘤がゆっくりと頷くかのように上下する。
『人の子として生まれるのか、あるいは精霊の姿をして精霊界へ生まれるか。あるいは何らかの幻獣の姿をまとい生まれるのか、それは誰にも、それこそ冥王自身にも分からぬ。だが、あれとても大きな目で見れば間違いなく輪廻の輪の一員ぞ。いずれどこかへ魂の形を変えて生まれ落ちる。その時が今すぐなのか、それとも千年後なのかは……誰にも分からぬ。そして生まれ落ちたそれが以前と同じ冥王として目覚めるのかどうかも、同じように誰にも分からぬ。何も起こらず命を全うし、穏やかなままに輪廻の一部と成り果て、本当に消えゆく可能性も……無きにしも非ず』
「な、何だと……」
うめくようなブルーの声が、光の精霊達が照らす草地に響く。
「それが目覚めるのが、いずれ来る嵐の時、か?」
探るようなブルーの言葉に、大爺はゆっくりと首を振る。
『あれとは全く別の話じゃ。だが、そちらの方が……人の子の視線で見れば危険度は高い……と、我は思うておるぞ』
また沈黙が落ちる。
「成る程。となると当面の危険は、やはりタガルノの地下に巣食う、あれ、か……」
『いかにも。だが、それは少なくとも今では無い。故に、こう言わざるを得ぬ。いずれ来る嵐の時に備えよ、とな』
大爺の言葉にブルーが頷く。
「理解した。となれば我がする事はさほど変わらぬな。感謝する、大爺。今は愛しき主の成長を見守り、精霊達の目を各地に飛ばして危険の芽を出来うる限り摘む事と致そう」
静かなブルーの言葉に、大爺の瘤がゆっくりと上下する。
『今はそれで良かろう。また何ぞあらばいつなりと尋ねて来るが良い。必ず力になろう』
「了解した。では我は泉へ戻る。雪の褥に包まれてゆるりと休まれるがよい」
優しいブルーの声に、大爺の瘤がゆっくりと巨大な幹に吸い込まれるようにして戻っていく。
光の精霊達が、まるで挨拶をするかのように瞬き、それから次々に消えていった。
頭上を見上げたブルーは巨大な翼を開いてゆっくりと上昇すると、今度こそ森の泉へと戻って行ったのだった。




