人の子と大爺
『彼は言うた。己は、ここへ死ぬ為に来たのだと』
大爺の言葉に、レイが目を見張る。
『さもありなん』
しかし、一緒に聞いていたブルーは納得するかのようにそう言って大きく頷いた。自分を見上げてさらに驚くレイを見て、ブルーが面白がるように喉を鳴らす。
『今でこそ蒼の森と呼ばれておるが、そう呼ばれるようになる前ここは長い間、迷いの森、あるいは人喰いの森、と呼ばれて恐れられていた。辺境の地には今でもそう呼ぶ者も多い。其方とて、ゴドの村に住んでいた頃には、森の奥へは決して入るなと、大人達から嫌になる程言われておったであろう? それはつまり、迂闊にこの森に足を踏み入れれば、森に喰われて戻って来られぬからだと長い事言われていた故だ。まあ実際にその通りであったしな。その彼が故意に、自らの意思で森へ入って来たのだとしたら、そう言うのはある意味当然であろう』
絶句するレイを見て、ブルーは鼻先をレイの背中にそっと擦り付ける。
『思い出してみよ。其方の家族の黄色い髪の竜人。彼がご子息を失い全てに絶望した傷心の身で彷徨い歩いた末にここへ辿り着いたのは、己の死地を求めての事。あのドワーフも言うておったであろう? 己の過ち故に全てを失い、絶望して己の死に場所としてここを選んだのだと。黒髪の竜人とて、彼の主人であったオルベラートの貴族がこの地へ来たのは、勘違いの冒険を求めての事。つまり、自殺志願者か余程の馬鹿か酔狂者でない限り、そもそもこの森へ入ろうなどとは考えぬさ』
「うう、それはそうかもしれないけど……ああ、ごめんなさい大爺。話が全然進まないね」
そこまで言って、大爺が面白そうに自分を見つめているのに気がついたレイが、慌てたようにそう謝って座り直す。
『ほ、ほ、ほ、構わぬ構わぬ。その無邪気な反応を見て、主殿は正しく人の子なのだと納得しておるわな』
こちらも面白がるように笑いながらそう言われてしまい、レイも小さく笑って大爺を見上げた。
『まあ、その時の我は、少々退屈しておった。なので、ほんの好奇心から、その者をしばし森に留める事とした。すると、彼はそこに転がって、あっという間に眠ってしもうたのだ』
「死にに来たと言う割に、図太い奴よのう」
笑ったブルーの言葉に、レイも同じ事を考えていたので一緒になって笑いながら頷く。
「確かにそうだよね。えっと、だけど精霊魔法訓練所の歴史の先生が言っていたよ。眠る事と食べる事は、生きる為の本能的な欲求だから、何があっても消えないんだって」
「まあ、確かにそうだろうな」
笑ったブルーは何か言いたげだったが、視線を大爺に戻して無言で先を促した。
『急に静かになる故、我は少々驚いたさ。いきなり死んだのか? とな。翌朝、起き出した彼は、ウィンディーネ達が出す良き水を飲み、ノーム達が届けたツルコケモモの実を、酸っぱいと散々文句を言いつつ、しっかり食べておったわ』
懐かしそうにそう言った大爺は、まるでその時の事を思い出すかのように瘤の目を閉じてゆっくりと笑った。
『それから我と彼は、沢山の話をした。我は、外の世界の様子や、人の子の考え方を知りたがり、彼は、この世界の成り立ちと真理、そして精霊達や幻獣について、知りたがった。互いが求める答えを、それぞれに持ちあわせておった我らは、時を忘れて語り合った』
『そのうちに、ノーム達が彼の為に、どこからか焼き締めたパンや干し肉を手に入れてきた。やがて彼は、時折森へ出て、小さな鳥や兎を狩るようになった。ノームの技で落とし穴を掘り、シルフ達のカマイタチで、飛んでいる鳥を落としたりしたのだよ』
「へえ、それも凄いね。良かった。じゃあその彼は、死ぬのをやめてここで暮らすようになったんだね」
無邪気に感心するレイの言葉に、大爺の目の瘤は、まるで首を振るかのようにゆっくりと左右に動いた。
『だが、彼は家を建てようとはせなんだ。いつもそこの草地へ転がり、マントを羽織って平然と眠り、時に我の目の前で、狩ってきたものを食べもした。肉は、焼かねば人の子には食えぬのだと、確かその時初めて知ったのう』
「そっか。森にいる野生動物達は火は使わないものね。えっと、大爺は火蜥蜴達とはお話ししないの? あの子達なら、人が火を使ってお料理するのを知っているでしょう?」
周囲に集まっている大勢の精霊達を見回して首を傾げる。この森にだって火蜥蜴は多くいるし、今だってあちこちの草地に隠れるようにしてこっちを見ている。
『もちろん、人の子が、火を使って料理とやらをするのは、知っておる。だが、それがどのようなものなのかは、我は知らぬな』
笑った大爺の言葉に、レイも先程の自分とのやりとりを思い出して小さく吹き出す。
「そうだね。大爺は僕がしているような食事はしないって言っていたものね。知識として知っていても、料理がどんなもので、どうやって食べるかまでは知らなかったんだ」
面白そうなレイの言葉に、大爺の目が細められる。
『しかりしかり。しかも、彼が我の目の前で、初めて肉を焼いた時、興味津々で見ておったらこう言われた。よかったら一口食べてみるか? とな』
まさに、先程自分が言った通りの言葉だ。吹き出すレイを大爺は愛おしげに見つめている。
『我と彼は友達となった。彼がそう言うてくれたのだ。友達だよ。とな』
「よかったね」
無邪気に喜ぶレイの言葉に、大爺はまた目を閉じる。
『だが彼は冬が来る前に、街へ戻った。我が勧めたのだ。ここは雪が多く降る故、人の子にはちいと寒すぎると言うてな。彼は、最初は嫌がっておった。だが、初雪が降る前に、あまりの寒さに街へ戻ると言った。春にはまた来ると。そう言い残してな』
「確かに、蒼の森の雪の量は街とは違うものね。家も建てなかったんだとしたら、そりゃあ人間がここで過ごすのは無理だね」
納得するレイだったが、次の大爺の言葉で絶句する事になった。
大爺はこう言ったのだ。
『翌年、雪が溶け始めた頃に彼は戻って来た。大勢の兵隊を引き連れてな』と。




