ブルーと大爺
「ねえブルー、それで一体何があったの?」
悠然と翼を広げて蒼の森の上空を飛ぶブルーの背の上で、レイは小さなため息を吐いてそっとブルーの首元を軽く叩いた。
「ふむ、すまぬがちと待ってくれるか」
苦笑いするようなブルーの言葉に、分らないなりにレイは小さく頷いた。
「上空はさすがにちょっと寒いね。えっと、火蜥蜴さん、出てきてくれるかな」
襟元を合わせて軽く身震いしたレイの言葉に、すぐに火の守り役の火蜥蜴が現れてきていそいそとレイの胸元に潜り込んだ。
「ありがとうね。暖かくなってきたよ」
そっと胸元を押さえて笑ったレイの周りには、いつものようにシルフ達が大勢集まっている。
しかし、今の彼女達はいつものように笑いさざめく事も手を取り合って踊る事もせずに、やや心配そうに黙って見つめているだけだ。明らかに様子がおかしい。
そんな彼女達のいつもとは違う様子に気が付いていたが、レイは特に何も聞かずに黙っている。時折下を見て、今飛んでいる場所が森のどの辺りなのか知ろうとしていた。
「あれ、もしかしてここって……」
しばらくして、眼下の森に見覚えのある場所を見つけて、思わず身を乗り出すようにして下を見下ろした。
「レイ、危ないからあまり下を見ぬようにな。落っこちても知らぬぞ」
呆れたようなブルーの声に、慌てて座り直す。
もちろん、ブルーの背の上にいて落ちるわけはないと思っているが、それでも危ない事には違いはない。
眼下の大きく盛り上がった巨大な木々の一部がゆっくりと開くのを、レイは言葉も無く見つめていた。
その開いた場所に、軽く翼を畳んだブルーがゆっくりとそのまま降下していく。
普通の空を飛ぶ鳥ではあり得ない、精霊達の補助を用いて空を飛ぶ竜ならではの動きだ。
ブルーがゆっくりと草地に降り立ったのを見て、レイもその背から飛び降りた。
当然のようにシルフ達が補助してくれて、ふわりと着地する。
「大爺、すまぬが緊急事態だ。起きてくれ、大爺!」
ブルーの大声が、静まり返った木々の空間に轟くように響わたる。
『……一体、何事ぞ。騒がしい……』
ブルーの大声の反響が消える頃、目の前に聳え立つ巨大なオークの樹から幹にある巨大な瘤が剥がれるように動き出して太い枝ごと瘤がこちらにやってきた。
瘤の真ん中部分がゆっくりと開き、巨大で真っ黒な目がブルーの側に立つレイを見る。
「えっと、お久し振りです、大爺。せっかくぐっすりお休みだったのに、ブルーが無理矢理起こしちゃってごめんなさい。あ、違った。申し訳ありません」
まるで品定めするかのように無言で自分を見つめるその巨大な瞳に向かって、間がもたなくなったレイは申し訳なさそうにそう言い、慌てて言い直した。
『ふぉっふぉっふぉっ』
言い間違えて慌てているレイの様子に、突然大爺が笑い出す。
『なんと、なんと、あの幼かった主殿か。あまりに大きゅうなった故、すぐに気付かなんだ。なんとまあ、人の子の、成長は、早いものよのう……』
感慨深げにそう言って、まるで頷くかのように目を閉じた巨大な瘤がゆっくりと上下する。
『して、一体何事ぞ?』
レイの後ろで手足を丸めて座ったブルーの目の前まで、巨大な幹の目が近付いていく。
「大爺よ、森の乙女が目を覚ましておる。時が満ちておらぬ今この時期に、何故彼女が目を覚ますのだ?」
明らかに咎めるような口調のブルーの言葉に、レイが驚いてブルーを見上げる。
しかし、言われた大爺の目も、同じくらいに驚いたようで大きく目を見開いた。
『今、今なんと言うた。森の乙女が目覚めておると?』
大爺にしては、かなりの早口でそう言い、それっきり無言になる。
ゆっくりと動いた大爺の瞳を持つ瘤が、レイの頭上にいたシルフ達を睨みつけた。
そして静まり返った草地に、低い大爺の声が響く。
『シルフ達よ。其は誠か?』
すると、周りにいた大勢のシルフ達は、まるで悪戯が見つかった時の子供達のように慌ててその場から飛んで逃げようとした。
しかし、突然周囲に数えきれない程の光の精霊達が現れ、彼女達を取り囲んでしまった。普段は、とても仲の良いシルフと光の精霊達だが、今この時だけは違っていた。
無言で自分達を睨みつける光の精霊達と大爺の瞳に、怯えたように寄り集まってひと塊になるシルフ達。
しかも彼女達は、塊の外側にいたくなくて何とかして中へ潜り込もうとし、塊から弾き出された子達がまた慌てたように中へ潜り込む事を繰り返した為に、なにやら外から見れば妙に楽しそうな状態になってしまっていた。
しかし、そんな彼女達を見ても誰も笑わないし、誰も止めようとしない。そして笑顔が絶えないいつもの彼女達と違って、逃げ惑うその表情は怯えきっていて恐怖のあまり泣きそうになっている子達もいる程だ。
全く状況が分からなくて大人しく見ていたレイだったが、シルフ達のあまりに怯えたようなその様子を見て、とうとう我慢出来ずに口を開いた。
「ねえ、大爺。僕にはよく分からないけど、どうか彼女達を叱らないでやってください」
しかし、大爺はその言葉には全く反応せずシルフ達を睨みつけたままだ。
「ねえブルー、その、森の乙女って誰の事なの?」
しばらく待っても無反応のままシルフ達を睨みつける大爺から答えをもらうのを諦めたレイは、頭上のブルーに質問する。
すると、戸惑うように大きなため息を吐いたブルーは、その太くて長い首をすぐ側まで伸ばしてレイを覗き込んだ。
「其方と一緒に金花竜達を上の草原まで連れてきてくれた、あの大きな古代種のシルフの事だよ」
何故か嫌そうにそう言ったブルーは、大きな顔を上げて頭上を見上げた。何となくレイもそれに倣う。
大爺の瘤がゆっくりとそれに釣られて頭上を見上げた時、ブルーが口を開いた。
「森の乙女よ、聞いておるのであろう。いいからとにかく出て来い。其方と話をせねばならぬ」
ブルーの、聞いた事が無いほどの嫌そうなその声にレイが無言で驚いていると、ブルーのすぐ目の前にあの大きな古代種のシルフが突然現れた。
そして、これ見よがしに腕を組んでこう言ったのだ。
『何よ相変わらずの怒りん坊達』
『ちょっと早起きしたくらいで怒らないでちょうだい』と。




