ワインと笑顔
「ううん、これは美味しいですねえ。確かに、濃厚な赤鹿の熟成肉との相性も完璧です」
レイが選んだ今年の新酒の赤ワインを口にしたタキスの感想に、全員が同意するように大きく頷く。
「実は、さっきこのワインを選んだ時に言った、新酒特有の軽やかさが……ってあの説明なんだけど、あれって僕が以前参加した夕食会で赤鹿の熟成肉が出た時に、ワイン担当の執事がしてくれた説明そのままなんだよね。ちょうど新酒が出回る時期だったから、新酒のない時期にはこれ、新酒がある今の時期ならば是非こちらを、って感じですごく詳しく説明しながらおすすめしてくれたの。それでちょうどギードが持ってきた箱の中にそのワインが有るのに気付いたから、それを選んで聞いた通りの説明をしただけなんだよね」
レイもワインを一口ゆっくりと口に含んで飲み干してから、少し恥ずかしそうにそう説明した。
「ああ、成る程。だけど、一度聞いただけでワイナリーの名前からワインの味わい、料理との相性まで全部完璧に説明出来ていたんだから大したもんだよ。冗談抜きで、俺は聞いていて本気で感心したぞ」
元執事のニコスに笑ってそう言われて、レイも嬉しそうに笑ってグラスを掲げる。
「勉強家のレイに乾杯!」
笑ったニコスの声に、当然のように全員がグラスを掲げて乾杯したのだった。
「料理上手なニコスに乾杯! 今日もすっごく美味しいで〜す!」
負けじとレイも、グラスを掲げて大きな声で乾杯する。
「確かにその通りだな。料理上手なニコスにも乾杯!」
うんうんと頷いたギードの乾杯の声にタキスとアンフィーも笑って何度も頷き、また揃って笑顔で乾杯したのだった。
「ごちそうさま。すっごくすっごく美味しかったです!」
隣に座ったギードに次から次へとワインを勧められてしまい、食事を終える頃にはレイはもう耳まで真っ赤になってしまっていた。
しかし、一応意識はしっかりしているみたいでご機嫌でニコニコしつつもまだ普通に話は出来ている。若干、動作が大振りで声が大きい事を除けば、だが。
「もう、僕にばっかり飲ませてないで、ギードも飲みなさい!」
グラスを置いたレイが、ギードの手から開いたワインの瓶を奪い取ってギードのグラスにまたしても並々と注ぐ。
「ほら、ニコスももっと飲んで!」
向かいに座ったニコスのグラスが空いているのに気付いて、満面の笑みでそう言いながらこれまた並々と注ぐ。
それから、タキスとアンフィーのグラスにもこれまた並々と注いでいく。
二人は、中身の多すぎるワイングラスを手に苦笑いしつつも嬉しそうにまた飲み始めた。
「全く何やってるんだよ。レイ、いいか、ワインを注ぐ時はもっとこうやって静かに少しずつ注ぐんだぞ。適量はこれくらいだよ」
レイの腕からワインの瓶を奪い取ったニコスが、そう言ってゆっくりと立ち上がってテーブルを見回し、いつの間にか空いていたタキスのワイングラスに注ごうとして手を止める。
「なんだよ、もう空じゃあないか。それなら飲んだら次を開けないとな」
にっこりと笑って嬉しそうにそう言い、並々と注がれたワイングラスを嬉しそうに手にした。
何故か目の前にいつの間にか置かれていたまだ未開封のワインの瓶に目をやる。
これは、レイが来たら飲もうと言ってギードが少し前に持って来て棚の上に飾っていた、ヴィンテージと呼ばれる年代物のワインだ。
「では、次はこれを開けるとしようか。ああ、いいねえ。これは食事の後にゆっくりといただくには最高の選択だな。こちらはグラスミアのアデリー工房の最高と名高い年代である三十五年物です」
嬉しそうにそう言い、最後は恭しい執事の口調になってワインの説明をしてから、ゆっくりと全員にラベルを見せたニコスは、瓶を立てたままで手慣れた仕草で綺麗に蝋を掻き落として軽々とコルクを抜いて見せた。
それを見て、全員がグラスに残っていたワインを飲み干す。
ニコスが全員のワイングラスに、今度は適量のワインを順番にゆっくりと注いでいく。最後にギードがワインの瓶を受け取り、ニコスのグラスにも同じくらいの量のワインをゆっくりと注いでやる。
ヴィンテージのワインは瓶の底に澱と呼ばれる濁りのようなものが出るので、瓶は極力揺らさずにゆっくりと注ぎ、澱を瓶の底に残さなければならないのだ。ニコスだけでなく、酒好きなギードも当然その事を知っていたので、このワインの扱いは他とは全く違っていてとても丁寧だ。
「未来ある若者のこれからと森の平和を願って、乾杯!」
無言の譲り合いの後、立ち上がったタキスの乾杯の声に、今度は全員が真顔で乾杯した。
レイも真剣な様子で乾杯をしてから、ゆっくりとワインを口に含む。
「うわあ、これは美味しい」
思わず声が出るくらいに芳醇な味わいが口いっぱいに広がる。
「ああ、これは本当に当たりだな。いやあ、なんとも贅沢な事だ」
同じくワインを口に含んだギードが、心底嬉しそうにそう言ってそっとテーブルに置かれたワインの瓶を撫でる。
「レイのおかげで、我らまで贅沢をさせてもらえるのう。ヴィンテージワインで名高いグラスミアのアデリー工房の、しかも当たり年だと伝説のある三十五年物に本当にお目にかかれる日が来ようとはなあ」
しみじみとしたギードの呟きに、アンフィーも満面の笑みで大きく頷く。
「全くですよ。俺なんてここへ来て、生まれて初めて年代物と呼ばれる本物のワインやウイスキーをいただきましたからね」
「これくらい、いつでも届けてあげるよ。どうか遠慮無く飲んでね」
真っ赤な顔でそう言って笑ったレイの言葉に、全員が揃って無言でグラスを掲げたのだった。
『ふむ、どうやら今夜は我の出番は無さそうだな。平和で良い事だ』
戸棚の上に座ったブルーのシルフの面白がるような呟きに、隣に並んで座っていたニコスのシルフ達も笑っている。
『ニコスも楽しそう』
『彼が以前の仕事振りを』
『あんなふうに冗談めかして誰かに見せるなんてね』
『以前では考えられなかった』
『もう彼の心の傷もすっかり癒えたみたい』
『よかったよかった』
『よかったよかった』
知識の精霊達は、長い間一人で苦しんでいたニコスの心に負った傷の深さをよく知っている。
今の彼の屈託のない笑顔を見て嬉しそうにそう言った彼女達は、揃って何度も何度も笑顔で頷き合っていたのだった。




