夕食準備とワイン選び
「大好きだよ、皆。もう、ほら泣き止んでよ」
もう一度笑ってそう言って力一杯四人を抱きしめてから軽く叩いたレイは、無言のまま抱きついてくるタキス達のつむじに、順番にそっとキスを落とした。
同じく俯いていたつむじにキスを贈られて恥ずかしそうに小さく笑ったアンフィーが、ゆっくりと手を離して下がる。
それに気付いて、ようやく泣き止んだ三人も少し恥ずかしそうに俯いたままゆっくりと離れた。
それを見てレイが口を開こうとした瞬間、唐突にレイのお腹が大きな音を立てて鳴った。
一瞬でしんみりしていた空気が弾け飛んで消えてしまい、全員揃って堪えきれずに大きく吹き出す。
「だ、だって! お腹空いたなって思ったらさあ!」
真っ赤になったレイの言い訳に、また全員揃って笑い出した。
「了解だ。それじゃあ一旦部屋に戻って着替えてきてくれ。大急ぎで夕食の準備をするよ」
「あはは、お願いします!」
嬉しそうに笑ったレイの返事に、もう一度ニコスが吹き出しながら先に駆け足で訓練場から出て行った。
「はあ、いやあ泣いたり笑ったり忙しいのう」
笑いすぎて出た涙を拭いつつ、ギードがそう言って壁面に使ったトンファーや棒を軽く布で拭って戻していく。それを見たレイが慌てたように駆け寄って手伝い始め、顔を見合わせたタキスとアンフィーはそんな二人を残して一旦部屋へ戻って行った。
それからレイは、ギードと手分けして訓練場の床をしっかりと布で拭き、ピカピカになるまで綺麗にしてからそれぞれの部屋に戻った。
軽く湯を使って汗を流して改めて普段着に着替えてから居間へ向かう。
「ねえ、ニコス。何かお手伝い出来る?」
居間にはアンフィーとタキスが先に来ていて、アンフィーは芋の皮剥きを終えて散らかった皮を片づけているし、タキスは右手にパドルを持ったままで壁に作り付けられた窯を覗き込んでいる。
「ああ、それじゃあお皿やカトラリーを出しておいてくれるか。今日はレイがお土産で持ってきてくれた赤鹿の熟成肉を焼くから大きい方の平皿を頼むよ。それからスープもあるからな」
「はあい、じゃあ用意するね」
元気に返事をして、パンを焼いている窯の反対側の壁に作り付けられている食器棚の扉を開けた。
「えっと、平皿とスープボウル。それからカトラリーはこっちだね。ねえ、グラスはどれを出すの?」
「ああ、ギードがワインを持ってきてくれるから、いつものワイングラスを出しておいてくれるか」
笑ったニコスがそう言った直後に、大きな木箱を抱えたギードが居間に入ってきた。
「ああ、言ってくれたら運ぶのを手伝ったのに。重かったでしょう?」
持っていたワイングラスをテーブルに置いたレイが、慌てたようにそう言ってギードに駆け寄る。
「おう、それほど重くは無いからこれくらいなら大丈夫だよ。さて、今夜は何を飲もうかのう」
笑いながらそう言って、先ほどレイが開けた食器棚の隣にある別の戸棚を開いた。
「あれ? ここにあったワインは?」
確か昨日は、ここに何本ものワインが並んでいたはずだ。
「誰かさんがご機嫌でぐいぐいと飲むものだから、つい調子に乗って次から次へと開けてしもうてなあ。気が付けば、いつの間にやら在庫が見事に駆逐されておったのだよ。ほんに、誰がそんなに飲んだのであろうなあ?」
「そうだねえ。一体誰が飲んだんだろうねえ」
からかうようなギードの言葉に、レイは吹き出しかけてぐっと飲み込み、素知らぬ顔でそう言って首を傾げて見せた。
「全く、誰が飲んだのであろうなあ」
同じく大真面目にもう一度そう言ったギードは、今にも笑いそうになっているレイを見てとうとう堪えきれずに笑い出した。
遅れてレイも吹き出し、そのまま二人揃って大笑いになった。
「何やってるんだよ。もう肉を焼くんだから早いところワインを決めてくれ」
フライパンを手にしたニコスが振り返りながらそう言い、今度はタキスとアンフィーまで加わってまた大笑いになる。
「全く、いつまでたっても食事が出来ないぞ〜〜〜」
分厚く切った鹿の熟成肉をフライパンに並べながら文句を言いつつも、ニコスも楽しそうに笑っている。
「では今夜の一番最初はこれがよろしいかと。ミストレイ随一のワイナリー、パティリス工房の今年の新酒の赤ワインです。新酒特有の軽やかな酸味と爽やかな喉越し。特に、濃厚な味わいの狩猟肉の熟成肉と相性は抜群で、おすすめでございます」
いくつか並んだワインの中からレイが一本取り出して両手で持ち、ラベルをギードに見せながらそう言って恭しく一礼して見せる。
「あはは、お見事! 完璧な選択と説明だな。執事になれるぞ!」
二つ並べた大きなフライパンで分厚い熟成肉を焼いていたニコスが、レイの説明を聞いて笑って拍手をしている。
呆気に取られてワインを持つレイを見ていたギードがそれを聞いてまた吹き出し、振り返って見ていたタキスとアンフィーも遅れて吹き出して拍手喝采になったのだった。
「では、二本目はこれか?」
一本目とは違い、酒精の強い濃厚な味わいが特徴の赤の年代もののワインを取り出したギードに、今度はレイが吹き出す。
「もう、また僕を酔い潰すつもりだね。そんな手には乗りませ〜ん。二本目はこれがおすすめ。精霊の薔薇と呼ばれる新酒のロゼワインでございます」
最後だけまた改まった口調になったレイの言葉に、ニコスがまた笑って拍手をしてくれた。
「いやあ、こんな辺境の最果ての地である蒼の森の石の家で、今年の新酒である精霊の薔薇を飲める日が来るなんてなあ。本当に人生何が起こるかなんて……誰にも分からないよなあ」
片面が焼けた肉を、肉焼き用のフォークに引っ掛けて豪快にひっくり返したニコスのしみじみとした呟きに、レイだけでなく全員が優しい笑顔で大きく頷いたのだった。
「全くよのう。精霊王も気まぐれな悪戯をなさるお方よな」
笑ったギードがそう言い、さりげなく先ほどレイに見せた酒精の強い赤ワインも一緒にテーブルに並べた。
それを見て吹き出しかけて誤魔化すように横を向いて軽く咳払いしたアンフィーが、手早くニコスが用意してくれていた温野菜を並べたお皿に盛り合わせていき、タキスは先ほど取り出して網棚に並べていたパンをカゴに盛り合わせて、順番にテーブルに置いて回った。
カトラリーをそれぞれの席に用意したレイは、もうする事が無いのを見てから自分の席に座った。
「楽しいね」
お皿のお横に現れて座っていたブルーのシルフに、レイはこれ以上ないくらいの笑顔でそう言って嬉しそうにキスを贈ったのだった。




