ニコスとの手合わせとブルーの役目
「ええ、アンフィーもやるの?」
ニコスの声が聞こえたらしく、手を止めたレイが目を輝かせながらこっちを振り返る。同じく手を止めたギードも、驚いたようにニコスとアンフィーを見ていた。
「いやいや、いきなりそんな無茶はしませんから! あの、レイルズ様のお相手なんて、私には一生かかっても無理ですって!」
今にも飛びかかってきそうなレイを見て、アンフィーが慌てたように顔の前で必死になって手を振る。
「そうですよ。レイ、初心者相手に無茶を言わないでください」
笑ったニコスが、慌てたようにアンフィーの前に立つ。
「あはは、いくらなんでもそんな無茶は……しないよ」
「レイルズ様! 今の間は何ですか! その間!」
思わずと言った様子で立ち上がって叫ぶアンフィーの言葉に、レイだけでなく全員揃って吹き出し大爆笑になったのだった。
「さて、それじゃあ俺も、せっかくだから一対一で手合わせしてもらおうかな」
棒を置いたニコスが、そう言いながら進み出る。
「もちろん! よろしくお願いします!」
トンファーを壁面に戻したレイが、目を輝かせながらニコスの前に素手で進み出る。
「ええ、今度は素手ですか? レイルズ様とニコスでは、ちょっと体格に違いがありすぎる気がしますけど……」
驚くアンフィーに、隣に座ったタキスが笑って首を振る。
「まあ、見ていなさい。きっと驚きますよ。さて、レイがどれくらい強くなったのか、楽しみですねえ」
アンフィーを挟んで、タキスの反対側にトンファーを片付けたギードが座る。
「おやおや、審判は無しですか?」
からかうようなタキスの言葉に、ギードが笑って首を振る。
「恐らく勝負は一瞬で決まると思うぞ。アンフィーよ、瞬きしてはならんぞ」
「は、はい……?」
不思議そうなアンフィーの言葉にギードが吹き出したのと、向かい合って構えていたレイとニコスが動いたのは同時だった。
「ええ?」
「ああ〜〜やられた!」
アンフィーの驚く声と、悔しそうなレイの悲鳴が重なる。
ギードの言葉通り組み合った瞬間にレイを豪快に投げ飛ばしたニコスは、しかし大きなため息を吐いてその場に尻餅をついて仰向けに転がった。
「レイ! お前重すぎだよ! 本当に一体何を食べたらそんなにデカくなるんだ。お前、実は人間じゃあなくて巨人族の末裔なんじゃあないか?」
転がったまま吹き出したニコスの言葉に、同じく転がったままだったレイが吹き出す。
「酷いニコス! 僕は人間だよ! ……多分」
「た、多分と言いおったぞ」
「言いましたね!」
「言いましたよね、多分って!」
吹き出したギードの声に、タキスとアンフィーの声が重なる。
「もう知らない!」
横向きに転がったレイも、堪えきれずに吹き出してそのまま大笑いしている。
広い訓練場は、しばし笑いに包まれたのだった。
「腹が痛いよ。いやあ、レイが帰ってきてから一番働いているのは、間違い無く俺達の腹筋だぞ」
手をついて起き上がったものの、まだ座り込んだままで笑いすぎて出た涙を拭いながら、ニコスがそう言ってまた笑う。
「本当ですよね。よかったですねアンフィー、これで腹筋が鍛えられそうですよ」
「あはは、そりゃあ、嬉しい、ですねえ。でも、これは、かなり苦しい、修行です、よ」
同じく笑いすぎて半泣きになっているタキスの言葉を聞いて、まだ笑いの止まらないアンフィーが、息も絶え絶えになりながらそう言ってまた笑う。
「そんなので腹筋は鍛えられないです〜〜〜!」
二人の会話にレイが割り込み、子供みたいに口を尖らせて反論する。
「ちょっ、レイルズ様。その顔はやめてください!」
口を尖らせて眉を寄せるレイの顔を、うっかり真正面から見てしまったアンフィーとタキスがまたしても吹き出し、いつまで経っても笑いが止まらないタキス達だった。
風取りの窓に座ったブルーのシルフとニコスのシルフ達が、一緒になって笑いながらそんな彼らをいつまでも愛おしげに見つめていたのだった。
「ふむ、こちらの国境側は相変わらず平和そのものだな。国同士の関係が安定していると、結界の安定度が桁違いよのう」
一方、レイの元に目となるシルフを置いたブルーは、まずは蒼の森の西側に広がる比較的若い森の中にあるオルべラートとの北側の国境付近を見回ったあと、そのまま姿隠しの術を使い南下して外海まで来ていた。
オルベラートとファンラーゼンの国境は、国境の川と呼ばれる南北に流れる大きな川で分けられてる。
これは、四百年ほどの昔に両国の間の国家事業そして共同で作られた人工の川で、今も両国の物流を担う重要な移動手段となっている。
ブレンウッドから続く街道を真っ直ぐに西へ進むと、川沿いに設けられた関所に突き当たり、川を越えるとオルベラートの国となっている。
冬になると竜の背山脈から吹きおろす北風が周囲一帯に大量の雪を降らせ、積もる量は人の背丈を軽く超える。
その為、冬場は北側の街道を通る人や荷物の通行は限られてしまう事もあり、両国の北側の国境に近い場所には小さな町や村が点在する程度でブレンウッドのような大きな街が無いのだ。
国境の川を南へ下ると人工の川は外海へと続いている。
その海沿いの河口付近にはオウリッツと呼ばれる大きな港街があり、この街は川を挟んで西オウリッツ、東オウリッツと呼ばれ両国にまたがる形で発展している。
寒くなったこの時期でも、温暖な外海の水温に守られているので南側の地域には雪は全く降らないし、さほど寒くもない。
今も、腕まくりどころか上半身裸になった大勢の人夫達が、到着した大きな船から荷物を下ろしている真っ最中だ。
「ふむ、特にこちら側も問題無いようだな。平和で何よりだ。ならば、あとはやはりタガルノとの国境側か。ふむ、面倒な事よ」
ため息を一つはいたブルーは、そのままゆっくりと上昇して、相当な高度を保ったままひとまず蒼の森へ飛び去っていった。
荷下ろしをしている男達は一瞬だけ上空をよぎった微かな影に全く気付かず、賑やかに笑い合いながらせっせと働いていたのだった。




