アンフィーの存在価値
「じゃあ、この不思議なカナエ草のお茶の味については、僕がオルダムへ持っていってガンディに渡して、詳しく調べてもらうのが一番良さそうだね」
「そうですね。蒼竜様によると、含まれる薬効成分が少し違うようですから、これらの効果の差についても研究が必要そうです。この蒼の森に自生しているカナエ草が、オルダムで栽培されている種と同種なのか、それとも蒼の森限定の固有種なのか調べる価値はあると思いますね」
「種類が違うかどうかは、この甘いお茶が作れる蒼の森のカナエ草をオルダムへ持って行って植えて貰えば、少なくとも分かるだろうね。だけど、もしも蒼の森の土のおかげでこの成分構成になっているのなら、オルダムで土まで再現して栽培するのはちょっと無理があると思うなあ」
苦笑いしながらそう言ったレイの言葉に、真剣に考えていたタキスも大きく頷く。
「確かに、これが種の違いによるものなのか、あるいは土の違いからくるものなのか。いずれにせよ、研究してみる価値は充分にありそうですね」
「じゃあ、タキスが作ってくれたカナエ草のお茶とお薬、それから森で採取した土付きのカナエ草の苗を帰る時に持って行けばいいね。えっと、だけど外は雪が積もってきているけど、苗を取っても大丈夫かな?」
そう言ったレイは、心配そうに窓の外を見る。
「ええ、そのお茶を作ったカナエ草は、上の草原の横の森で採取したものですからね。あそこならかなり大きな株ですから、ノームにお願いして株分けしてもらえば大丈夫だと思いますよ」
笑ったタキスの言葉の直後、床から何人ものノーム達が現れてタキスの足を叩いた。
「おや、噂をすればノームのお出ましですね」
笑ったタキスがそう言ってノーム達と視線を同じにする為に床にしゃがみ込む。レイもそれを見て、慌てて椅子から立ち上がって床にしゃがんだ。
『蒼竜様からの命じられて森のカナエ草を調べました』
『その結果をご報告いたしまする』
『残念ながらそれはこの森特有の変化なり』
『土では無くこの森特有の波動による変化なり』
『故に他の地での再現は不可能なり』
『申し訳ござらぬ』
『申し訳ござらぬ』
最後はノーム達全員揃って頭を下げられて、レイとタキスの方が呆気に取られて無言になる。
「この森特有の……波動による変化、ですか?」
揃ってうんうんと頷くノーム達を見て、タキスが考え込む。
「えっと、この森特有の波動って、何?」
レイの真っ直ぐな質問に、顔を上げたノーム達が揃って口を開いた。
『この森は太古の昔より在りし変わりなき古き森』
『古き森は特有の波動を持ちそれを常に放っている』
『それはこの世界にあまねく行き渡り』
『竜を癒し精霊達を慰撫し』
『結界を保護し要石を守る役目を果たしている』
『このカナエ草はいわばその副産物』
『波動に近すぎた為に強い影響を受けた模様』
『蒼の森の緑が深く濃く木々が異様に大きいのもそれが理由なり』
『故に他の地での再現は不可能なり』
『申し訳ござらぬ』
『申し訳ござらぬ』
ポカンと口を開けてノーム達の言葉を聞いていたレイとタキスは、またしてもノーム達が揃って頭を下げるのを見て二人同時に吹き出した。
「成る程。詳しい説明をありがとうございます。要するに、この奇跡とも言える甘いカナエ草は蒼の森でしか栽培出来ず、苗なり種なりを他へ持って行くと、普通の苦いカナエ草になる。つまりそういう事なのですね?」
『いかにもいかにも』
『種としての差異はござらぬ』
『それどころか頑強にてよく育ちまする』
『他の地にて育てれば』
『苦草の名に恥じぬ苦さとなろうぞ』
「あはは、それなら僕が苗をオルダムへ持って行く必要は無さそうだね」
笑ったレイの言葉に、ノーム達も笑ってうんうんと頷き深々と一礼してから消えていった。
「えっと、アンフィーには今のノーム達の声って……?」
不意に、精霊の見えないアンフィーを無視して自分達だけでノーム達と話をしていた事に気付いたレイが、慌てたようにアンフィーを振り返る。すると、彼は苦笑いしながら首を振った。
「いえ、いきなりタキスとレイルズ様が床にしゃがむので、何事かと思いましたよ。ですがどうやらノームの皆様とお話しされているようだったので、俺は黙っておりました。自分は精霊の見えないただの人間です。どうぞお気になさらず」
笑って顔の前で手を振ったアンフィーは、それでも申し訳なさそうに自分を見つめるレイを見て、小さなため息を一つ吐いて彼には何も見えない空中を見上げた。
「実は先ほど、俺がロディナの竜の保養所に採用されて間も無くの新人の頃に、先輩から言われた言葉を思い出していました」
笑顔のアンフィーの言葉に、レイもつられて笑顔になる。
「へえ、どんな事を言われたの?」
「自分に見える世界だけが、この世界の全てでは無いのだという事を忘れるな。そう教えられたんです」
「自分に見える世界だけが、この世界の全てでは無いのだという事を忘れるな?」
不思議そうなレイが、その言葉を繰り返す。
「はい、そうです。竜の保養所にいる者達は、担当部署こそ様々で、俺のように騎竜を担当するものも多くいます。事務仕事や料理をするものだっています。必ずしも、全員が精霊竜と関わるわけではありません。それでも、これは必ず竜の保養所に働く者全てが一番最初に先輩から教えられます。精霊達は常に身近にいる。そしてお前の行いを見ているのだ、とね。まあこれは戒めの言葉でもありますね。己に与えられた役割をしっかりと果たせ。そして例え目に見えずとも精霊達の存在を忘れるな。という意味ですよ」
笑ったアンフィーが、その言葉の意味を教えてくれる。
「へえ、すごい。だけど精霊が見えない人達にそんなふうに教えても、なかなか実感が湧かないでしょう?」
感心しつつも心配そうなレイの言葉にアンフィーも笑顔で頷く。
「もちろん、俺だって最初は正直に申し上げると、何を言っているのかとも思いましたよ。それまで精霊なんて物語の中の存在でしたからねえ。ですがロディナにいれば当然のように竜舎に精霊竜達が何頭も常にいて、彼らは当たり前に精霊達を従えている。そこを疑う余地なんてありませんよ」
笑ったアンフィーはそう言って肩をすくめた。
「ただ、俺なんかは騎竜担当でしたから日常的に精霊竜と関わる事なんてほぼありませんでしたからね。仲間達からお世話の苦労話を聞いたり、時折日光浴に出ているのをお見かけする程度でした。でも、先ほどのようにレイルズ様やタキス達がノームと言葉を交わしているのを見て、先輩の言葉の真意に気がつきました」
「言葉の真意?」
「はい、そうです。つまり自分の目に見えないものを否定するなと。そういう事ですよ。人はどうしても自分に見えないものを無意識に否定しがちです。見えないのだから有るはずが無い、とね。ですが、否定は人と人を簡単に断絶させ仲違いさせる理由になります。ロディナの者達に精霊王より与えられた最も重要な役割は、精霊竜の繁殖と怪我の癒しです。そこを決して忘れないようにする為の、これは戒めの言葉なんですよ。なので、俺には見えないノーム達も、俺には分からない大事な役割を担っておられる。レイルズ様やタキス達は、彼らと話が出来てその役割の一端を見る事が出来るわけです。正直、ちょっと羨ましいですね」
照れたようにそう言って視線を逸らすアンフィーに、レイはたまらなくなって抱きついた。
「うおっと! 突然どうなさいましたか?」
驚きつつも、大柄なアンフィーはしっかりとレイの体を支えてくれる。
「ありがとうアンフィー! 貴方がここに来てくれて本当に感謝するよ。どうか、子竜達の事もタキス達の事もよろしくね!」
満面の笑みでそう言ったレイに、またしがみつくみたいに力一杯抱きついてこられて、驚きのあまり目を白黒させているアンフィーだった。
『成る程な。彼は精霊達の声は聞けはせぬが、それでもここにいるだけの価値のある人間だったようだな』
満足そうなブルーの呟きに、ニコスのシルフ達だけでなく、多くのシルフ達やノーム達が現れて、揃って笑顔で頷いていたのだった。




