今後の事と内緒の話
「あの……今、殿下のお母上様と聞こえましたが……」
恐る恐るそう言ったタキスに、アルス皇子は大きく頷いた。
「そうです、私の母上です。マイリーの発案ですが、確かに、レイルズの後見人として、これ以上の最適な人物はいません」
「政治には関わらず、しかし王宮内での権力を持ち影響力のある方。如何ですか? 中々良い案だと思いますが」
無言になったタキスを見て、マイリーが言葉を継いだ。
「確かに。実現すれば、これ以上無いお方ですが……」
自信無さげなタキスを見て、アルス皇子は笑った。
「それに、この数日のレイルズの様子を皆から聞きましたが、母上は彼の事を間違い無く気に入りますよ。それは保証します」
自信ありげにそう言う彼を見て、タキスは小さくため息を吐いた。
「それならば、私からは何も言うことはありません。どうか彼の事をよろしくお願い致します。森で暮らしていると忘れそうになりますが……古竜の主とは、それ程の人物なんですよね」
頭を下げるタキスを見て、ガンディが面白そうに肩を叩いた。
「言っておくが、陛下も王妃様も、其方にも会いたがっておられるぞ。なので当然、面会には其方も同席じゃぞ」
「ですが……私はただの一般人です」
不思議そうに言うタキスの言葉に、その場にいた全員が大きなため息を吐いた。
「どうやら其方には、一般人って言葉の意味から教えなければならん様じゃな」
堪えきれないように吹き出したガンディに、また肩を叩かれて戸惑うタキスに、その場にいた全員揃って、もう一度ため息を吐いたのだった。
「まあ良い。其方にも、自分の値打ちを自覚してもらおう」
呆れたようなガンディの声に、皆頷いた。
「それから、レイルズの体調を見て、こちらの面会の準備が整えば一度お二人には王宮へ戻って頂きます。ですが、ここは引き続きお使いいただける様にしておりますので、あの竜には引き続きこの湖で過ごしてもらいます」
「王宮では、竜騎士の兵舎に部屋を用意しよう。人目を考えるとその方が良かろう」
マイリーとヴィゴが相談しているのを聞きながら、自分の手の届かない場所でどんどん進む話に、タキスは相槌を打つのがやっとだった。
レイが、自分達の手から離れた知らない所へ行ってしまうような気がして、寂しく思う気持ちをタキスは我慢して飲み込んだ。
本来、こうあるべきだったのだ。
森で皆で暮らせたあの時間が、奇跡の様なものだったのだ。
寂しいと叫ぶ自分の心に、別の自分が必死でそう言い聞かせているのを、タキスは他人事の様に心の中で見つめていた。
「ええと、レイルズ……もしかしてケットシーを見た事があるの?」
ユージンの言葉に、レイは慌てた。否定しようと首を振るが、もうその慌てっぷりでは、見ましたと答えている様なものだ。
「一体何処で? 幻獣の中でも、ケットシーって見つからない事で有名なんだよ」
興味津々の二人に、知らぬふりをするのは無理だと判断したレイは、春の始めのケットシーとの出逢いを話した。
「えっとね、三の月の初め頃だったと思うんだけど、蒼の森に、綿兎達の毛を梳きに行ったの」
「綿兎って、あの綿兎? 確か、毛布やセーターとかの材料になるんだよね?」
ユージンの言葉に、ロベリオも頷いた。
「肌触り良いよな、あれ。へえ、綿兎って蒼の森にいるんだ。どんな姿なの?」
レイは、身振り手振りを交えて、綿兎の大きさや、綿兎がどれ程ふわふわで可愛いかを力説した。
「それで、膝に来る綿兎達の冬の毛を梳いて、抜けた毛を集めるの。物凄く沢山いたから、丸一日がかりで、お昼ご飯も毛を梳きながら食べたんだよ。本当に大変だったんだから」
「ふわふわの綿兎! 良いな、触ってみたいぞ」
「それでね、全部終わって片付けて、さあ帰ろう、って時に……赤ん坊の泣き声みたいな声が聞こえたの」
「森の中で?」
「そう、それでタキスがシルフ達に調べさせたら……」
「調べさせたら?」
「ケットシーの雛を連れて戻って来たの」
二人は驚きのあまり言葉も無い。
「僕は猫だと思ったの。それで触ろうとしたら皆に叱られちゃって、あれは人と関わっちゃいけない生き物だって言われた」
あの時の事を思い出して、首を振った。
「森に住む以上、絶対に超えてはならない一線があるんだって言われた。幻獣の雛に、人が手を出すのは絶対に駄目なんだって。でも、まだ狩りも出来ない子供を放ってはおけないでしょ。それで、ブルーが一旦引き取ってくれて、その間に母親を探したの」
「母親を探すって、どうやって?」
「タキスとニコスが、シルフ達に調べさせてたよ。えっと、動物商人の馬車が、街道で事故を起こして逃げ出した子だったの。でも結局、その子の母親は殺されたらしくて、蒼の森の東にある別の森に住む、別のケットシーのお母さんが引き取ってくれたんだよ」
その話を聞いた二人は、揃って妙な顔をした。
「もしかしてそれって……」
「ええと、ラピスがその別の森まで連れて行ったのか?」
尋ねる二人に、レイは頷いた。
「そうだよ。僕も一緒に行ったの。その時に、ケットシーの母親を見たんだよ。僕はブルーの背から降りなかったから、遠くから見ただけだけどね」
「そっか、それか」
「まさか、こんなところで理由がわかるなんてね」
苦笑いしながら、二人揃ってレイを見る。
「何?」
不思議そうに聞くと、笑って教えてくれた。
「それって恐らく、ラピスが初めて北の砦で発見されて大騒ぎになった時だ」
「時期的にも間違い無いよね」
「長距離移動の理由はケットシーの雛だったか。まさか幻獣絡みだったとはね」
「幻獣好きのガンディが聞いたら、喜びそうな話だな」
「第四部隊の面々もな。野生のケットシーなら、どう考えても大騒ぎだろう」
面白そうに笑う二人を見て、急に不安になった。
「あの、まさかあの子達を捕まえたりしないよね。お願いだからそっとしておいてあげて」
泣きそうな声で縋るようにそう言ったレイを、驚いたように振り返った二人は、レイの不安の理由を知って首を振った。
「大丈夫だよ。酷い事しないって。だけど、野生のケットシーは貴重だからね。本当にそこにいるのなら、その森の狩猟の禁止を含めて、何らかの保護対策を取らないといけないんだ」
「ケットシーの毛皮は、闇では高値で取引されるから、取り締まっても取り締まっても密猟が後を絶たない。密猟対策は、幻獣保護の為にも絶対に必要なんだ」
「ケットシーの母親は、シルフに守りを強化させるって言ってた」
「そうか、それなら安心……?」
「誰が、何て言ったって?」
また同時に振り返った二人に、レイは思わず仰け反った。
「誰って、ケットシーのお母さんだよ。秋に生まれた子を亡くしたばかりで、まだお乳の出るお母さんだったの。それで、帰りにブルーが気をつけるように言ったら、そう言ったんだよ。守りを強化しますって」
「へえ……これは大発見だな」
「ケットシーって、人の言葉を話すんだ……」
「えっと……今更だけど、やっぱりこれって話しちゃ駄目だったのかも」
その時、頭を抱えたレイの肩に一人のシルフが座った。
『レイ。何でもかんでも勝手に話すものでは無いぞ』
「ブルー! ……やっぱりこれって、話したら不味かった?」
困ったように尋ねるレイに、シルフは肩を竦めた。
『まあ、あまり褒められた事では無いな』
「うう、ごめんなさい」
『まあ良い。お前達、あのケットシーの親子に手を出すなよ』
ブルーの声に、二人は苦笑いする。
「でも、ケットシーの目撃情報は報告します。話せる云々は……聞かなかった事にします」
「だな、それが良いよ。下手に報告すると、他の幻獣達にまで飛び火しかねない」
『感謝する。あの子供の母親は、密猟者に殺された。二度も同じ思いはさせたくは無い』
首を振るシルフに、二人は頷いた。
「しかしお前は本当にとんでもない奴だな。よし、ユージン、お前も今夜は泊まれ! こいつに、世渡りの仕方ってもんを教えてやろうぜ」
「そうだね。お前だけ残すと何をやらかすか、こっちは心配で眠れないよ」
笑ったユージンは、ベルを鳴らして執事を呼び、自分も今夜は泊まる事を伝えた。
「畏まりました。レイルズ様の両隣のお部屋の用意をしておきます」
下がった執事を見送ってから、ガンディにもシルフを飛ばしてユージンも泊まる事を連絡した。
しばらくすると、伝言を聞いたガンディだけでなく、皆揃って書斎へやって来た。
「何だユージン、お前も泊まるのか?」
「はい。レイに夜更かしの楽しみを教えてやろうと思いましてね」
笑ったガンディは、ユージンの肩を叩いた。
「確かお前も、光の精霊は見えたのだったな」
「はい。でも、俺は声は聞こえませんよ。竜騎士隊の中で光の精霊の声が聞けるのは、隊長とロベリオだけです」
悔しそうなユージンを見て、レイはロベリオを振り返った。
「光の精霊の事は、見えない精霊使いもいるの?」
「そうだよ。光の精霊は見える方が稀だな。はっきり言って、人間では、一万人の精霊使いがいて、その中で一人いれば良い方だって言われている」
「竜人やドワーフは?」
「彼らは皆、優秀な精霊使いだからね。人間よりは多いだろうけど、それでも、誰でも見える訳じゃないよ」
「竜人やドワーフの中でも、光の精霊を使える者は一流って呼ばれる」
ギードは、タキスから光の精霊を借りていたし、ニコスもレイの姿を変える時には一緒に歌を歌っていた。恐らく彼にも見えている。
「へえ、そっか、一流なんだ」
何だか嬉しくなった。
その様子を見ていたタキスは、レイの側に来ると、そっと抱きしめた。
「私の養い子は優秀ですからね」
「先生役のタキスも優秀!」
抱き返して嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、我々は一旦戻ります。ユージン、ロベリオ。あまり無茶な事はするなよ」
「そうだぞ。まだ、レイルズは未成年なんだからな」
マイリーとヴィゴが、そう言ってアルス皇子と共に庭へ出る。他の皆も、後をついてすっかり暗くなった外に出た。
結局、城へ戻るのは、アルス皇子とヴィゴとマイリーの三人だけだ。
「何か問題があれば、いつでもシルフを飛ばせ」
「分かりました」
マイリーの声に、ユージンとロベリオは頷いた。
「また来てくださいね」
寂しそうにそう言うレイに、三人は笑った。
「勿論、また来るよ。今はしっかり食事をして、十分に休む事。良いな、無理は禁物だ」
「はい」
元気良く返事するレイに、マイリーは頷いて自分の竜に乗った。
アルス皇子とヴィゴも、それぞれ竜に乗る。
手を挙げてあいさつすると、三頭の竜はゆっくりと上昇して城の方へ飛んで行った。
それを見送って部屋へ戻った一同は、先程大人達が酒を飲んでいた応接室へ場所を移した。
ワゴンに乗っている酒瓶を見て、ユージンとロベリオがガンディを振り返った。
「ああ、ずるい! 自分達だけ飲んで」
「そうですよ。俺達も飲みたい!」
「うわあ、さすがは良い酒飲んでる」
「あ、こっちは30年物だ」
笑いながらワゴンの酒を見る二人の頭を、ガンディが叩いた。
「こらこら、飲むなら後にしろ。もう一度外に出て、今から光の精霊魔法の講習会を、やるぞ」
目を見張ったロベリオが、酒瓶をワゴンに戻した。
「教えて頂けるんですか! お願いします」
満面の笑みのロベリオを見て、タキスが笑った。
「出来るかどうかは分かりませんが、私の知っている事なら何でもお教えしますよ」
「ありがとうこざいます! さあレイルズ、ユージン、外へ行こう!」
二人の腕を掴むと、引きずるようにして、大喜びでもう一度庭に出て行った。
「単純な奴でな。まあ、気にせんでくれ」
「良いではありませんか。レイは大人達ばかりの中でいましたから、年の近い知り合いは貴重です。きっと、私達では教えられない事を沢山教えてくれます」
笑いながらそう言うタキスを見て、ガンディはため息を吐いた。
「竜騎士隊と呼ばれて、周りからは尊敬の眼差しで見られたりもしておるが、特にルークと、若竜三人組と呼ばれるあいつらは、やんちゃ坊主がそのまま大人になった様なもんだからな。あまり行儀は良くないぞ」
「レイにはその方が有難いのでは?貴族の行儀作法で一日中過ごせと言われたら、きっと三日で逃げ帰って来ますよ」
顔を見合わせて吹き出した。
「そうだな、確かにその通りだ。なら遠慮無く遊ぶと致そう」
ガンディとタキスも外に出る。
暗くなった庭では、三人が戯れているのを竜達が上から面白そうに眺めていた。




