離宮での夜の始まり
「ふああ、いつもながら何度見ても広い部屋だよなあ」
執事の先導で、書斎からいつも離宮へ来た時に使っている広い部屋に案内された三人は、部屋に入ったところでそう呟いたマークの声に揃って足を止めた。
「確かに広いよな。俺達が普段使っている会議室の倍以上は余裕である」
「いやあ、倍どころか三倍はあるんじゃあないか?」
真顔でそんな事を言って顔を見合わせている二人を見て、レイは小さく笑って二人の背中を叩いた。
「いいからとにかく入って。執事さん達が本を入れられなくて困ってるよ。それじゃあ僕は先に湯を使わせてもらうね」
その言葉に二人も笑って頷きとにかく部屋に入った。
いくら気にしないでと言っても、二人はレイルズよりも先に湯を使おうとしない。軍隊では基本的に上の身分の人から先に湯を使うので、下級兵士達は汗を流す程度でゆっくりと湯を使う間など無い。
すっかりその習慣に慣れている二人にしてみれば、レイルズよりも先に自分達が湯を使うなど、あってはならない事なのだ。
もう最近ではそんな彼らにレイもすっかり慣れて、二人が何か言うよりも先に自分から湯を使うと言い出している。
「ああ、それじゃあ俺達は今の間に残りの資料の整理をしておくよ」
「そうだな。覚えているうちにまとめておきたい。だけどその前に、レイルズは髪の毛を何とかしないとな」
笑ったキムの言葉に、レイが不思議そうに振り返る。
「へ? どうして? 寝癖なら、さっき全部直してもらったはずだけど?」
そう言いつつ、恐る恐る頭に手を伸ばしたレイは、頭頂部だけが豪快に絡まり合った髪の毛に気付いて堪える間も無く吹き出した。
「ええ! ちょっと待ってよ! 一体いつの間にこんな事になったの?」
その悲鳴のような叫びを聞いて、マークとキムが同時に吹き出す。
「いや、どうしてって……さっき書斎で部屋に持って行く本を選んでた時に、退屈したシルフ達が、さ……」
「嬉々として、お前の髪で遊び始めたんだよ……もしかして、気付いていなかったのか?」
必死になって笑いを堪えた二人の言葉に、レイも吹き出して膝から崩れ落ちた。
「ラスティ! 至急増援をお願いします! またやられました!」
無邪気なその叫びに、着替えを持って控えの間から飛び出して来たラスティが吹き出しかけて咳き込んで誤魔化す。
「おお、これはまた大変な事になっておりますね。かしこまりました。お手伝いいたしますので、そのまま湯殿へどうぞ」
座り込んで大笑いしている二人を見て、レイも床に転がるように手をついて大笑いになる。
「ちょっとブルー! 見ていたんなら止めてよ!」
顔を上げたレイは、空中に向かって笑いながら文句を言う。
『いやあ、彼女達があまりに楽しそうでなあ。ついつい愛おしくて眺めてしまったので止める間がなかったのだよ』
ふわりと現れたブルーのシルフが、うんうんと頷きながら悪びれる様子も無くそう言って笑っている。
「だから、それは今朝もさっきも聞きました〜〜〜!」
もう一度叫んだレイの言葉に、マークとキムだけでなく、とうとう我慢出来なかったラスティまでが一緒になって揃って吹き出し、全員揃って大笑いになったのだった。
「ああ、もう笑い過ぎてお腹が痛いよ。明日筋肉痛になったらどうしよう。もう、二人も笑い過ぎです!」
笑いながらラスティにすがるようにして立ち上がったレイは、まだ座り込んで笑っている二人にそう言って、とにかく湯殿の隣にある洗面所へ向かった。
その後を二人の執事が追いかけて入って行くのを見て、また大笑いになるマークとキムだった。
「はあ、笑った笑った。レイルズじゃあないけど腹が痛いよ」
「俺もだ。冗談抜きで明日腹筋が筋肉痛になっていそうだ」
笑いすぎて出た涙を拭いつつ、そう言って立ち上がった二人は腕を突き上げて大きく伸びをする。
「さてと、それじゃあとにかく片付けてしまおう」
顔を見合わせて笑いあった二人は、部屋の真ん中に置かれた大きな机に向かい、抱えていた資料の束をその上に置いた。
先ほど三人が選んだ大量の本は、執事達が移動式の本棚ごと部屋に運んでくれていて、ちょうど机の横に綺麗に並べられ終えたところだった。
「ありがとうございました!」
運んでくれた、普段とは違う大柄な執事達に二人が直立してお礼を言う。
「我らにお気遣いは無用でございます。では、これにて失礼いたします。もしもまた書斎の本をお探しになりたい場合は、いつでもお申し付けいただければ書斎へご案内致します」
にっこりと笑った執事は、そう言って深々と一礼して下がって行った。
「いつも思うけどさあ。ここの執事さん方って、本当に格好良いよな」
「ああ、分かる。姿勢もそうだけど、なんて言うか、一つ一つの所作が本当に綺麗なんだよな!」
「そうそう! 良い姿勢と所作の見本って感じがする!」
「だよなあ。あの所作は、俺達なんかには絶対にどれだけ訓練しても真似すら出来そうにないよなあ」
顔を見合わせて苦笑いした二人は、何となく揃って執事達が出て行って軽い音と共に閉められた扉を見る。
「本当に、ここは選ばれた人だけが来る事の出来る特別な場所って感じがするよなあ……」
「そんなところに、本当に俺達みたいなのがいてもいいのかなあ……」
無言でまた顔を見合わせた二人は、しかしそこで揃って大ききなため息を吐いてからこれまた揃って顔を上げた。
「いや、そんな場所に招いていただいているんだから、とにかく何でも勉強だと思って一つでも多く吸収して自分の物にすべきだよな!」
「そうだよ。自分なんかがって、自分を卑下するような考えは捨てないとな!」
そして何故か力一杯拳を握った二人は、お互いの顔を見て何度も何度も大きく頷き合い、お互いの手を握り合うようにして取り合って、これまたうんうんと頷き合っていたのだった。
「えっと、何をしてるの?」
その時、洗面所の扉が開いて元の髪に戻ったレイが出て来て、無言手でを取り合って見つめあっていた二人を見て不思議そうにそう尋ねる。
レイの声に我に返った二人は、同時に吹き出し、またしても座り込んで大笑いになったのだった。
「えっと、何かあったの?」
肩に座っているブルーのシルフに小さな声でそう尋ねる。
『なに、大した事ではないさ。そうだなあ。言ってみれば、お互いの存在のありがたみを思い知って感謝し合っている、と言ったところかな?』
面白がるようなブルーの言葉に、分からないなりにも彼らが困っているようではないのだけは分かって安堵したレイは、小さく笑ってそのまま湯殿へ向かったのだった。




