ラスク少尉
「いやあ、それにしても驚きの逃げっぷりでしたね。本当にお見事でした」
二口めのウイスキーを飲み込んだラスク少尉が、苦笑いしながらしみじみとそう呟く。
「あはは、久し振りに必死で逃げたからね。何とか上手く逃げられて良かったよ」
笑って肩を竦めるレイの言葉に、ラスク少尉の苦笑いしつつも頷いている。
「しかし、それだけの体格に恵まれていて相当な腕力があり、剣の腕も立つ。精霊魔法も相当なものだとの噂を聞いていますからねえ。その上であの身軽な逃げっぷり。いやあ、これはもう戦場では敵無しっすね」
そう言って面白がるように笑っている。
しかしレイは、笑わずに黙ったままで手にしたウイスキーのボトルを見つめていた。
「ねえ、ラスク少尉……ちょっとお聞きしても良いですか? 一つ、教えてほしいんです」
しばらくして口を開いたレイの、何やら思い詰めたような真剣な声に、ラスク少尉は少し驚いたように隣に座っているレイを見た。
「どうしました? 俺で分かる事でしたら、何でもお教えしますよ。まあ、俺如きが古竜の主殿にお教え出来るような事があるとは思えないっすけどねえ」
心配そうなその言葉に小さく頷いたレイは、少し言葉を探すように考えてからラスク少尉を見つめた。
「勇気って、何だと思いますか?」
思ってもみなかったその質問に、不意をつかれた様子で目を見開くラスク少尉に、レイは俯いて小さく首を振って考え込む。
「違うなあ。そうじゃあなくて……何て言ったらいんだろう……」
その呟きが聞こえて不思議そうに首を傾げるラスク少尉を見て、レイは小さく首を振ってからもう一度ラスク少尉を見た。
「えっと、つまりその……ラスク少尉は、当然、何度も実戦を経験していらっしゃいますよね?」
「おう、そりゃあまあ、こう見えても一応第六中隊の中では腕利きで通っていますからね」
にんまりと笑ったその笑顔を、レイは真剣な表情で見つめている。
「その、そんな少尉にこんな事をお聞きするのは失礼かもしれないんですけれども……」
言い澱むレイの様子にラスク少尉も真剣な顔になる。
「構わねえよ。聞きたい事があるなら、何でもはっきり聞いてくれ」
思いのほか優しい口調でそう言われて小さく頷いたレイは、背筋を伸ばして居住まいを正してラスク少尉を正面から見つめた。
「その、怖くはないですか? 実際に武器を持った人と対峙して……」
ようやくレイの質問の意図がわかったらしいラスク少尉は、少し笑って手を伸ばしてレイのふわふわな赤毛の後頭部を軽く叩いた。
「そりゃあまあ、今でも全然怖くないって言ったら嘘になるかなあ。誰だって実戦は怖いっすよ。相手は本気でこっちを殺しにかかって来るんだぜ。それなのにそれが怖くないなんて言う奴がいたら、俺はそっちの方が怖いね。そんな奴は絶対に自分の命にも、それから仲間の命にも無頓着だろうからさ、そんな奴に背中を預ける気には絶対になれねえなあ」
真剣な様子で自分を見つめているレイに、ラスク少尉も笑って一つ深呼吸をしてからウイスキーを口に含んだ。
「俺が初めて戦場へ出たのは、新兵として国境の砦へ配属されてから半年ほど経った頃の事でしたね」
星空を見上げているラスク少尉の横顔を見ながら、レイもウイスキーを軽く口に含む。ゆっくりと飲み込んでから質問した。
「それって、幾つの時ですか?」
「俺は辺境農家の子沢山の八人兄弟の末っ子でしてね。まあ、正直に言って家に俺の居場所は無かったんですよ。なので十六歳になると同時に志願して兵隊になったんです。訓練期間を経て初めて配属されたのが国境の十六番砦。以来今までずっと砦暮らしっすよ」
それを聞いて、今度はレイの目が見開かれる。
「ええ! それじゃあ初陣の時って、まだ十代だったって事ですよね?」
「そうっすね。志願兵の訓練期間は一年ありますから、砦へ配属されたのは十七の時っすね」
「ええ、僕より一つ上なだけ?」
驚くレイに、ラスク少尉は当然だとばかりに笑っている。
「初めて実戦の場に出た時には、そりゃあ怖かったですよ。足が面白いくらいにブルブル震えていたし、片手剣を持つ手もガタガタと震えてろくに構える事さえ出来なかった。自分に喝を入れるつもりで声を上げたら、どこの姫の声だよって自分で言いたくなるくらいにか弱い声しか出ませんでしたよ。それを見たタガルノの兵士が笑ったのを今でもはっきりと覚えていますね」
「だ、大丈夫だったんですか?」
恐る恐る尋ねるレイの質問にラスク少尉は笑って首を振った。
「全然大丈夫じゃあなかったですよ。だけど不思議な事に頭の中はパニックになって怯えきっているのに、体は動いたんですよね。いつもの訓練通りに斬りつけてきたところを盾で受けて横にそのまま受け流す。当然相手は体勢を崩しますから、がら空きになった体を横から叩き斬ればそれで終わりっす。気がついたら一人倒していましたね」
右手で宙を斬るふりをしながらそう話しているが、軽い口調とは裏腹に顔は真剣そのものだ。
「倒れているそいつを見て、ようやく自分が倒したんだって気がついて……その場で悲鳴を上げて腰を抜かしてひっくり返って仰向けに倒れ込んだんですよ。当然、それを見て次の奴が襲いかかって来る。そこからはもう、夢中でよく覚えていませんね。気がついたら辺りは静かになっていて、俺は全身返り血でベタベタ、右腕にはいくつも切り傷が出来ていて肩で息をしていた。だけど致命傷は一つも無し。まあ初陣としては上々だって、後で当時の上司に褒めてもらいましたよ」
また一口ウイスキーを飲んだラスク少尉は、当時を思い出すかのように大きなため息を吐いて目を閉じた。
「その後も何度も国境では小競り合いが続き、その度に、死にたくない一心で必死になって戦い続けて何とか生き延びて……気がついたら、貴族でもない一般の志願兵としては最高ランクの少尉にまで昇進しちまいましてね。まあ、俺は戦場と言ってもあの場所しか知りませんからねえ」
「すごいですね……」
その小さな声に、ラスク少尉は照れたように笑って首を振った。
「ただただ、臆病者が死にたくなくて必死になって戦っていただけですよ。それに、あそこには背中を預けられる頼もしい仲間達が大勢いましたからね」
笑ったその言葉にレイも笑顔で手にしていたボトルを掲げた。
「大切な仲間達に、乾杯。精霊王に感謝と祝福を」
「大切な仲間達に、乾杯。精霊王に感謝と祝福を」
泣きそうな笑顔で一つ頷いたラスク少尉も、手にしていたボトルを掲げてその言葉を復唱してくれた。
それから顔を見合わせて、ウイスキーをそれぞれ大きく煽るようにして飲んだのだった。




