恐怖の記憶とラスティの存在
「これは……予想以上に、きつい、ね……」
人形を背負って歩くレイのうめくような呟きに、同じく人形を担いですぐ隣を歩いていたラスティも、ため息を吐きつつ同意するように小さく頷いた。
「まあ、実際には、ここまでの、距離を……一人で、運ぶ事は、まず、無いのです、けれど、ねえ……」
「確かに、そうだね。えっと、予定外だけど、ちょっと休もうか。最初から無理することなんて、ないからね」
そう言ってゆっくりと止まったレイは、持っていた槍を地面に突き刺してから、背負っていた人形を乱暴に下ろした。
足元の地面はなだらかで短い草が生えている程度なのだが、所々が妙に柔らかくぬかるんでいて、うっかりそこを踏むと足を取られてしまい、歩きにくい事この上ない。その状態でいつもの倍の荷物に加えて成人男性一人分の重さの実物大の人形を担いで歩いているのだ。普段以上に体力を削がれて、いつもならまだまだ元気な筈の二人だったが、揃って息を切らせていた。
「これだって本当なら、こんな雑には扱えないよね。歩けないくらいの怪我をしているのなら、出血だってあるだろうし、意識があれば、痛みで暴れる事だってあるかもしれないもん。怪我人の搬送は……」
ため息を吐いたレイが、地面に仰向けになって転がる人形を見ながらそう言ったところで不意に言葉が途切れる。
そのまま不自然な沈黙が落ちる。
「レイルズ様、どうか、なさい、ましたか?」
人形を下ろして、その場にかがみ込むようにして膝に手をついて下を向いて息を整えていたラスティは、不意に言葉が途切れた不自然さに驚いて振り返った。
「レイルズ様?」
呆然と人形を見たまま立ち尽くしているレイに、ラスティが少し大きめの声で話しかける。
「……ああ、ごめん。何?」
大きな声に驚いたレイは、明らかに誤魔化すようにそう言って瞬きをしながらラスティを振り返った。
しばらく見つめあったまま沈黙が続く。
「レイルズ様、大丈夫ですか?」
気遣うような声に、一瞬震えたレイは小さなため息を吐いてから頷いた。
「ちょっと座りたいね。えっとノーム、僕とラスティが座れそうな、大きめの石を二つ出してもらえるかな」
明らかに話を逸らすように地面に向かってそう話しかけると、その言葉に応えるようにして、草の間からやや四角い形をした石が二つ、レイの目の前とラスティの目の前に唐突に押し出すようにして現れて止まった。
「ありがとうね」
それを見て笑ったレイは、地面に向かってお礼を言うと当然のようにその石に座った。
「ほら、ラスティも座って。これなら少しは休憩出来るでしょう?」
「あ……はい。ありがとうございます」
突然、地面から石が出て来るのを呆然と見ていたラスティは、慌てたようにそう言って目の前に現れた石に座った。
担いでいた二つのリュックも一旦下ろし、自分のリュックから水筒を取り出してとにかく水を飲む。それを見たレイも、同じように荷物を下ろして自分のリュックから水筒を取り出して水を飲んだ。
しばらくの間、息を整えながら黙って座っていたが、もう一度水を飲んだレイは蓋をした水筒を揺すりながら地面に転がる人形を見つめた。
また不自然な沈黙が落ちる。それから小さなため息を吐いて目を閉じたレイは小さく首を振った。
「あの時……まだ小さかった僕は、酷い怪我をした母さんの体を支える事さえ、ろくに出来なかった。追いかける男達から逃れて森の中へ逃げ込んで、だけど今度は森狼に追い立てられて、逃げて、逃げて……足元は、こんなに歩きやすい訳もなくて、硬い茨と蔓草に、何度も足を取られて転んだんだ。その度に酷い血の匂いがして……」
「レイルズ様!」
ラスティは大声でレイの名前を叫んで、彼の半ばうわ言ようなその呟きを遮った。
そして立ち上がってレイのすぐ側へ駆けつけて彼の目の前に跪くと、レイの右の手を包み込むようにして両手で握った。
これはいけない。
過去の悪夢に囚われてしまっているレイを助けなければいけない。
咄嗟にそう判断したラスティは、出来るだけ穏やかに落ち着いた声でゆっくりとレイに話しかける。
「レイルズ様、ここは安全です。大丈夫ですから、とにかくゆっくりと息をしてください。ほら、吸って、吐く、吸って、吐く……」
そう言いながら小さく震えていたレイの右の手を一度力を込めて握り、手の甲をそっと叩いてゆっくりとリズムを取りながら息をするように促した。
真っ青になっていたレイがその言葉に小さく頷き、言われた通りにゆっくりと息を始める。
時折乱れつつも、ラスティの取ってくれるリズムに合わせて呼吸をしているうちに次第に震えは収まり、血の気が引いて真っ青になっていた顔色も元に戻った。
「ありがとう、ラスティ……心配かけて、ごめんなさい」
しばらくして、照れたように小さくそう言ったレイがまだ握ったままだった手をそっと動かした。
「もう大丈夫のようですね」
安堵したように小さく笑ったラスティが手を離し、立ち上がって自分の為にレイが用意してくれた石に改めて座る。
「状況が似ていたからかなあ……不意に思い出しちゃって、自分でもびっくりしたや」
もう一度水筒の水を飲んだレイが照れたように小さく笑って肩を竦める。
「本当に大丈夫ですか? お辛いようならば無理はいけませんよ」
そう言って胸元から精霊の小枝を取り出すラスティを見て、レイは慌てて首を振った。
「ああ、ごめんなさい! もう大丈夫だからそれは出さないで! 駄目だよ。せっかくなんだから、前半は全部成績優秀で通過するの! だって……後半は、正直言って全然自信無いんだからさあ。良い成績取れるところは頑張るんだよ!」
その、あまりにも素直な言葉に、ラスティが吹き出す。
「成る程。まあ、気持ちは分かります。本当に大丈夫ですか」
「うん、大丈夫。だって、今は一人じゃあなくて、ここにはラスティがいてくれるもん」
全幅の信頼を寄せてくれる無邪気なその言葉に一瞬言葉が出ず、不意に浮かんだ涙をなんとか飲み込んだラスティは、小さく笑ってわざとらしく胸を張った。
「そこまで言われてしまっては、私も頑張らないわけにはまいりませんねえ。かしこまりました。では私がしっかりとお支えしますから、今日の課題もさっさと片付けてしまいましょう」
そう言って笑って拳を突き出したラスティの言葉に、破顔したレイも笑顔になって拳を突き出したのだった。
『ふむ、我の出る幕がなかったな。どうなるかと慌てたが、今回はあの従卒に助けられたな。有り難い事だ』
放り出された人形の足に座ったブルーのシルフは、顔を見合わせて笑い合うレイとラスティを見て、少し悔しそうにしつつも笑顔でそう呟いて何度も頷いていたのだった。
ニコスのシルフ達もその隣に並んで座り、嬉しそうな笑顔で、立ち上がって出発準備を始めた二人を愛おしげにいつまでも見つめていたのだった。




