レイとマティウスの違い
「ううん、足元が思ったよりも悪いね。焦って進んで足を挫いたり、怪我をしたりしないように気をつけないとね。ラスティも気を付けてね」
大きな岩が草地に隠れるようにしてゴロゴロと転がる地面を見て、レイは小さなため息を吐いて自分の後ろを歩いているラスティを振り返った。
「確かにこの辺りはかなり足場が悪いですね。気を付けます。特に、草に埋もれて岩場や穴が見えないのは厄介ですね」
立ち止まったラスティも、困ったようにため息を吐いて足元の膝丈ほどに茂った草を払った。
「こういう時はやっぱりこれだよね」
軽く肩を回したレイが、腰に装着していた短剣を抜いた。
「僕が草を払いながら進むから、僕が進んだ所をラスティは歩いてね」
得意気なその様子に、ラスティは笑顔で頷いた。さすがは森育ち。ここは任せても大丈夫そうだ。
草を切り払いながら、レイは苦笑いを噛み殺していた。
立ち入ってみて分かったのだが、当然なのだろうが、この草地は明らかに人の手が入って管理されている。
この伸び放題になっているかのように見える下草だが、実際の森の中では絶対にこんなふうには茂らない。もっと地面に近い位置に硬い茨や蔓草が複雑に絡まり合っていて、そもそも森の中に人が踏み入るのは容易では無いのだ。
しかし、ここは明らかにその茨や蔓草だけが刈られていて、その上でこの長い稲科の草が伸び放題になっているのだ。
それを考えれば、この草を軽く払う程度で進めるようになるはずだ。
しばらく、一歩ずつ足場を確保しながら草を切り払って進んで行くと、予想通りに下草の茂り具合が減り始めた。
そのまま楽々と下草を切り払いながら黙々と進み続け、一刻ほどで最初の森を無事に抜ける事が出来た。
「えっと、あそこにある旗が、中継地点の目印だね。よし、ちゃんと進んでる」
森を出た開けた明るい場所で立ち止まり、冊子になった詳しく描かれた方の地図を開いて確認しながら、指定された途中にある中継地点の旗を見つけて駆け寄る。その旗の下には、小さな小箱が置いてあるのが見えて笑顔になる。
「よし、一つ目発見。えっと、この中の物を持って行けばいいんだよね」
指令書に書かれていた通りに蓋を開けると、中には番号が書かれた木片が入っていた。
「これは落とさないように、ここに入れてっと」
ベルトに取り付けた小物入れの中にその木片を入れて蓋を閉める。
「じゃあすぐに進もう。昼食までにもう一つの中継地点を見つけないと時間以内に到着出来ないよ」
頷いたラスティと手を叩き合って、レイはラスティが広げて持ってくれている冊子の地図で、時折太陽の角度や遠くの山並みなどを見て現在位置を確認しながら、また別の森へと続く道なき道を迷う事なく進んで行ったのだった。
「くそ! 一体どうなってやがる!」
マティウスは、進んでいた獣道が唐突に途切れて茨の硬い茂みで道を塞がれてしまい、薄暗い森の中で立ち往生していた。
一緒に進んでいる彼の従卒は、黙ったままで何も言わない。
「この道じゃなかったら、どうやって進むって言うんだよ。こんなの絶対無理だろうが!」
怒りに任せて持っていた地図を地面に叩きつける。
「フェルダー達は? 何か言ってきたか?」
「今の所、お二方とも特に何も連絡はありません。ですが中継地点を過ぎれば連絡は来るはずですので……」
「って事は、あいつらも同じく迷子ってか?」
「……恐らくは」
遠慮がちなその言葉に、マティウスは大きなため息を吐く。
本来、訓練中に参加者同士が緊急事態以外で、勝手に連絡を取るのは禁止されている。しかし、彼らは当然のようにお互いの連絡が取れる精霊の枝を交換して持ち歩いているのだ。
その途中経過の連絡がまだ来ないと言う事は、恐らく彼らも自分と同じように迷っているのだろう。
「ああ、クソッタレが!」
荒ぶる感情のままに、怒りに任せて前を塞ぐ茨の茂みを蹴り上げる。
太い木が折れる大きな音がした直後、マティウスが悲鳴を上げて茨を蹴った右足を押さえて仰向けに転んだ。
「マティウス様!」
地図を拾ってなんとか現在位置を見つけようとしていた彼の従卒が、その悲鳴に驚いて振り返り慌てて駆け寄って転んだマティウスを抱き起こす。
「血、血が……」
茂みにまだ半ば突っ込んだままになっていたマティウスの右足は、ブーツのすぐ上のところでざっくりと服ごと切れていて、ふくらはぎの外側部分の肉が裂けて掌ほどの大きさに渡って血が滲んでいた。
それを見て情けない悲鳴を上げるマティウスを押さえながら、彼の従卒が即座に怪我した箇所を持っていた布で縛る。
「立てますか?」
うめき声を上げた涙目のマティウスが従卒を睨みつける。
「立てるわけないだろうが! 痛えよ! クソッタレが!」
自業自得という言葉の意味を知らないらしいマティウスに、彼の従卒は密かにため息を押し殺して彼の顔を両手で掴んで自分の方を向ける。
「マティウス様。どうなさいますか? このままこの足でも頑張ってお進みになるか。初日の達成は諦めて救難信号を出すか。今すぐにお選びください」
普段彼が何を言っても、やらかしても、決して穏やかな表情を崩さないはずの従卒の強い言葉に、痛みに顔を顰めていたマティウスが驚いて無言になる。
「だけど、助けを求めたら初日から失格って事だろうが」
「はい、ですが私はそれをお勧めします。この怪我は刃物の怪我と違い、折れた木の先端でざっくりと裂かれたような傷です。早い手当てを勧めます。傷から良くない風が入れば最悪足を落とす事にもなりかねません。今後の為にもまずは怪我の手当てを。このような場で茨を踏み抜くのは、致し方ない事かと」
無言のままのマティウスが布が巻かれた自分の足を見る。その白い布は、既に血が滲んで一部が赤く染まっている。
「救難信号って、どうするんだよ?」
「ここに」
小物入れから、見慣れないやや太い精霊の枝を取り出した従卒を見て、マティウスは顔を覆った。
怪我をした足は酷く痛み、彼の体は小さく震えていた。
「頼む……」
「かしこまりました」
大きなため息と共に泣きそうな声でそう言った彼の言葉に頷き、膝をついた従卒は深々と一礼してその場で枝を折った。
即座に複数のシルフが集まって座り、目の前で真顔の従卒と話しを始めるその様子を、マティウスは小さく震えつつも無言で睨みつけていたのだった。




