一泊目の出来事
「ううん……何もせずにいただく食事に文句を言っちゃあいけないのは分かってるけど、これは確かにちょっと一言文句を言いたくなるねえ」
ラスティから渡された煮込みスープが入った器と薄切りのカチカチのパンを前にして、レイは密かなため息と共にそう呟いた。
この煮込みスープに入っている具の殆どは干し野菜を戻したものだが、恐らく煮込み具合がまちまちな具材を同時に入れて煮込んであるのだろう。あるものは炊きすぎて歯応えが全く無くなっているし、かと思えば、別の具はまだまだ戻りかけの為にうっかり噛んだら歯が欠けそうなくらいに固いのだ。一応ベーコンらしきものは入っているが、ほぼ原形を留めていないくらいの細切ればかりだ。
味付けは塩味のみ。それも濃い塩味ばかりが口に残り、本来なら感じられるはずの干し野菜の甘みが全く無い。確かに温かいのはありがたいが、もうこれはわざと不味く作っているのではないかと疑いたくなる程の酷い出来だ。
幼い頃に食べていた母さんが作ってくれた干し野菜とベーコンのスープの方が百万倍美味しいと思う。
正直言って、これを食べるくらいなら、毎食あの携帯食と水でもいいのにと割と本気で思い始めていたレイだった。
とは言え、与えられた食事を口に合わないからと言って粗末に扱うよう真似はしない。もう一度ため息を吐いたレイは、カチカチのパンをそっとスープに浸して、少しふやけたところをお行儀悪く手に持って器の上で齧った。
それに、いつもしっかり食べているレイにとってはこれははっきり言って腹塞ぎにもならない程度の量しかない。レイの食べる量を分かっているはずのラスティが何も言わないという事は、これだけしか一人当たりの割り当てが無いと言う意味なのだろう。
膝の上に座って自分を見つめているブルーのシルフにもう何度目か分からないため息を吐いて見せたレイは、目を閉じて残りのスープを右手のスプーンで一気にかき込んでそのまま飲み下したのだった。
ほぼ気力のみで食事を終えたレイは、空になった器を見てまたため息を吐く。
「はあ、やっと無くなったや。こういう時って、食事が唯一の癒しとか楽しみとかなんじゃあないのかなあ。いくら何でも毎回これだと、これのせいで訓練そのものが嫌になって士気が下がっちゃいそうだよね」
空になった器を手にしたままそう呟き、もう一度今度は諦めのため息を吐いたレイだった。
すっかり見慣れた竜騎士隊の本部や精霊魔法訓練所の食堂は、特別美味しいと言う訳ではないが毎日変わるメニューの種類も量も豊富だし、まあそれなりには美味しく作ってくれている。
料理長に心の底から感謝しつつ、空になった食器をラスティに返して立ち上がったレイは頭がつっかえそうな天幕の外に出て大きく伸びをした。
そして、その際に目に飛び込んできたその光景に思わず小さく声を上げた。
松明の明かりはあちこちにあるものの、辺りはかなり暗い。
見上げた空は、数えきれないほどの無数の星々に満ち溢れていた。
頭上を斜めに横切る、天の川、と呼ばれる特に星の数が多い箇所は、いつも見ているのとは比べ物にならないほどの数の星々に見事なまでに埋め尽くされていた。
「えっと、ああそうだ! 天体盤!」
慌てて天幕に戻ったレイは、自分の荷物の中からいつも使っているものよりもかなり小さい携帯用の天体盤を取り出した。
「ああ、目盛りが見えないよ。えっとウィスプ、ちょっとだけ手元を照らしてくれるかな」
円盤の縁に刻まれた細かい文字が見えなくてそう呟くと、一人だけ出てきてくれた光の精霊がいつもよりもかなり控えめな明かりでレイの手元を照らしてくれた。
「ありがとうね。明かりはもういいよ。よしこれでいい」
見えるようになった小さな文字の目盛りを今日の日付の箇所に合わせた天体盤を手に、もう一度天幕の外へ出る。
「うわあ、本当にこの通りだ」
天体盤と頭上の星空を見比べながら、もう少しゆっくりと見てみたくて、天幕の側から少し暗い影になった離れた場所へ向かって歩いて行く。
しかしその影になった場所で、まだいてくれた光の精霊にごく弱い明かりを灯してもらい、改めて空を見上げようとしたレイは、何かにつまずきかけて咄嗟に前屈みになって転ばないように何とか踏ん張った。
また足に何かが当たる。
「えっと……」
そこには驚いた事に先客がいたのだ。
地面に寝転がったまま、光の精霊が灯す薄明かりに照らされて自分を茫然と見上げているマティウスとフェルダーが。
しかも、何故か二人とも上着が脱げていて、仰向けに寝転がっているフェルダーのシャツに至っては、ほぼ脱げかけていて両肩が剥き出しになっている。寒くはないのだろうか?
「な、な、な……」
突然のレイの乱入に驚きのあまり言葉も無い二人に、二人を踏むところだったレイは慌てて後ろに下がった。
「ごめんなさい、もうちょっとで踏むところだったね。えっと……ところでこんなところで何をしているの? 具合でも悪いのかな?」
それなら誰か呼んできた方がいいのだろうか?
どうしたら良いのか分からずに困ったようにそう尋ねると、寝転がったままだった二人が、何故か揃って吹き出した。
「おいおい、この反応はもしかしてもしかするのか?」
「だよなあ、絶対そうだよなあ」
二人は顔を見合わせて、それから揃ってこれ以上ないくらいにニンマリと笑った。
「お子ちゃまは早く寝な。大人の邪魔するんじゃねえよ」
「だな、お子ちゃまは早く寝ちまえ」
マティウスがそう言いながら、まるで追い払うみたいにしっしと手を振る。
そしてそのまま二人は、まるで見せつけるかのようにレイを横目に見ながらゆっくりと口づけを交わしたのだ。
それを見て、唐突に真っ赤になるレイの様子にまた二人が吹き出す。
「お、お、お邪魔しました〜〜〜〜〜!」
ようやく彼らが何をしていたのか理解したレイは、天体盤を胸元に抱えたまま叫びかけて口を抑え、小さな声でそう言って一礼すると踵を返して天幕まで一気に駆け戻った。
「うわあ、びっくりした〜〜〜〜!」
天幕に駆け込むなりそう言って頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
「レイルズ様、どうかなさいましたか?」
寝袋の用意をしてくれていたラスティの驚く声に、レイは答えようがなくて、俯いたまままだ真っ赤な顔を必死になって振り続けていたのだった。




