明日の準備
「えっと、明日の出発までに僕が準備しておく事って何かありますか?」
いよいよ出発が明日に迫ったその日、夕食の後のカナエ草のお茶を飲みながら、レイは小さな声で隣にいるルークにそう尋ねた。
今日まで、とにかく与えられるさまざまな具体的な課題を必死になって解き続け、それなりに作戦の立案と実際の指示について、一応出来るようになったとルーク達に言ってもらえるようになった。
なので、最初に行くと言われた時ほどの不安は無くなっている。とはいえ、実際に行ってどんな風に何をするのかなんて全く想像が付かなくて困っているのだ。
「それと、着て行く服はこれでいいんですか?」
そう言いながら、自分が今着ている、騎士見習いの赤い上着の胸元を見る。
「あれ、装備については、最初に渡した書類に説明が書いてあっただろう?」
笑ってそう言われて必死になって思い出す。
「えっと、確か……あ! 遠征装備、って書いてあった気がする……」
「だったら?」
「えっと、ああそっか! 遠征装備って事は、以前ロディナへ行く時なんかに着た、これじゃなくてもう一つの制服の方だね」
「そうそう。今回のお前は竜騎士見習い、つまり士官候補生と同等の階級として遠征訓練への参加だからな。まあ、あの制服も今着ているのと同じで何処にいても目立つけど、これはもう仕方がないと思って諦めてくれ」
笑って肩を竦めるルークに、レイも苦笑いしつつ頷いたのだった。
「それで、僕が準備しておく事って、何かありますか?」
「別に、何か個人的に持っていきたいものでもあれば別だけど、基本的な準備はラスティが用意してくれるよ」
「ええ、個人的に持って行きたいもの、ですか?」
「そうだよ。例えば愛しい恋人の細密画とかさ」
掌にもう片方の指先で小さな丸を描いてみせる。
細密画とは、掌に乗るくらいの小さな板などに文字通り細密に描かれた肖像画などの事だ。それに蓋と鎖を取り付けて携帯用として持ち歩く事も出来るしようになっているものも多い。
精霊王や十二神の肖像画が多いが、家族や恋人の細密画を持ち歩く軍人は多い。
例えばヴィゴは、家族の細密画を常に懐に忍ばせていると聞いて、以前見せてもらった事がある。
花の中で笑っている三人のとても綺麗な肖像画は、まるで生きているかのように見事に描かれていた。
それを思い出して唐突に真っ赤になるレイを見て、ルークが遠慮なく吹き出す。
「そ、そ、そんなの、持ってません!」
真っ赤になってブンブンと首を振るレイを見て、ラスティ達も必死になって笑いそうになるのを堪えていた。
「まあ、それ以外だと例えば経典や護符、或いはお守りとかかな」
そう言って、レイの剣に取り付けた房飾りをそっと突っついた。
「それは付けて行っても構わないけど、多分かなり汚れると思うぞ。だけどまあ、こんな時こそのお守りだからな」
これは気に入っているので、どうしようかと思わず房飾りを手にする。
「同じ色のがもう一つ、新しいものが届いていますからご心配なく」
ラスティがそう教えてくれたので、レイは笑顔で大きく頷いた。
なんの根拠も無いが、これがあればきっと大丈夫だと思えた。
「後はまあ、手帳や万年筆程度は持っておけよな。そのペンダントや指輪も個人装備だからそのままで良いぞ」
「でも、精霊魔法は使っちゃ駄目なんですよね?」
「使っちゃ駄目なわけじゃあないよ。模擬戦の時は、基本的に人の動きを見るから精霊魔法での攻撃は禁止って事。だけど精霊通信なんかは堂々と使っていい。恐らくだけど、他の士官候補生達や上官から頼まれたりもすると思う。公的な通信、つまり第三者が聞いてもいいのなら取り次いでやっても構わないぞ。だけど個人的な精霊通信、つまり例えば恋人の声が聞きたい、なんてのは断った方がいい。揉める元だからな」
意味が分からず、目を瞬くレイにルークは苦笑いしている。
「まあ、個人的な精霊通信は取り継がないように言われてる。って、そう言って断って良いぞ。なんなら指導役で俺の名前を出してくれても構わないからな」
驚きつつ、ルークがそこまで言うのなら、きっと問題があるのだろう。そう判断したレイは素直に頷く。
「分かりました。気をつけます」
「おう、それでいい。ああ、そうだ。演習場はここよりも星が綺麗に見えるぞ。お前が持ってるあの星を見る時に使うお皿みたいなやつ。あれくらいなら持っていけるんじゃないか?」
空になったレイの前に置いたお皿を指で突っつかれて、レイは笑顔になる。
「天体盤だね。それなら携帯用のがあるからそれを持って行きます」
嬉しそうな笑顔のレイを見て、ラスティは荷物に入れた天体盤を思い出して密かに得意気に頷いていたのだった。




