ワインと彼らの事
「いやあ、本当に助かったよ。資料整理だけでもありがたかったのに、次の講義の資料の草案が今日中に全部まとまるなんてな」
「本当だよな。ありがとうな。これでこの後の作業が相当楽になったよ」
「任せて。お手伝いするのは得意なんだ」
書き終えた何枚もの書類を整理する嬉しそうなマークとキムの言葉に、レイも笑顔で胸を張った。
夕食を終えて二人の仕事部屋にしている会議室に戻ってきた三人は、手間のかかりそうな資料を中心に手分けしてまとめ、何とか目処が立って今日の仕事を終えたところだ。
「さて、それじゃあ資料作りの作業も一段落した事だし、レイルズが持って来てくれたあのワインを頂いてみるか」
「そうだな。せっかく持って来てくれたんだから、これは三人で一緒に味わってみるべきだよな」
「そうだね。出来れば僕もそうしたいや」
小さく笑ったレイの言葉に真顔の二人が頷き、仕事用に使っている大きな机とは別にある、水場近くに置かれた別の机に三人は揃って移動した。
こっちは、部屋で食事を食べたり、お酒を飲んだりするときに使っている机だ。
レイルズが来ても良いように、普段からここには椅子が三脚置かれている。ここへ来てそれを見る度にレイは嬉しくてたまらず、いつも笑顔になるのだった。
「あそこに置いたワインは、ちょっとしばらく飾っておくよ。今夜は別のを開けるぞ」
レイでないと手が届かない高い棚の上に置かれた赤のワインを見たキムが、苦笑いしながら木箱から別のワインを取り出す。
「ああ、ロゼと赤の二種類があるんだな。どうする? せっかくだから両方開けてみるか?」
「そうだな。せっかくだから飲み比べてみようぜ」
顔を見合わせて頷き合い、マークが戸棚からナッツの入った瓶を、キムは保存用の氷が入った箱からチーズの塊を取り出して木製の板の上に置いた。
これは先ほど食堂に食事に行った際に、料理長にレイがお願いして分けてもらったお酒のつまみ用のチーズだ。
キムが、器用にチーズ専用のナイフで塊を適当に切り分けてくれる。
その間に、マークが三人で飲む時用に用意してある、普段二人で使っているのよりも少し高級なワイン専用のグラスを取り出して並べた。
「それじゃあ開けるね」
準備が整ったのを見て、レイがロゼのワインを手にして二人に見せる。
笑顔で拍手する二人に頷き、まずはナイフで瓶の口を覆っている蝋をゆっくりと掻き落としていく。それから、専用のワインオープナーを使って栓のコルクをゆっくりと引き抜く。
レイが真剣な様子でワインを開けてくれるのを、マークとキムもそれぞれ真剣な顔で黙って見つめていた。
「はい、どうぞ」
二人が手にしたワイングラスに、ゆっくりとワインを注ぐ。
マークがワインの瓶を受け取り、レイのグラスにもゆっくりと注いでくれた。
「これを作ってくれた遠い彼の地にいる二人の健康と安寧を願って、精霊王に感謝と祝福を」
真剣なレイの言葉に、マークとキムもそれはそれは真剣な表情で頷く。
「精霊王に感謝と祝福を」
グラスを掲げ、二人もレイの言葉に続いた。
「良い香りだな」
「うん、確かにこれはいい香りだ」
目を閉じて、ゆっくりとワインの香りを楽しむ二人を見て、レイも嬉しそうに頷いてもう一度ゆっくりとワインの香りを楽しんだ。
「優しい香りがするね」
「ああ、さすがに上手い事言うなあ。確かにこれは、優しい香りって表現がぴったりだな」
「うん、確かにさすがだよな」
レイの言葉にキムが笑顔でそう言い、マークも目を閉じたままうんうんと頷いている。
ワインなんて、今までは安いものしか飲んだ事がなくてガバガバと飲むのが普通だと思っていた二人だけれど、レイからワインの色や香り、それから口当たりの良さなど、ワインの楽しみ方も何度か教えてもらったりもして、以来、頂き物の高級なワインはこんなふうにして香りも楽しみつつ味わって飲むようにしている。
「あいつら、どうしてるんだろうな」
「怪我はもう癒えたのかな……」
二杯目のワインを飲み終えた頃、二人が小さな声でそう呟いた。
その様子を見て、レイはシルフ達から聞いた彼らのエケドラでの様子や、三人の護衛の冒険者達から聞いた話を、二人に話していない事を思い出した。
レイ自身は彼らの事は今でも大切な友達だと思っているが、よく考えたら、二人が彼らの事を今はどう思っているのか改めて聞いてみた事が無い。
もしも自分とは違う考えを持っていたのだとしたら、このワインは余計なお世話だっただろうか?
不意に思いついたその考えに一人でパニックになっていると、右肩に現れたブルーのシルフが呆れたようにレイの頬をそっと叩いた。
『待ちなさい。勝手に馬鹿な考えをするでない。今の彼らの表情を見れば、あの二人をどう考えているかなど分かるであろうに』
笑ったその言葉に我に返ったレイは、黙って二人を見た。
二人とも、手にしたワイングラスを見つめながら考え込んでいるみたいだ。だけどその表情は穏やかで、少なくとも嫌悪感は見当たらない。
「僕は、今でも彼らの事を友達だって、思ってる……二人は、二人はどう?」
勇気を出して、小さな声でそう言ったレイの言葉に、二人が驚いたように顔を上げる。
「どうって、そりゃあ正直に言うと思うところがないわけじゃあないし、馬鹿な事をしたって思うよ。だけど、だけど彼らはきちんと反省して、与えられた贖罪の旅を文字通り命を賭けて終えたんだ。それは立派だと思うよ」
「ああ、確かにその通りだよな。だから俺達にとっても彼らは今でも友達だよ。お前と同じさ」
優しい二人の言葉に、レイは溢れてくる涙を堪えられなかった。
それから、レイは護衛の冒険者達から聞いた彼らの様子や怪我の具合、それから降誕祭の後にシルフ達から聞いた密かな届け物と、シルフがしてくれたのだと言う癒しの術の一件を話した。
護衛の冒険者達の話は何度も頷きながら聞いていた二人だったが、ブルーの使いのシルフが彼らに密かにまじない紐を届けてくれたと聞き、揃って驚きの声を上げた。
「うわあ、さすがは古竜の使いのシルフだなあ。小物だったら届けられるんだ」
「だよな。普通はシルフ達は言葉は届けられても、形のある物は届けられないのに」
呆然としながらそう呟く二人の言葉に、目を瞬いたレイが笑いながら頷く。
「ああ、確かに言われてみればそうだね。へえ、やっぱりブルーはすごいね」
「いや、お前……凄いねとか、その程度で済む話じゃねえって」
「だよな。あのな! 言っておくけどこれは特例なんだからな! ラピス様が特別に配慮してくれたから届けられたんであって、そんな事、日常的に出来るなんて考えるなよ!」
「そうだぞ! 俺達だから良いけど、この一件は他の人には迂闊に話したりするんじゃあねえぞ!」
無邪気に感心するレイの様子を見て慌てたように必死になって口止めする二人を、少し離れた燭台に座って見ていたブルーのシルフは、満足気に頷いていたのだった。




