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蒼竜と少年  作者: しまねこ


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チェルシーの祈りと想い

 その日、一の郭の銀鱗の館と呼ばれる屋敷の一室で、大きなお腹を抱えたチェルシーは、床に敷いた絨毯の上に、さらに祈りの為の小さな絨毯を敷いて跪き、一心に祈りを捧げていた。

 目の前には、小さいながらも精巧な作りの立派な祭壇がある。

 その祭壇正面には掌ほどの大きさの精霊王の彫像と、その左右に10セルテほどの小さな女神オフィーリアを始めとした十二神、そしてさらに小さなエイベル様の彫像が聖霊王の神殿と同じ正式な順番に綺麗に並べて祀られている。

 正面の精霊王の彫像の前に置かれた、細やかな装飾が施された小さな燭台に並んだ十二本の小さな蝋燭に順に火を灯し、最後の一本が消えるまでチェルシーは、それはそれは真剣な表情で祈りを捧げ続けていた。



 この祭壇は元々この屋敷にあった物ではなく、チェルシーの妊娠が判明し、今まで通っていた城にある精霊王の神殿の別館や、女神の神殿の分所に通えなくなった彼女の為に、カウリが精霊王の神殿に依頼して用意してくれたものだ。

 当然、設置の際には精霊王の神殿から何人もの神官達と、女神オフィーリアの神殿からも何人もの僧侶達が来てくれて、彼女とカウリの立ち会いの元で幾つもの祈りを捧げて場を清めてくれた。

 自分一人の為にこんなにも豪華な祭壇を用意してくれるなんて畏れ多いと恐縮する彼女に、僧侶達は笑顔でこう言ってくれた。

「これでいつでも好きなだけお祈りが出来ますね」と。

 しかしまだ妊娠初期で状態が安定していなかったチェルシーは、設置の際の長い祈りの最中に何度も気分が悪くなって、その度に退席しては休む事になってしまい、とうとう最後にはひどいつわりのせいで貧血まで起こして立ち上がれなくなってしまった。

 常駐してくれているお医者様から、もうこれ以上の立ち会いは危険だと止められてしまい、自分のための祭壇を設置してくれているにも関わらず途中での退席を余儀なくされてしまった。

 しかし、神官や僧侶達はそんな彼女を気遣ってくれ、最後にはベッドに横になって休んだまま起き上がれない彼女とお腹の子供の為に、揃って祝福の祈りを捧げてくれたのだった。

 以来、彼女は毎朝毎晩この祭壇に向かって蝋燭を捧げ、季節の果物を供え、手を合わせて祈り続けている。



 最後の蝋燭が燃え尽き、部屋が少し暗くなったのに気付いて顔を上げる。

 その時、轟くような竜の雄叫びが聞こえ、直後に街中の鐘が一斉に打ち鳴らされて幾重にも響き渡った。

 息を飲んだチェルシーは、改めてその場に跪き、両手を握りしめて額に当てて深々と、大きなお腹で、それでも出来る限り深々と頭を下げた。

 今のは、カウリの伴侶の竜の咆哮だ。そして鐘が鳴り響いたという事は、叙任式がつつがなく執り行われてカウリが竜騎士の剣を拝領した事を意味していた。ついに彼が正式な竜騎士となったのだ。

「精霊王よ、どうぞあの方をお守りください。精霊王よ……」

 何度も何度も、そればかりを繰り返し唱え続ける。握りしめたその両手は小刻みに震えていた。



 今まで後方支援の兵士として、彼女はずっと事務方兼倉庫番として日々真面目に勤めていた。

 最後の上司となった今の彼女の夫であるカウリは、見かけはだらしなくて油断するとすぐに無精髭が生えているような、妙に抜けたところのある不思議な人だった。

 姿勢も悪く猫背だし、朝練を嫌がってすぐにサボろうとするし、煙草は吸うし、口では文句と泣き言ばかり言っている。それなのに実際に仕事をさせると、彼はとんでもなく優秀な人だった。

 記憶力は抜群だし、計算も早く事務処理能力にも優れ、人当たりもよく、あっという間に部隊内部に自分の立ち位置を確保してしまった。

 彼がオルダムに配属されて半年が過ぎた頃には、すでに彼は部隊にとってもなくてはならない存在になっていた。

 そして、気付けば彼を異性として意識し始めていたのだけれど、最初はあくまでの自分だけの想いだと考えていた。

 結果として家族に裏切られ自ら家族を捨てた形になってしまった彼女は、家庭というものに対して幼い頃から抱き続けていた幻想のようなものを無意識に自分の将来から排除していた。自分には縁の無いものだと思い込もうとしていたのだ。

 しかし、そんな自分に彼は言ってくれた。俺の事を少しでも好きだと思ってくれているのなら、一緒に家庭を作って欲しいと。耳まで真っ赤になりつつ、指輪を差し出してくれた彼に縋りついて号泣した。

 ようやく、ささやかだけれども幸せな家庭を築けるのだと、それが現実になるのだと思えるようになった矢先、精霊王の悪戯により、彼は精霊竜の主となり彼女の前から突然にいなくなってしまった。

 勿論、縁が切れたわけでは無かったが、一時はもう彼との将来を本気で諦めていたほどだった。

 それなのに、結果として大勢の人達から祝福され結婚式を挙げ、こんなにも立派なお屋敷に女主人として住む事になった。

 そこからの事はもう、今となっては夢のような日々だった。

 新たな命を授かり、不安な中で彼に告白した時、彼は即座にこう言ってくれたのだ。ありがとう、と。

 無邪気なまでに喜んでくれる彼を見て、ようやく彼女もこの新たな命を喜ぶ事が出来た。

 しかし時に不安になる事もあった。

 自分の父のように、彼や自分が子供を自分達の所有物として見るような事になれば……いや、それよりも、一度は家族の存在そのものを否定していたような自分が、生まれる子を本当に心から愛する事が出来るだろうか。

 不安に揺らぎそうになった時、カウリが笑って自分を抱きしめて話してくれた。

 ヴィゴから聞いた話だけどさ。笑って誤魔化すようにそう前置きをして、彼は優しく言い聞かせるように話してくれた

「愛する対象が増えれば、今ある愛情を、一つを半分に分けるんじゃあない。自分の中に愛する対象の数だけ愛情がどんどん増えていくんだってさ。素敵な考えだよな。だから俺もそう考える事にしたんだ。不安になるなら、チェルシーもそう考えてみればいい。新たな命と一緒に、俺達の愛もまた一つずつ増えるんだってな」

 照れ屋の彼の、おそらくは精一杯の言葉だったのだろう。そう話した直後に真っ赤になった彼はソファーに突っ伏して動かなくなってしまい、しばらく真っ赤なままで二人揃ってクッションを抱えて悶絶していたのだった。



 さまざまな事が思い出され少しだけ笑顔になったものの、不意に襲ってきたこれから先の様々な不安と、とうとう正式な竜騎士となってしまった夫に課せられたさまざまな義務について思い出してしまい、改めて聖霊王に祈りを捧げたのだった。



 万一戦いとなった暁には、どうかあの人をお守りください。そして、どうかこの子の父親を奪わないでください。と。

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