それぞれの気持ちと見えぬ未来
「あの、一つ質問なんですが……その、彼女は出家する事を承知しているんでしょうか?」
やや遠慮がちなティミーの質問に、マイリーは頷く。
「それは当然だよ。彼女を保護した直後は、父親を恋しがって何度も夜中に泣いたりもしていたらしい。だがある日突然彼女の方から孤児院の院長にこう言ったそうだ。いずれ出家したいのだが、それは認めてもらえるだろうか。とね」
「それはまた……」
驚く若竜三人組とレイ達に、ルークも大きく頷く。
「元々、ご両親は敬虔な精霊王の神殿の信者だったらしい。当然、女神の神殿へも参拝を欠かさなかったそうだから、それを見て育った彼女が、亡くなったご両親の魂が早く輪廻の輪に戻れるようにと願いを込めて、自ら出家したいと申し出たのは、ある意味自然な事だったのかもな」
ルークの言葉に、皆それぞれに小さく頷き精霊王への祈りの言葉を唱えたのだった。
「それじゃあ、おやすみなさい」
夕食の後、若竜三人組は同世代の友人達が集まる夜会があるとかで揃って出掛けてしまい、大人組も倶楽部の会合があるとかで早々に休憩室から引き上げてしまい、置いていかれてしまったレイとティミーもその日はもう大人しく早々に部屋へ戻った。
湯を使って寝巻きに着替えたレイは、しかしすぐにベッドへは行かずに天体望遠鏡を取り出して、窓辺まで持ってきた椅子に座って月の観測をしながら先程の話を思い出していた。
「ご両親を亡くされて、自分から巫女になりたいって申し出るって……まだ十二歳の子が、すごい覚悟だよね」
しばらくして小さなため息とともにそう呟き、天体望遠鏡に座ったブルーのシルフを見る。
『うむ、確かになかなかに健気な子であったな』
「そっか、ブルーはその子を見たんだね?」
当然のようにそう尋ねられて、ブルーのシルフは苦笑いしながら頷いた。
『其方が屋敷のお披露目会をしていた頃、我はこの国のあちこちを実際に飛んで見て回り、もちろんクームスへも行ったぞ。その際に、先程話題になっていたペリエルという少女にも会った。まあ、当然会ったのはシルフだから彼女は我の事を知らぬがな』
「ブルーのシルフも、黙っていれば単なる大きなシルフに見えるものね」
笑ったレイの言葉に、ブルーのシルフも笑って頷く。
黙々と月の模様を丁寧にノートに書き写すレイの手元を愛しげに見つめていたブルーのシルフは、レイの作業が一通り終わるのを待ってから、彼の右肩に移動して座った。
『まあ、まだ未成年の少女だよ。これから先、周りの思惑通りに育ってくれるかどうかなど、それこそ精霊王しかご存知なかろう。だからあまり気にする必要はないさ。其方は愛しの巫女殿と仲良くな』
笑ったブルーの優しい言葉に、レイは真っ赤になりつつも小さく頷いた。
「ねえブルー……」
しばらく無言で天体望遠鏡を覗いていたレイだったが、意を決したように顔を上げて自分を見つめているブルーのシルフに話しかけた。
『うむ、ここにいるぞ』
当然のように答えてくれる優しい声に小さく頷き、レイは小さくため息を吐いた。
「僕はさ、ディーディーの事が大好きだし、これから先もずっとずっと一緒にいたいと思う、少なくとも僕はそう思ってる」
黙って頷いてくれるブルーのシルフを見つめながら、レイはそれは真剣な顔で頷いた。
「だけどさ。これから先、もしかしたらディーディーと本気の喧嘩をする事だってあるかもしれない。考えたくないけど、もしかしたら……もしかしてだよ。僕がディーディーに嫌われる可能性だって無い訳じゃあないでしょう?」
ごく小さな声で呟くその言葉に、ブルーのシルフが驚いたように目を瞬く。
『おやおや、急にどうしたと言うのだ?』
月明かりの下でも分かるくらいに真っ赤になったレイは、それでも顔を上げたままブルーのシルフを見つめた。
「皆が僕とディーディーの事を応援してくれてる。それはすっごく分かる、有り難いと思うよ。それこそ、マティルダ様やサマンサ様を始め、皇族の方々までが密かに、いや、明らかに皆に分かるように応援してくださってる……」
黙って頷くブルーのシルフをレイはまるですがるみたいに見つめ続け、それからまた、小さなため息を吐いて俯いてしまった。
「だけど未来の事なんて、それこそ精霊王にしか分からないんだもの。だからもしかしたら、将来……僕とディーディーが、あの以前見た、刃物を持ち出した男性と逃げた女性みたいに……お互いを嫌う事だって、有り得ない事じゃあないでしょう?」
『レイ、見えぬ未来に仮定の話をしても無意味だぞ。それは考えるだけ無駄というものだ』
「それは、そうかもしれないけどさあ……」
『まあ、不安になる気持ちも分からぬでもない。だからこそ、我はこう言ってやるよ。大丈夫だ。其方はただ、自分の気持ちに誠実であれば良い』
「ブルー……」
泣きそうな顔で、ブルーのシルフを見つめるレイに、ふわりと飛んで来たブルーのシルフはそっと鼻先にキスを贈った。
『良き事が続くと不安になるのも分かる。大丈夫だよ。其方には我がついているのだからな』
優しく笑ったその言葉に、レイは困ったように、それでも笑って頷いた。
「ありがとうブルー、大好きだよ。お願いだから、もしも僕が道を間違えそうになったら……その時は止めてね」
キスを返したレイの言葉に、ブルーのシルフは優しく笑って大きく頷いた。
『ああ、約束しよう。常に見ているよ。もしも其方が間違えそうになった時には、必ず我が止めてやろう。だから安心しなさい』
もう一度大きく頷いたブルーのシルフに、レイは改めてキスを贈った。
『ほら、もうそろそろ休みなさい。明日も朝練に行くのだろう?』
気分を変えるように、笑って何でも無い事のようにそう言ってくれたブルーのシルフの言葉にレイも笑って頷いた。
「そうだね。確かにちょっと眠くなって来たからもう休もうっと」
立ち上がって大きく伸びをしたレイは、手早く天体望遠鏡を片付け、椅子をいつもの場所に戻してからベッドへ潜り込んだ。
「おやすみブルー」
照れたように笑ったレイの額に、ブルーのシルフはいつもラスティがしているようにそっとキスを贈った。
『常に我が守りを其方に。そしてよき夢が訪れるように願おう。おやすみ、レイ』
優しい、まるで祈りのようなその言葉に笑ったレイは、小さく頷くと枕に抱きついて顔を埋めてしまった。
しばらくして穏やかな寝息が聞こえてくるまで、ブルーのシルフはレイの側で、慰めるようにずっと癒しの歌を歌っていたのだった。




