とある執事の朝の仕事
その日、いつもの時間に一人の執事が目を覚ました。
手早く身支度を整え、まだ外が薄暗いのを確認してからゆっくりと部屋から廊下へ出る。今出てきたばかりの扉を振り返り、そのまま廊下を歩いて本宅へと向かう。
まずは朝食の確認をしなければならない。
昨夜、離れにお泊まりになったまだ若い竜騎士見習いの二人は、遅くまで楽しそうに陣取り盤をしていた。
ずっと楽しそうな話声がしていたので、もしかしたらあのまま徹夜しているかもしれない。
午前中はゆっくり休ませて良いと主人より聞いているので、あえて起こすような事はしない。
いくつかの打ち合わせを終えて足早に離れに戻って来たその執事は、控えの部屋にある覗き窓から客間の様子を確認した。
もしも散らかっているようなら、お休みになっている間に急ぎ片付けなければいけないからだ。
しかし、覗き窓から見えた部屋の様子に、彼は息が止まりそうなくらいに驚いた。
広いベッドには誰もいないし、使われた形跡もない。そして見える範囲にあるソファーにも誰もいない。
小さく息を呑んで背筋を伸ばした彼は、慌てたように足早に部屋を出て、隣の客間の扉の前に立った。
そっと軽いノックをする。
当然だが応えはない。
一度、自分を落ち着かせるかのように胸に手を当てて深呼吸を一つすると、静かにそっと扉を開いた。
薄暗い部屋は静まり返っている。
「失礼します」
もしかしてどこかに隠れているかもしれない可能性も考え、声をかけてから部屋に入る。
そしてベッドの奥やソファーの下、戸棚の中に至るまで探し回ったがやはり誰もいない。手洗いと湯殿も確認したが、当然そこにも誰もいない。
一体どこへ行った?
早鐘のように打つ心臓の音を聞きながら、とにかく離れの他の部屋も大急ぎで確認する事にした。
奥の部屋から、物置に至るまで一つ一つ慎重に調べていく。
念の為、鍵をかけてある部屋もわざわざ鍵を開けて中を確認したが、やはりどこにも姿が見えない。
普段は使われていない遊戯室の扉を開けようとした時、一瞬ガラスが割れるような音が聞こえて手を止める。
「もしや、ラピス様かターコイズ様がお越しになっておられますか?」
そう言いながら周囲を見渡したが、どこにも伝言のシルフの姿は見えない。
小さく深呼吸をした執事は、深々と空中に向かって一礼した。
「結界を解いていただき感謝いたします」
しばらくそのまま待ったが、どこからも応えはない。
顔を上げた執事は、そのままゆっくりと遊戯室の扉を開いた。
そして、部屋の真ん中に置かれたソファーに積み上がっている毛布の山を見て、彼は安堵のあまりその場に座り込みそうになった。
その山積みになった毛布の奥に、見覚えのある見事な赤毛が少しだけ覗いて見えたからだ。
「成る程、ここにいらっしゃいましたか」
小さく笑ってそう呟くと、机の上に散らかったままの陣取り盤を見る。
それは細工ものと呼ばれる盤の土台部分に繊細な彫刻が施された逸品で、駒も様々な天然石を削り出して作られている。これは相当古く、二百年以上は前のものだと言われている。
無言で盤上を見て納得する。
王の駒が一つ残っているだけで、片方は全滅状態だ。
これは恐らくだが実際の勝負では無く、何らかの攻め方の説明の為にこのような置き方をしているのだろう。ティミー様の陣取り盤の腕前は相当なものだと聞いているから、もしかしたらティミー様がレイルズ様に攻略方法などを解説していたのかもしれない。
まさかこれが本気の勝負を終えた後の盤上だなんて、思いもしない執事だった。
ひとまず陣取り盤はそのままにして、ソファーに山積みになった毛布を上から剥ぎ取っていく。
二人揃って毛布の山に埋もれているという事は、これはシルフ達の悪戯なのだろう。
竜の主は精霊達からとてもとても好かれている。しかし、彼女達の愛し方は少々変わっていて、時折おかしな悪戯を仕掛けて来たりもする。この屋敷の主人も元竜騎士なので、精霊達の悪戯は日常茶飯事だ。この屋敷にいる執事達は皆、その事をよく理解している。
小さく笑ってようやく見えた真っ赤な赤毛のレイルズの無防備な寝顔を見る。
一枚だけ毛布をお腹から胸のところに改めてかけ直して、隣の毛布の山を先に解体する。
無事に二人を救出したところで、手早く毛布を畳んで全て戸棚に戻す。
同じ部屋で執事が動き回っていても、熟睡している二人は全く目を覚ます様子が無い。
毛布の山をひとまず片付けた執事は、黙って陣取り盤を見つめ、とりあえず盤上の駒はそのままに、横に置かれた下げられた駒を先に全て集め、それから盤上の駒も含めた数を数えて全ての駒があるかどうかを確認した。
この見事な細工ものの陣取り盤の駒は、なぜか時折数が足りなくなるのだ。
大抵はソファーの下や椅子の後ろ、あるいは棚の上など、比較的すぐに見つかる場所から発見されるのだ。
しかしこれは主人によると精霊の悪戯らしいので、もう今更驚く者はこの屋敷にはいない。
どうやら今回は、勝手にいなくなった駒は無かったようだ。
密かに安堵のため息を吐いた執事は、専用の磨き布を取り出し、駒を一つ一つ丁寧に拭ってから専用の木箱へ納めていった。
集めた分を全て木箱に納めると、盤の横にそれぞれ置いてから、他を片付けていった。
執事は気づかなかったが、ソファーの背もたれの上ではブルーのシルフとターコイズのシルフが並んで座っていて、部屋を動き回る執事の事をずっと黙って見つめていたのだった。




