守護精霊
『あらあら、妙な気配に起きてみれば。そこにいるのは古竜の主殿じゃないの』
妙に可愛らしい声のその持ち主は、一見するとシルフのように見えた。
しかし、半透明の長い衣をまとった小さな女の人の姿をしているシルフ達と違い、その謎の精霊は見かけは同じ女性のようだがふわりと裾の広がったドレスのようなものを纏っていた。その姿はやや薄茶色の半透明で、シルフ達と大差無いような掌に収まるほどの大きさをしていた。
『それにあっちにいるのも竜の主殿のようね。ああ空石の主殿もいるのね』
湯殿の方を振り返ったその謎の小さな精霊は、嬉しそうにレイの目の前でシルフのようにくるりと一回転してみせた。
『初めまして、古竜の主殿。私はこの屋敷の守護精霊。マルモルよ』
「初めまして。レイルズ・グレアムです。えっと、精霊が名前を持っているなんて初めて聞いたね。その名前は誰かがつけてくれたの?」
ベッドから起き上がったレイは、彼のすぐ目の前を楽しそうに飛び回っている謎の精霊にきちんと名乗ってから話しかけた。
『もちろん! ここを建ててくれた人の子の娘さんがつけてくれたのよ。今は少なくなったけど、建立当時は壁のほとんどが大理石だったの。最初の頃は大理石の館って別名が付いていたからマーブルって呼ばれていたんだけどね。当時、マーブルを守護石にする竜がいたの。だから同じだと申し訳ないでしょう? そう言ったら、彼女が大理石の古い呼び名のマルモルって名前をくれたの。嬉しかった。だから私はマルモルなのよ』
誇らしげに話す、この屋敷の守護精霊なのだというマルモルをレイは驚きの目で見つめた。
「えっとブルー、今の話って……」
『ああ、まあ少々説明不足のようだな』
おかしそうに笑ったブルーは、ふわりと浮き上がってマルモルの隣まで行ってその場に留まる。
『お初にお目にかかる。守護精霊マルモルよ。ラピスラズリだ。我が主殿が一晩世話になる』
『はいな。お任せあれ!』
嬉しそうにそう言い、またくるりと回ったマルモルはレイの鼻の頭にキスをするとそのまま消えてしまった。
「ああ、消えちゃったよ!」
慌てて周りを見回すが、もうその小さな姿はどこにも見当たらない。
無言でブルーのシルフを見ると、ブルーのシルフはおかしくてたまらないとばかりに小さく吹き出してからレイの右肩に戻ってきた。
『あれは本人も言っていた通り、古き建物にごく稀に現れる、文字通り屋敷を守護する精霊だよ。まあ、このオルダムでも守護精霊がいるような建物はそう多くはない。あの皇王が住まう王城と、ここ、それから西の離宮程度だな。だが、離宮の守護精霊は建て替えの際に少々疲れたようでそのまま深き眠りについてしまった。存在は確認しているが無理に起こすのも忍びないかとそのままにしておる。城の守護精霊は、あの皇王の額を飾る赤き石の中でこれもよく眠っておる。国を守る王城の守護精霊が眠っているのは、国が安定して栄えておる証拠だよ』
驚きに声も無いレイを見て、またブルーのシルフがおかしそうに笑う。
『まあ、普通はそのように深く深く眠っていて、人の子達はその存在すら知らぬよ。例えその屋敷の主人が、精霊が見える人であったとしてもな。ここの彼女のように起きて来る方が珍しいのだよ。この屋敷は、あのカーマインの主殿が大切に守っておるから、建物自体は古いが非常に安定している。それで恐らく我らに気付いた彼女も安心して出て来たのだろう。良き事だ』
「へえ、そんな精霊もいるんだね。ああそっか、建物の守護精霊は、本の精霊みたいに古いものに宿る精霊の上位種、いや、古代種って考えればいいのかな?」
感心したようにそう呟いてから手を打ったレイの言葉に、ブルーのシルフは感心したように頷いて笑った。
『其方は上手い事言うのう。まあそう考えて間違いは無かろう。害のあるものではない故、あまり気にせずとも良いさ』
「そうなんだね。不思議だね。ああ、もしかしてアルジェント卿の言ってた、何があるとは言わないけど楽しんで来るといい、って言ってたのは、彼女の事かな?」
『さあ、どうであろうな。だが少なくともカーマインの主が彼女を知っているようには感じられなかったがなあ』
「あれ、そうなの? じゃあまだ何かあるのかな?」
首を傾げるレイを、ブルーは面白そうに眺めている。
「お先でした。レイルズ様!」
その時、やや赤い顔をしたティミーが湯殿から出てきた。
「はあい。それじゃ僕も湯を使わせてもらうね」
笑ってそう言い、先程の事は何も言わずにレイも着替えを持って湯殿へ向かった。
「はあ、ねえゲイル。ここって本当にお化けが出るの?」
ベッドに上がったティミーが、興味津々で天井を見上げながら自分のそばにいるターコイズの使いのシルフに話しかける。
『ほう、そのような話があるのか?』
ターコイズのシルフの隣にブルーのシルフが現れて座る。
「ラピスだね。ええとマシュー達から聞いたんだけど、ここって彼らも何度か泊まった事があるんだけど、夜中に変な音がしたりするんだって」
『変な音とは?』
「ええと、寝てると窓の軋む音が聞こえたり、誰かが廊下を走るみたいな足音がするって言ってた。マシューは足音を聞いた事があるって言ってたよ。だけどお爺さまは、精霊は足音なんか立てないって言って、イタチかネズミでも走ったんだろうって。だけどそんなんじゃ無いってマシューは言ってたよ。だから絶対お化けだよねって話しをしていたの!」
『怖くはないのか? 闇の属性を持ったものかもしれぬぞ?』
からかうようなその言葉に、絶句するティミー。
「ええ、まさか。皇王様がおわすこのオルダムに、そんな事って……ねえ、無いよね!」
すがるようにターコイズのシルフに話しかける。
『これラピスよ』
『我が主殿をからかうでないわ』
苦笑いするターコイズのシルフの言葉に、ティミーが驚いてターコイズのシルフを覗き込む。
『安心なさいティミー』
『そもそも幽霊は闇の眷属の中では最下層のもので』
『それは少々澱んだ箇所ならばこのオルダムでも現れる事自体は無くはない』
泣きそうになるティミーの頬に、ふわりと浮き上がったターコイズのシルフがキスを贈る。
『大丈夫だ』
『それらはいわば影の存在だから現世の者には何も出来ぬよ』
『せいぜいが勘の鋭い者が嫌な気配を感じたり』
『生臭い風を吹かせる程度だ』
「本当?」
『ああ本当だよ』
『我はティミーには嘘は言わぬ』
断言するその言葉に安堵のため息を吐いたティミーは、首を傾げてもう一度ターコイズのシルフを見た。
「あれ? じゃあマシュー達が聞いた足音って何だったのかな? 絶対何かあるって断言してたのに?」
不思議そうに呟いて首を傾げるティミーのすぐ横に、またしてもマルモルが現れて、自分を指差しながら笑って自己主張をしていたのだが、残念ながら反対側を向いていたティミーはマルモルの存在に全く気づいていないのだった。




