新しい攻略本とゲルハルト公爵の言葉
「未熟者ですが、どうかよろしくお願いします!」
ようやく今日の集まりの意味を理解したレイが、嬉しそうにそう言って勢いよく頭を下げる。
「ああ、よろしくな」
部屋にいた皆が笑って口々にそう言って手を振ってくれる。
「はい、よろしくお願いします!」
もう一度そう叫んで、まるで子供みたいに大喜びしているレイを見てマイリーは苦笑いしている。
「俺達は、昨夜からここに泊まって陣取り盤ばかりしてるよ。ここでの時間はきっとレイルズにとっても勉強になるだろうからしっかり見ておくといい」
そう言うマイリーの座ったソファーの前には、駒が散らかった陣取り盤が置かれていてその横にはあの新しい攻略本が何冊も山積みになって置かれていた。
「ああ、その本ってあの新しい攻略本ですよね!」
目を輝かせて手を伸ばすと、レイの横で笑って見ていたアルジェント卿が机に積み上がっていた山の一番上から一冊取って渡してくれる。
「これは今日の参考書だよ。それはそのまま其方に進呈するので持って帰りなさい。マイリーから貰っているかもしれんが、見たい時に手元に無くては攻略本の意味が無いから、また別の場所においておくといい」
にんまりと笑ってそう言うアルジェント卿に、レイは満面の笑みで何度も頷き両手で差し出された本を受け取った。
「ありがとうございます。瑠璃の館の部屋にも置いておきたかったので、実はもう一冊欲しかったんです」
「言ってくれれば何冊でも進呈するよ」
顔を上げたマイリーにそう言われて、レイは慌てて首を振った。
「駄目です。ちゃんと買いますから取り扱っている商会を教えてください」
しかし、その言葉にあちこちから売ってないよと笑う声と共に、自分で買うと宣言するレイに感心したような声が聞こえた。
「気持ちだけ受け取っておくよ。これは元々販売を目的に作った本じゃあないんだ」
驚くレイに、マイリーもソファーのクッションの上に投げ出されていた自分の本を手に取って表紙を開いた。
「元々この本は、倶楽部内での陣取り盤の攻略の参考書にする為に、特徴的な攻め方や、それに対する対策や意見などをまとめて作られた本だからね。会員全員が筆者でもあり編集者でもある自費出版なんだ。販売する事を目的にしていないから商会への委託は行っていないんだ。倶楽部の関係者や知り合いに配るための本なんだよ」
「ええ、絶対売れると思うのに!」
真顔の叫びにまた笑いが起こる。
「まあ、機会があれば販売用に改めてまとめてみてもいいかもな」
肩を竦めたマイリーの言葉に、レイは笑顔で何度も頷いた。
「その時は絶対に買わせていただきます! それで今は何をしてるんですか?」
笑顔でそう尋ねて、そのままマイリーの前に置かれた陣取り盤を見ようとしたレイの肩をアルジェント卿が叩く。
「気持ちは分かるが、まずは食事に致そう。ほらこっちに来なさい」
確かに、もうそろそろ昼食の時間だ。
「ああ、そうだな。それじゃあ行くとするか」
ソファーの手すりに手をついて立ち上がろうとするマイリーに、慌てて駆け寄って手を貸したレイだった。
昼食は広い部屋に用意されていたのだが、レイは唯一の招待客という事で主賓の席に座らされてしまい慌てる一幕もあった。
参加人数は多いが、それほど改まった席では無かったので、時折ニコスのシルフに助けてもらいつつ、何とか食事を終えることが出来た。
「もう、こう言った席にもすっかり慣れたようだね。そうしていると生粋の貴族の若君のようだよ」
デザートのムースを頂いていると、隣に座ったゲルハルト公爵にからかうようにそう言われてしまい、レイは必死になって首を振った。
「とんでもありません。何か粗相をしたらどうしようかと、内心必死になって考えながらいただいているんです」
「全くの無知の状態でここへ来て、一から学んだのなら充分過ぎるくらいに上手く出来ているよ。以前から思っていたんだがね。レイルズはもっと自信を持ちなさい」
ゲルハルト公爵の言葉にあちこちから同意の声が上がる。
「それは我々もいつも言っているのですがね。こればかりはなかなか思う通りにいかぬようですね」
マイリーが、ゲルハルト公爵の言葉を聞いて苦笑いしながらそう言って肩を竦める。
「まあ、性格的な部分もあるのだろうが、人の上に立つ以上そうも言っていられまい。覚えておきなさい。ある程度は嘘でもいいから、自信があるように見せるのも技術のうちだぞ」
最後はゲルハルト公爵のからかうように笑ってそう言われてしまい、困ったように眉を寄せつつも真剣に頷いていたレイだった。
「嘘でもいいから自信があるように見せるのも技術のうちだなんて。そんなのおかしいよ。嘘は駄目だよね」
最後のムースを飲み込んでから、小さな声でそう呟く。
レイの中では、嘘はついてはいけないものであり、何事に対しても誠実であるのが一番だと思っているからだ。
しかし、お皿の横に現れたブルーのシルフは優しく笑って首を振り、言い聞かせるようにレイを見上げて口を開いた。
『何でもかんでも馬鹿正直に話せば良いと言うものでも無かろう?』
「そりゃあそうだけど、やっぱり嘘は駄目だよ」
小さな声で言い返すと、ブルーのシルフはそっと首を振った。
『あの降誕祭の事件があった時に其方の従卒がついてくれた嘘を忘れたか? 世の中には相手を思えばこそつく嘘や、場合によっては絶対につかねばならぬ嘘もあるぞ』
驚くレイに、ブルーのシルフは優しく笑って一度だけ頷いた。
『大丈夫だよ。嘘くらいついたところで其方の何も損なわれはせぬ。誰かの命に関わるものでもない限り、人は嘘をつかれたことなどすぐに忘れるさ』
「そうかなあ。それならいいけど」
眉を寄せて小さな声でそう言って、カナエ草のお茶を飲み干したのだった。
正式に紹介されて以降、ここで知り合った人の数は今までのレイの人生の中で知り合った全ての人の数の何倍にもなっている。
一気に増えた目の前の世界の複雑さと煩雑さに、まだまだ馴染みきれていないレイなのだった。




