老いるという事
「お疲れ様。お茶の用意をしているからね、お菓子もたくさんあるから食べて行ってちょうだい」
ようやく花びらを一枚仕上げ、もう一枚のやりかけてあった部分をお手伝いして仕上げたところで力尽きて大きなため息を吐いた。
「ううん、さすがにこれだけ集中して刺すとちょっと疲れました。肩周りが硬くなってる気がしますね」
苦笑いしながら肩を回すレイを見て、手を止めたサマンサ様が笑いながら同じようにして手首を回した。
「あいたた。まあまあ、さすがに貴方は柔らかいのねえ。私にはその動きは無理だわ」
両腕を真っ直ぐに上にあげて、そのまま後ろに大きく反らせるようにして強張った体を解していると、レイの真似をしたサマンサ様は、腕を上げかけて慌てたようにそう言って腕を下ろした。
「サマンサ様、急に動かすのは逆効果ですよ。どこか痛めたりしませんでしたか?」
慌てて手を止めてサマンサ様を支える。
「ええ、大丈夫よ。はあ、嫌になるわ。歳はとりたくないものね。若い頃はこうやって上と下から腕を回して背中で手を繋げたんだけれどねえ」
笑いながらそう言って、腕を上下から背中側に回して見せる。
しかし残念ながら今では手を繋げるには程遠い状態までしか腕はまわっていない。
「ああ、それなら僕も出来ますよ。ほら」
笑ったレイが、そう言ってサマンサ様に背中を向けて、軽々と背中に腕を回して手を繋いで見せる。
「ええ、すごい! そんな事、出来るかしら?」
それを見ていたティア妃殿下が目を輝かせて腕を背中に回す。
「ううん、ちょっと袖周りがキツくてそこまでは動かせませんわ」
悔しそうにそう言うティア妃殿下は、今日は襟の詰まったドレスを着ているので袖周りにあまり余裕が無い。
「無茶をなさらないでください。筋を違えたら大変ですよ」
慌てたようにレイがそう言い、顔を見合わせて吹き出したのだった。
その後は別の部屋に通されて。華やかなお菓子と一緒に紅茶を頂き、様々な刺繍の見本を見せてもらって過ごした。
サマンサ様は終始ご機嫌でずっとレイを側から離さず、楽しそうに日々の話をする彼を楽しそうに目を細めて見つめて、話を聞きながら何度も嬉しそうに頷いていたのだった。
レイが瑠璃の館でのお披露目会の事を詳しく話し、ラスティからそろそろ肖像画の手配をしようと言われた事を話して真っ赤になる場面もあった。
「まあ、貴方の肖像画なら是非私も欲しいわ」
目を輝かせるサマンサ様の言葉に、これまた真っ赤になったレイは、必死になって顔の前で手を振っていたのだった。
「私が肖像画を初めて描いてもらったのは、いつだったかしらねえ。皇族はそれが当たり前だったから、特に恥ずかしいなんて思わなかったけれど、そうなのね。市井の人達は肖像画なんて描かないのね」
不思議そうにそう言って笑うサマンサ様を見て、レイは驚いたように目を瞬く。
「そっか、貴族の方はそれが当たり前だから恥ずかしいなんて考えないんだ。へえ面白い」
カウリも奥方と一緒の肖像画を描いてもらったけど、まだ恥ずかしくて直視出来ないと言っていた話をしてサマンサ様に笑われたのだった。
「母上、あまりはしゃぎ過ぎるとまたお疲れになりますよ」
お茶のおかわりが無くなる頃、少し口数が少なくなったサマンサ様を見て、マティルダ様がそう言ってサマンサ様の腕をそっと叩いた。
「ああ、そうね。楽しくてすっかりはしゃいでしまったわ。確かに少し疲れたかしら」
軽くため息を吐いて俯くサマンサ様を見て、レイは慌てて横から体を支えた。
真っ直ぐに車椅子に座っていたはずなのに、横を向いてレイと話をしていたせいで体が斜めになって今にも倒れそうになっていたのだ。
「お待ちください」
慌てたように執事が駆け寄って来て車椅子を後ろに引いてくれたので、レイは正面側に回って急に黙り込んだサマンサ様を軽々と抱き上げるようにして椅子に座り直させる。
レイの太い腕とサマンサ様の細い腕は、まるで大人と子供ほどの差があるように見えた。
そしてレイは、抱き上げた時のあまりの軽さに絶句していたのだった。
「ああ、ごめんなさいね。ちょっと疲れたみたい」
目を開いたサマンサ様が誤魔化すようにそう言って笑う。
その童のような笑みを見て、レイは堪らなくなった。
普段、彼の周りにいるのは健康体で命の輝きに満ちている人達ばかりだ。そんな人達を見ていると、自分ももっと頑張ろうと思える。
しかし、老いて細くなったサマンサ様を見ていると、レイは胸が締め付けられるような、胸の中に冷たい風が吹き抜けていくような何とも言えない不思議な気分になった。
「どうか、どうかご無理なさらないでください。退屈なさっているのなら、お呼びくださればいつでも駆けつけます。ですから、お疲れになったのならどうかお休みになってください。そうだ、今度はあのクロスステッチを仕上げて持って来ますので。是非見てください」
「まあまあ嬉しいわ。ありがとうね」
笑って腕を伸ばしてレイの滑らかな頬を撫でる。
「そうね。貴方の言う通りだわ。確かにちょっとはしゃぎすぎて疲れたみたい。無理は駄目ね」
頷いたレイは後ろに控えている先ほど車椅子を引いてくれた執事を見て、それからマティルダ様を見る。
「母上をお部屋で休ませて来てくださるかしら」
レイの無言のお願いの視線に小さく頷いたマティルダ様が、控えている執事を振り返ってそう指示を出す。
「かしこまりました。失礼いたします」
マティルダ様の言葉に深々と一礼した執事は、そう言ってサマンサ様の車椅子をそっと引こうとした。
「ああ、待ってちょうだいな」
しかし、慌てたようなサマンサ様の言葉に執事が手を止める。
「レイルズ、貴方にこれをあげようと思って。受け取ってくれるかしら」
そう言って、先程の大きな裁縫箱の蓋を開けて中から小さな小袋を取り出した。
「これも貴方の剣に取り付けているふさ飾りと同じで、災いを避けてくれるお守りよ。これは貴方に。それからこっちは可愛い貴方の大切な巫女様とニーカに、それからジャスミンとティミーの分もあるの。お願いするから渡してくださるかしら」
ティミーとジャスミンだけでなく、ニーカやクラウディアの分まであると聞いて目を見開く。
「巫女様と仲良くね」
笑ったサマンサ様に、手を取られて小袋を託される。
「かしこまりました。確かにお預かりします。僕が責任を持ってお届けします」
「お願いね」
レイの言葉を聞いて嬉しそうに頷いたサマンサ様は、前屈みになっていたレイの額にそっとキスをくれた。
「貴方に精霊王の守りが常にありますように」
小さな声でそう言ったサマンサ様は、少しだけ後ろを振り返る。
「お願い」
「かしこまりました。失礼いたします」
改めてそう言った執事が、音もなく車椅子を引いてサマンサ様を連れて部屋から出ていく。
「ありがとうね。このところちょっと体調がすぐれなくて気鬱になられていたの。今日は久し振りにあんなに笑う母上を見たわ」
「いつでも駆けつけます。何でもしますのでどうかお大事に」
必死の様子のレイにマティルダ様も笑顔で頷き、そっと頬にキスをくれたのだった。




