僕が刺しました!
「ほら、ここに座ってちょうだい。やり方を教えるからね」
嬉しそうなサマンサ様の言葉に、レイは笑って頷きサマンサ様の横に置かれた椅子に座った。
もちろん、剣は部屋に入った時にいつもの剣立てに置いてきているし、剣帯も外して執事に預けている。
少し考えて、上着を脱いで執事に預けてシャツの袖をまくった。
「よろしくお願いします」
笑顔でそう言ってから、一礼した執事が持って来てくれた自分の裁縫箱を振り返った。
「まあ、綺麗な裁縫箱ね。もしやそれは貴方のなの?」
車椅子から身を乗り出すようにしてレイの裁縫箱を覗き込むサマンサ様を見て、レイは嬉しそうに頷いた。
「はい、これは先日瑠璃の館のお披露目会をした際に、ヴァイデン侯爵家のミレー夫人と、バーナード伯爵家のイプリー夫人のお二人から頂きました。ブルーの鱗みたいなとても綺麗な青が気に入っています。ああそうだ。これ、見てください」
そっと自分の裁縫箱を開けたレイは、作りかけのあのクロスステッチを小箱から取り出して見せた。
見学会の時はまだ途中だったが、あの後時間を作っては少しずつ刺して、竜の部分と枠の部分、それから背景の部分まで、もうほとんど仕上がる寸前まで刺し終わっている。
だけど、図案の横に書かれている竜のたてがみの部分の指示がよく分からなくて、まだたてがみの部分だけは刺していない。これは、今度ミレー夫人に会った時に教えてもらおうと思ってそこで止めているのだ。
「まあまあ、これは貴方が刺したの?」
渡された、細かなクロスステッチを見てサマンサ様の目が見開かれる。その隣で座っていたマティルダ様とティア妃殿下もその言葉に驚いて、今まさに刺し始めようとしていた手を止めてサマンサ様の手元を覗き込んだ。
「はい、刺繍の花束倶楽部の体験会に行かせていただいた時に、それを頂いて刺し始めたんです。時々息抜きを兼ねて頑張って刺していたんですけど、ちょっと説明がよくわからないんです」
困ったようにそう言って眉を寄せつつ箱から取り出した図案を見せる。サマンサ様だけでなく、マティルダ様とティア妃殿下も一緒になってその図案を覗き込んだ。
「ここなんですけれど、たてがみの部分は糸6、って書かれているのはどういう意味なのか解らなくて……」
顔を見合わせた三人は揃ってにっこりと笑って頷き合い、サマンサ様が嬉しそうに口を開いた。
「ではその前に教えてちょうだいな。他の部分はどうやって刺しましたか? 糸はどのようにして取りましたか?」
突然の質問に目を瞬いたレイは、笑顔で小箱の中に入れてあった整理した糸のカードも取り出して見せる。体験会に参加した時よりも少しだけ糸が減っていて、幾つかの束は以前よりも細くなっている。
「えっと、この糸をこんな風にして取り出して長さはこれくらいで切ります。それで、この刺繍糸は細い糸が六本束ねて糸になっているので、ここからこんなふうに一本ずつ、半分の三本を引き抜いてそれを改めて揃えてから針に通して刺すんです」
得意気にそう言って、束から抜き出した糸の先端部分を見せる。
「はいよろしい。じゃあここを見てごらんなさい。なんて書いてありますか?」
小さく笑ってそう言ったサマンサ様の細い指が示す、さっきとは別の説明部分を見る。
そこは最初に刺した竜の本体部分の刺し方が書いてある部分で、改めてよく見れば、糸3、と書かれているのに気が付いた。
「ああ、そっか。こっちが糸3だったんだから、糸6って事は……えっと、そのまま?」
糸3と書かれた部分は、刺繍糸を一本ずつ合計三本引き抜いて使ったのだから、糸6と書かれてあればそのまま使って良いって事なのだろう。
なるほど、ニコスのシルフ達が笑って、これは解るはずだと言った意味が分かった。
「あはは、そっか。ちょっと考えれば分かったのに。えへへ、ありがとうございます。じゃあこれはそのまま太い糸で刺せば良いんですね」
少し恥ずかしそうにそう言って片付けようとすると、サマンサ様に手を押さえられた。
「レイルズ、正解ですが、少し違いますよ」
「えっと……?」
正解なのに違うとはどういう意味なのだろう。よく分からなくて首を傾げていると、サマンサ様は糸の束を通してるカードを手に取った。
「刺繍を刺す際には、必ず一度この糸を解さなければいけないのよ。だから六本どりで刺すのなら、ここから一本ずつ引き抜いて、改めて六本を束ねてから刺すのですよ」
「ええ? わざわざ一本ずつ引き抜いて、また束ねるんですか?」
何とも無駄な事をするように感じてそう言って不思議そうに首を傾げる。
「これを糸の引き揃えと言って、糸のよりを戻す大事な工程なのよ、勝手に省略しては綺麗な仕上がりになりませんよ」
「えっと、大事なことなんですね。わかりました。じゃあそのようにします」
刺繍の名人のサマンサ様がそうおっしゃるのなら、きっとそうしなければいけない理由があるのだろう。そう思って真剣に頷く。
そんなレイを見たサマンサ様は、楽しそうに笑って糸を指差した。
「もしも不思議に思うのなら、別の布に引き揃えた六本どりの糸と、それから束から切ったそのままの糸を使って同じ図案で刺し比べてみると良いわ。きっとわざわざそれをする意味が解りましてよ」
「ああ、そっか。解らない事は検証してみれば良いんですよね。ありがとうございます。今度時間がある時にやってみます」
目を輝かせるレイを見て、サマンサ様だけでなくマティルダ様とティア妃殿下も楽しそうに笑って頷いていた。
それから二人は顔を見合わせて楽しそうに笑い合うと、それぞれ別の箇所に刺繍を刺し始めたのだった。
「どうしますか? 貴方はこのクロスステッチをやってみる?」
手元の小さな刺しかけのクロスステッチを見て、机に置かれた見事な刺繍を見る。
「いえ、これは見ていただこうと思って持って来ただけなんです。これはまた、本部で気分転換の時にするので、よければこちらの刺繍のやり方を教えてください」
そう言って机の上に置かれている大きな枠にはまった見事な刺繍を振り返る。
遠くから見ると、まるでその刺繍部分は絵のように綺麗で繊細だ。クロスステッチとは全く違う、それは花嫁さんの肩掛けの時と同じ技法で刺されているようだ。
それに使われている糸はとても細い一本だけの糸で、気をつけないとうっかりレイの力で引っ張ったら簡単にちぎれてしまいそうだ。
「そうね。それじゃあ教えてあげるからこっちをやってみましょうか」
嬉しそうなサマンサ様の言葉に、レイも頷いてサマンサ様の手元を覗き込んだ。
刺繍の枠に座ったブルーのシルフとニコスのシルフ達は、真剣な顔でサマンサ様の説明を聞くレイを、笑顔でとても楽しそうに眺めていた。
そして開けたままになっているレイの裁縫箱にはシルフ達が集まり、カードに通されている刺繍糸を撫でたり、糸の端をこっそり少しだけ引っ張ってみたり、小さな鞘に収められたハサミにそっと手を触れては大はしゃぎしたりして楽しそうに遊んでいたのだった。




