事務所にて
夕食にはまだ早い時間だったので、レイはそのまま本部の事務所に顔を出した。
「おかえり、刺繍の花束倶楽部の見学はどんな感じだったんだ?」
ちょうど事務所にはルークとマイリーの二人がいて、顔を寄せて書類を見ながら話をしていたところだった。帰ってきたレイに気が付いたルークが笑って振り返る。
「すっごく楽しかったです。それで正式に入会の申し込みをしてきました。ほら、見てください。これ僕が刺したんですよ」
満面の笑みでそう言い、事務所へ入る前にラスティに頼んで裁縫箱から取り出してもらった、あの小箱を取り出して開いて見せる。一番上には、今日刺したばかりの布が入れられていて、竜の模様が見えるように綺麗に畳まれている。
「おお、すっげえ。竜の模様になってる」
感心したようなルークの呟きに、書類を書いていたマイリーも顔を上げて小箱の中を覗き込んだ。
「へえ、これはすごいな。今日行って、もうこれだけ出来たのか」
感心するマイリーに、レイは図案を見せながら簡単な刺し方の説明を嬉々として始めた。
「へえ、意外だなあ。それじゃあ正式に刺繍の花束倶楽部に入会したんだ」
方眼紙に描かれた細やかな刺繍の図案集に興味津々のマイリーに、レイが大喜びで聞いてきたばかりの詳しい説明をするのを横目に見ながら、ルークは感心したようにそう呟いた。
「単に気晴らしになれば良いくらいの気持ちで行かせたんだけど、案外向いてたみたいだなあ。あの様子だと、無理に入会したり、誰かに義理立てて入会したってわけでもなさそうだし。へえ、こりゃあ驚きだ」
机に置かれた小箱の中に入った糸の台紙を見る。
「これも面白いな。へえこんな風にするんだ」
さすがのマイリーやルークも、こういった手工芸方面は全くの素人と言っていい。
嬉々として話すレイの説明を、ルークも面白そうに一緒に聞いていたのだった。
夕食までの時間はルークやマイリーの資料整理を手伝って過ごし、二人やラスティ達と一緒に食堂で食事をした後は、早々に部屋に戻って休む事にした。
そろそろ訓練を再開したと言っても、まだ完全に通常業務に戻ったわけではなく、体に無理をかけない程度に事務作業を再開させている程度で、まだ夜会やお茶会などにはほとんど参加させていない。
「まあもう九の月だからなあ。そろそろ通常勤務に戻していっても良いんじゃないか?」
レイを部屋に戻らせた後、もう少し事務作業をしていたルークは、マイリーの声に書類を書く手を止めた。
「そうですね。例の遠征訓練が月末の予定ですから、ちょっと用心している部分はありますね。万一、また怪我でもされては参加させられませんから」
「成る程。確かにそうだな。じゃあ今月いっぱいは少々自重するとしよう」
「うわあマイリー、また叩きのめす気満々じゃん」
からかうように笑うルークの言葉に、鼻で笑ったマイリーは平然と書類仕事を再開した。
「まあ、さすがに若いから怪我の回復も早いよ。ガンディから聞いたけど、もう骨はほぼくっついているそうだ。打撲の後遺症で痛みがまだ少し残っているようだが、これはもう日にち薬だからなあ」
「ですね。まあ、あまり無理させない程度に昼間のお茶会辺りから再開させる予定です。幾つか良さそうなお誘いが来ているので、どれに行かせるかラスティと検討中です」
「そりゃあご苦労さん。まあお前も無理するなよ」
マイリーの言葉に、今度はルークが鼻で笑ったのだった。
「そういえば、アルジェント卿から連絡があったか?」
「ありましたよ。陣取り盤の件でしょう?」
「おお、どうしてあれほどの逸材の存在を黙ってたんだと、散々文句を言われたぞ」
苦笑いしたマイリーの言葉に、ルークも笑って肩を竦める。
「そりゃあティミーと直接手合わせさせて、目の前で負けるところを見たかったからだなんて言えませんよねえ」
笑ったルークの言葉にマイリーは素知らぬ顔だ。しかし口元が微妙に歪んでいるので、必死で笑うのを堪えているのは一目瞭然だ。
「それで、出来れば近いうちに一度、レイルズとティミーを囲んで陣取り盤の会をやりたいらしいな」
「ええ、俺の方にもそう言って連絡をくださいましたよ。場所はアルジェント卿の屋敷を提供してくださるそうなので、今、対戦相手の何人かに声をかけていただいて、予定を調整中です」
「ああ、アルの屋敷なら人目も避けられるし良いんじゃないか」
「錚々たる顔ぶれが揃いそうですねえ」
呆れたようなその言葉に、マイリーも苦笑いしつつもとても楽しそうだ。
「レイルズは、陣取り盤に関しては、まだまだ成長途中って感じがするなあ。素直過ぎるきらいはあるが、あれはあれで教え甲斐があっていいよ」
「確かに陣取り盤って、その人の性格とか考え方って割と出ますよね。確かにレイルズは素直すぎる」
「まあ、それはこれからに期待ってところだなあ。だけど、狡猾なレイルズって、俺でも想像がつかないよ」
「どうします? あの無邪気な笑顔そのままで、裏でマイリーみたいな事考えてたら」
にんまりと笑ったルークの言葉に、とうとう堪えきれずに吹き出してしまい、誤魔化すように書類で顔を覆って咳き込んでいたマイリーだった。
「よし、鉄仮面を剥いだぞ!」
笑ったルークが嬉しそうに拳を握ってそう言い、まだ笑いのおさまらないマイリーは、降参と言わんばかりに両手を上げていたのだった。




