刺繍の花束倶楽部への入会
「おお、かなり出来上がってきましたね」
レイの手元を覗き込んだガルクールの笑った言葉に、レイも嬉しそうに頷く。
後半は、主にガルクールと話をしつつ手を動かし、時折ミレー夫人や他のご婦人達とも会話を楽しんだレイは、そろそろ終わりに差し掛かる頃には二枚目の翼を綺麗に刺し終えていた。
これで竜の図柄自体はほぼ出来上がりだ。この後は竜のたてがみ部分をまた別の色糸を使ってさし、それから最初に型紙を移した円形の外側部分を刺してから、もう一枚の布と合わせて丸く縫い合わせて、中に綿を入れて飾りに仕上げるのだ。
「ううん、さすがに一度では終わらなかったですね」
裏側で糸の始末をしながらそう呟くと、周囲にいた夫人達が一斉にレイを振り返った。
「えっと……」
急に大注目されて思わず手が止まる。
そんな彼を呆れたように見たミレー夫人がそっとレイの背中を叩いた。
「レイルズ様。今レイルズ様が刺しておられるそれは、決して初心者の方が初めて刺すような図柄ではありませんわ。最初はもっと布目の大きな簡単な図柄を選ぶものです」
そう言って、最初に見せてくれた木箱の中からいくつかの布を取り出して見せてくれる。
それらはかなり目の荒い布で、さすがにこれでは綺麗な柄にはならないと思って最初に却下したものだ。
「ええ、これが初心者の方用なんですか?」
驚くレイに、ミレー夫人だけでなくガルクールまでが笑って頷いている。
「ええ、そうですわ。これくらいならまあ、よほど不器用な方でなければ一度の体験で仕上げまで出来ますわね。今レイルズ様がなさっているその図柄なら、その胴体部分だけでも初心者の方には到底刺せないと思いますね」
目を見開いて自分が刺したそれを見る。
「えっと……」
「いかがですか? このままここに置いておいて、また次回の倶楽部開催の際にお越しいただいても構いませんわ。もちろんこのままお持ち帰りになって、ご自分で仕上げをする事も可能ですけれど」
「ええ、そんなの無理です。あ、でも持って帰ってステッチを刺してくる事は出来ると思います!」
「まあそうですわね。レイルズ様には蒼竜様がついておられますもの。それにガルクール少佐も本部におりますから、いざとなったら教えてもらえますわね」
嬉しそうに頷くレイに、ミレー夫人は笑って小さな小箱を取り出した。
「では、こちらの小箱に刺しかけのそれを入れておくとよろしいですわ。このまま裁縫箱に入る大きさですので、どうぞお持ちください」
蓋の部分に布が張ってあるそれも、裁縫箱と同じくとても綺麗だ。
「良いんですか。ありがとうございます」
嬉しそうにそう言って、刺しかけの布と図案の描かれた紙も一緒に中に入れる。散らかしたままだった色系の束を見てミレー夫人を振り返る。
「えっと、せっかく整理した糸はどうすれば良いですか? このまま箱に戻したらぐちゃぐちゃになってしまいます」
困ったように眉を寄せる彼を見て、ミレー夫人が堪えきれずに横を向いて吹き出す。
「まあまあ、なんてお顔をなさるのかしら。大丈夫ですわ。糸はここに通してください」
やや硬い分厚い紙を渡されて受け取る。
その紙の端には、等間隔にいくつもの穴が開けられている。
「えっと、これはどうやって使うのですか?」
初めて見るその紙を手に、レイは首を傾げている。
「この穴に、順番に先ほど整理した糸を通して留めておくんです。この部分に糸の番号を書いておけば、間違いませんでしょう?」
そう言って、穴の横の空白部分を指差す。
「ああ、なるほど。これで糸を整理するんですね」
刺繍用の糸は、手のひらほどの幅に輪になっているだけで、糸巻きなどには巻かれていない。
細くして輪の端をそのまま穴に通せば、確かにちょうどよく収まるだろう。
万年筆を取り出して番号を確認しながら書いていき、その穴にそれぞれの糸を通しておく。
「へえ、これなら動かしても大丈夫ですね」
嬉しそうなレイの様子に周りの夫人達から笑いが聞こえる。
「使う時は糸の束を穴から抜いて、必要な分を取り出せばまた戻しておくのですよ。散らかすと後が大変ですから、整理はこまめにね」
からかうように言われて、レイも笑って何度も頷くのだった。
「ありがとうございました。ではこれから、よろしくお願いします!」
結局、刺繍が楽しかったレイは、もうその場で入会をお願いして即座に受け入れられ、彼が入会してくれたと聞いた部屋にいた人達全員から大きな拍手をもらったのだった。
「このあとは、別室にてお茶会がございますのよ。美味しいお菓子もたくさんご用意しておりますので、ぜひどうぞお越しくださいませ」
にっこりと笑ったミレー夫人の言葉に、その予定を聞いていなかったレイは目を瞬く。
「えっと……」
隣にいたガルクールを振り返ると、彼も苦笑いしつつ頷いてくれた。
「はい、ここではお茶やお菓子の類は一切禁止ですからね。こう言った手工芸の倶楽部では、作業とお茶会は余程のことが無い限り両方に参加するのが基本ですね。社交会には出ておりませんが、私もこのお茶会には参加しますのでご安心を」
お茶会に参加する男性が自分だけでは無いと知って安堵するレイを見て、ガルクールは堪えきれずに小さく吹き出したのだった。
意外な事に倶楽部のお茶会は、レイが普段参加しているご婦人達のお茶会よりも遥かに大規模で部屋も広く、幾つもの丸い机が並んでいて、皆好きに座っておしゃべりとお茶を楽しんでいた。
しかも、部屋の壁には大小様々な刺繍の作品が飾られていて、好きに見学出来るようになっていたのだ。
最初にお茶とお菓子をミレー夫人やガルクールと一緒に楽しんだレイは、後半はミレー夫人に説明してもらいながら、初めて見る様々な刺繍の作品を目を輝かせて一つ一つ夢中になって見学して回った。
当然、見学していると作者の方が来てさらに詳しい説明をしてくれたので、レイはもう興味津々で目を輝かせて話を聞いていたのだった。
ブルーのシルフとニコスのシルフ達は、そんなレイの様子を半ば呆れたように眺めつつもとても嬉しそうにしていたのだった。
『ふむ、どうやらレイに意外な特技があったようだな』
『主様は手先が器用だからね』
『案外決まった通りに刺す刺繍は』
『手工芸の中でも主様に向いていたみたいだね』
『楽しそう』
『楽しそう』
『ああ、そうだな。とても楽しそうだ。このところ怪我をして以来ずっと大人しくしていたから、良い気晴らしになったようだな』
嬉しそうなブルーの言葉に、ニコスのシルフ達も笑顔で何度も頷いていたのだった。




