思わぬお喋り相手
「よし、片方の翼が出来た」
刺繍をしていた手を止めたレイの呟きに、ミレー夫人が手元を覗き込んで小さく拍手をしてくれた。
「まあまあ、初心者とは思えないですわね。作業も早いし、とても正確に刺せていますね。本当に素晴らしい」
「えへへ。ありがとうございます。どんどん進むからやってて楽しいです」
照れたように笑いつつも、レイも途中まで出来上がった自分が刺した刺繍を見て嬉しそうだ。
今は右側にミレー夫人が、そして左側にはガルクールが座ってくれて、時々レイの手が止まるとさりげなく教えてくれる。
ガルクールとは普段はあまり話をする機会が無かったので、せっかくだから少しでも話がしたくなったレイは、ガルクールが話しかけてくれる度に嬉しそうに質問をしていた。
そんなレイをミレー夫人や周りのご婦人方は、面白そうに横目で見つつも知らん顔をしてくれていたのだった。
「ええ、ガルクールは子爵家の三男なの?」
倶楽部に入っているという事はガルクールも貴族なのだろう。今まで夜会などでは一切会った事が無いので、不思議に思ってそれを聞いたレイは、返ってきた答えに思わず大きな声を出してしまった。
「あ、えっと、申し訳ありません」
急に大きな声を出したレイを、何人もの夫人達が驚いたように顔を上げて見ている。
「あら、仲がよろしいのかと思っておりましたのに、ご存知ありませんでしたか?」
逆に驚いたようにミレー夫人にそう言われて、密かに慌てる。
「えっと、彼の身分の事は初めて聞きました。ガルクールは僕の制服をいつも作ってくれる方なんです。だから採寸や直しの時にはいつも会うんだけど、考えて見たらこんな風にゆっくり服の事以外でお話をするのは初めてだね」
後半はガルクールを振り返って嬉しそうに笑う。
「確かにそうですね。何しろレイルズ様はここへ来られてからとんでもなく背が伸びましたから。何度も仕立て直しをいたしました。当然お体も日々鍛えておられますから、筋肉もしっかりと付いてきております。またそろそろ上着を変えたほうがいいかもしれませんね」
「うう、いつもお世話になってます」
苦笑いするガルクールの答えに、レイは慌てて謝った。
「まあまあ、ではガルクール少佐は竜騎士隊本部付きの被服担当の方だったんですね。それも竜騎士様の制服を作られていた方だったなんて」
ミレー夫人が感心したように言うのを聞いて、レイも嬉しそうに笑って自分の上着を見た。
「いつも凄く着やすい制服を作ってくれるから、本当に感謝してます。でも、ガルクールが言ったみたいに、僕、ここへ来てからものすご〜〜く背が伸びたから、何回制服やシャツを作り直してもらったかなんてもう覚えてないです」
申し訳なさそうなレイの言葉に、ガルクールは小さく笑って何度も頷いていたのだった。
その後は、もう片方の翼の部分を刺しながら、ガルクールの故郷の事や地方貴族について教えてもらった。
「私の実家は先ほど申し上げたように子爵の地位を拝領しておりますが、特に領地に大きな特産物は無く、先祖はかなり苦労したと聞いております。そこでとある先祖が目をつけたのが手工芸でした。土地では綿の栽培を始め、繊維業、つまり糸を作り、出来上がった糸で布を織ったのです。グラス湖の南側に位置していた私の故郷はその豊かな水源も活かして染色にも力を入れました。当然そうなると染色のための材料となる植物の栽培にも力が入ります。また様々な美しい色に染色して仕立てた布はオルダムの貴族の方々から大人気となり、多くの注文をいただくようになりました。おかげで、地方貴族の治める領地の中ではかなり裕福だと言われるくらいの財政状況になりましたね。有り難い事です」
にっこりと笑ったガルクールの説明に、レイも納得して頷く。
それはそのまま、貴族に関する勉強会で教えられた話のうちの一つだ。
オルダム在住の一部の大貴族を除けば、貴族といえども必ずしも裕福と言うわけではない。
特に、人の往来の少ない街道から離れた辺境の地で、領地に大きな特産物が無ければ主に資金面で苦労する地方貴族は案外多いのだ。その為、その土地の産業を支援して少しでも発展するように治められるかは、その地方貴族の裁量に寄る所も大きい。
領地内に大きな森がある場合は林業に、山側の土地ではワイン作りが盛んに行われている。しかし、それらの恩恵のない地域では、元手のかからない手工芸に力を入れる事が多い。
特に手工芸は資源が少ない地域で盛んに行われているものの一つだ。
「へえ、そうなんですね。勉強になります」
ガルクールの話を真剣に聞きつつ、せっせと糸の始末をする。
「じゃあ、その関係でガルクールは服を作るようになったの?」
無邪気な質問にガルクールは苦笑いして首を振る。
「そう思われるのも当然でしょうが残念ながら違いますね。私は三男であった事もあり、成人後は志願して軍人となりました。そして配置されたのがいわゆる被服科。つまり軍内部の制服を作る部署だったんです。まあ、私の出身地を考えての配置であった事は否定しませんが、布や糸に関しての知識はありましたが、縫製、つまり仕立ての知識は皆無でしたから、一から勉強しました。最初の任地はブレンウッドの南西に広がるノットリー地方の街でしたね。国境にも近く、隣国のオルベラートとの交易が盛んだったノットリーの街では、オルベラート産のレース編みや美しい布が多く取引されていて目にする機会も多かったので、とても勉強になりました」
笑いながらそう言って肩を竦めるガルクールから、レイは自分の知らない街の話を目を輝かせて聞いていたのだった。
『おやおや、途中から違う勉強会になっているようだな』
ガルクールと嬉しそうに話をするレイを見て、裁縫箱の取っ手に座ったブルーのシルフは呆れ顔だ。
『でも主様はお喋りしても手が止まらない』
『偉い偉い』
『それに教えた通りに出来てる』
『上出来上出来』
『そうだな。まあ楽しそうにしているのだからよしとしようか』
嬉しそうなニコスのシルフ達の言葉に、ブルーのシルフもそう言って嬉しそうに何度も頷いていたのだった。




