クロスステッチ
「へえ、これはまた花嫁さんの肩掛けの刺繍とは違いますね。面白い」
ようやく始まった刺繍のやり方の説明をミレー夫人から詳しく聞きながら、レイは先程から何度も感心したようにそう呟いている。
周りの女性達も、そんな彼の様子に興味津々だ。
今回、レイが取ったのは古くからある竜の紋章の一つで、丸い盾を表す縁の中に横を向いた竜が大きく翼を広げた意匠になっている。
とは言え、実際の紋章よりもかなり簡略化された図柄になっている。
これは、クロスステッチと呼ばれる技法で刺繍をするのだが、文字通り全てが斜めの十字になるように糸を交差させて様々な色糸を使って図柄を埋め尽くすのだ。
「先ほど印をつけた中心部分から差し始めます。ほら、この部分ですよ」
目の前に置かれた図案は方眼紙と呼ばれる、細かな正方形が並んだ紙で、その正方形の一つ一つが今手に持っている布の縦糸と横糸の交差する部分なのだ。
「たとえば最初の部分は、ここから五個、まずはステッチを刺します。先に右上から左下へ、五つ分のマス目を埋めてから反対の斜めを刺します」
説明を真剣な顔で聞きつつ、手に持った小さな布に教えられた色糸を使って刺し始める。
ニコスのシルフ達が、図案の上とレイの手元に一人ずつ立ち、次に刺す箇所を教えてくれる。彼女達が教えるのをやめたらそこで何かあるので、レイは手を止めて隣で彼の手元を覗き込んでいるミレー夫人を見るのだった。
「まあまあ、とても初心者とは思えませんわ。糸のひきつれも無く、ここまで間違いが無いなんて素晴らしいですわ」
しばらくして、糸が短くなったところで糸始末の仕方を改めて教わり、また次の糸を針に通す。
「ううん、この針に糸を通すのが一番難しいです〜〜!」
刺繍用の糸は柔らかく作られているために糸の先がすぐにほぐれて広がってしまう。
なので手間取って何度もやり直していると、さらに通りにくくなるのだ。
「レイルズ様。ほら、こんなふうに針の先で糸を少しだけ折って、その折った部分を先端にして穴に通せば簡単に通りましてよ」
いとも簡単に針に糸を通して見せた、ミレー夫人の反対側に座っていたイプリー夫人が笑いながらやり方を教えてくれる。
レイはこれも真剣な顔で説明を聞いて、ようやく針に糸が通って刺繍を再開出来たのだった。
「ふう、ちょっと休憩」
かなりの時間を頑張った結果、どうやら竜の胴体部分がほぼ出来上がってきた。
「次は翼の部分を刺すんだね。ええと、糸はこれかな?」
刺繍糸には番号がそれぞれに振ってあり、それを見れば図案のどの部分を指す色なのかがわかる仕組みになっている。
最初に教えられた通りに糸を並べておいたおかげで、それほど混乱する事も無く色糸の交換をする事が出来ている。
教えられた長さで糸を切り、丁寧に針に通す。
図案を何度も確認してマス目の数を真剣に数えながら刺し始めて間も無く、聞き覚えのある声にレイは驚いて顔を上げた。
そこには、いつも竜騎士隊の本部で彼の制服の仕立てを担当してくれている、ガルクールの姿があったのだ。
「ええ! ガルクールも刺繍の花束の倶楽部の会員なの?」
「ええ、レイルズ様こそ、ここで何を……おお、これは素晴らしいですね、クロスステッチですか」
驚いたガルクールが、そう言って近くに駆け寄ってきて、彼が刺しているそれを見てさらに驚きの声を上げる。
「えっと、ミレー夫人にお誘いいただいて、今日は午後から刺繍の花束倶楽部の体験会に来ているんです。それで教えてもらって、これを刺しています」
竜の紋章の図柄を見せると、ガルクールは笑顔で頷いた。
「これは素晴らしいですね。レイルズ様にぴったりの図案ですね。ぜひ綺麗に仕立てて降誕祭のツリーに飾ってください」
「あれ、これはツリーの飾りなの?」
ガルクールの言葉を聞いて驚くレイに、自分が今何を作っていたのか知らなかったのが分かって、また周囲にいた夫人達が笑う。
「はい、そうですよ。これは中に綿を入れて丸く仕立てて紐を付けてツリーの飾りにします。ぜひ仕上げて飾ってくださいね」
なるほど、手のひらほどの大きさのこれが何に使うものなのかようやく分かって笑顔になる。まだまだ刺す部分は沢山あるが、降誕祭までに仕上げるのなら何とかなりそうだ。
「分かりました。じゃあ頑張って本部のツリーに飾ってもらえるように、綺麗に作ってみます」
「レイルズ様、まずは仕上げることを目標になさってください。第一作ですから、少々目が荒くても誰も笑ったり致しませんよ」
笑ったガルクールの言葉にレイも笑顔で頷く。
「分かりました。じゃあ頑張って仕上げてみますね。えっと、あれ、どこまで刺してたっけ?」
うっかり図案を動かしてしまった為、印の棒を置いていた場所が分からなくなってしまって慌てる。
「大丈夫ですよ。そんな時は、分かりやすい部分から数えるといいですよ。ほら、この翼の付け根部分からなら簡単に数えられます」
笑って図案を示しながら教えてくれるガルクールの説明を、レイは目を輝かせて聞いていたのだった。




