新たなる癒しの手
「ええ〜〜〜! どうしたんだよディーディーってば!」
咄嗟に抱きついて来た彼女を抱きしめ返したのはいいものの、腕の中でいきなり号泣されてしまったレイは、驚きに目を見開いて腕の中のクラウディアを慌てたように覗き込んだ。
しかし、答える事も出来ずに子供みたいに泣きじゃくる彼女を見て小さなため息を吐いたレイは、改めて彼女をしっかりと抱きしめた。そして、ゆっくりと彼女の背中を何度も撫でながら静かな声で話しかけた。
「心配かけてごめんなさい。大丈夫だから泣かないで」
「な、泣いて、なん、か、ない!」
縋り付くみたいにして腕の中でしゃくり上げながら真っ赤になって文句を言う彼女を、レイはもう一度抱きしめてからそっと額にキスを贈った。
「ごめんなさい、大丈夫だから泣かないで」
子供をあやすみたいに、ゆっくりとリズムをとりながら体を揺すり、背中をリズム良く軽く叩く。
しばらくしてようやく泣き声は止まったが、クラウディアはレイに縋りついたまま動こうとしない。
「ディーディー、大丈夫?」
動かなくなった彼女を覗き込むみたいにして俯き小さな声で話しかける。
「駄目、全然、大丈夫じゃない、です……」
ごく小さな呟きだったが、残念ながら静まり返った休憩室にいた全員の耳に聞こえてしまった。
遠慮なく最初に吹き出したのはニーカだった。
「ディア、レイルズが困ってるわよ。もう貴女ったら本当にどれだけ彼の事が好きなのよ」
からかうように笑ってそう言うと、遠慮なくクラウディアの背中を力一杯叩いた。
ペチンとなかなかに大きな音がしてマークとキムが遅れて吹き出す。
「痛い!」
悲鳴と同時にクラウディアが頭を上げたのだが、残念ながらそこには彼女を覗き込むようにして屈んでいたレイの顔があった。
ガツン!
これまた豪快な音がして、咄嗟に抱き締めていた手を離したレイが床に沈む。
「ああ、これは死んだかも……」
「うわあ、今の、顎に下から一発見事に決まったな」
口元を押さえて必死になって笑いを堪えていたマークとキムだったが、互いの言葉を聞いて揃ってもう一度吹き出し大爆笑になる。
「ちょっと待って! 二人とも笑い過ぎ!」
床に転がっていたレイが、こちらも顎を押さえて笑いながら立ち上がって文句を言う。
しかし、二人と顔を見合わせた途端にまたしても揃って吹き出してしまう。
「ちょっと、大丈夫?」
こちらも同じく頭を押さえてしゃがみ込んだクラウディアに、必死で笑いを堪えたニーカが駆け寄る。
「ええ、大丈夫。大丈夫だから……ごめんなさい、レイ。貴方こそ、大丈夫? 私、お見舞いに来て、怪我したレイを、倒しちゃったわ……」
「見事な一撃だったもんなあ」
「あれは無理、絶対俺なら気絶してる」
腕を組んだマークとキムが、揃ってうんうんと頷き合いながらそんな事を言ってる。
「うん、割と本気で気が遠くなったかも……」
こちらも腕を組んだレイがしみじみとそう言い、今度は全員揃って大爆笑になったのだった。
「今、念のためハン先生をお呼びしましたので、どうぞ座ってお待ちください」
まだ笑っているレイ達を見たラスティは、苦笑いしながらレイの頷を下から覗き込んだ。
ぶつけた部分は少しだけ赤くなっている程度で、それほど心配は無さそうだ。
当のレイも笑って顎を何度かさすった程度で、平然としている。
それよりも頭をぶつけたクラウディアの方は、まだ頭を撫でながら痛そうにしている。
「大丈夫? コブでも出来た?」
心配そうにニーカがそう言って座ったクラウディアの頭を撫でる。
「コブは出来てないと思うわ。大丈夫よ、ちょっと痛いだけ」
苦笑いしながらそう言いつつも若干涙目になっている彼女を見て、ニーカは笑って深呼吸をすると改めて彼女の頭に手をかざして、堂々とこう言ったのだ。
「痛いの痛いの飛んでけ〜〜」
「ええ、痛いのが引いたわ!」
驚くクラウディアを見て、ニーカは嬉しそうに拳を握った。
「スマイリー、今の見てくれた! 上手くいったわ!」
『凄いねニーカ!』
『少し教えただけで出来ちゃったね!』
目の前に現れたシルフの嬉しそうな言葉に全員が息を飲んだ。
この五人の中では、癒しの術を使えるのはマークとレイの二人だけのはずだ。しかしかなり効果のある癒しの術を使えるマークと違い、レイは癒しの術はあまり得意ではなくて、痛みが少し引いたかな? と思う程度なのだ。
まだまだ、これは成長の余地は残されているとブルーから聞き、時折こっそり練習したりしているくらい難しい術なのだ。
それに今まで、そもそもニーカは癒しの術は使えなかったはずだ。
しかも、クラウディアの様子を見ると、かなりの痛みが引いた事を示している。現に彼女は、何度も先ほどまで押さえていた頭を撫でて不思議そうに首を傾げている。
「あのね、スマイリーが癒しの術をラピスから教わったって聞いてね。それなら私にも教えてってお願いして、夜中にこっそりスマイリーからやり方を教わって練習してたの。だけど実際に人に向かって使ったのは初めてだわ。ねえどうだった?」
嬉々として、クラウディアを覗き込むニーカは平然としている。
「ええ、一気に痛みが引いたわ。凄い、もう全然痛く無いもの」
半ば呆然と呟いた彼女を見て、ニーカは嬉しそうに笑った。
「良かった。私でも役に立てたわ。ありがとうね、スマイリー」
得意気に胸を張るクロサイトの使いのシルフにそっとキスを贈ったニーカは、呆然と自分を見ているレイに駆け寄った。
「ねえ、ちょっと屈んでくれるかしら。立ったままだと全然手が届かないんだけど!」
笑いながら目の前のレイのお腹を指先で軽く突っつく。
「あ、うん」
呆然としつつも素直にかがみかけて、息を止めて胸を押さえる。
「待ってね、座るよ」
「ああ、そっか、ごめんなさい、前屈みは痛いわよね」
慌てて謝り椅子に座ったレイの顎に小さな手を伸ばす。
「痛いの痛いの飛んでけ〜〜〜!」
もう一度高々と宣言した彼女を見て、レイは笑って顎を触った。
「凄い! 本当に痛いのが消えたよ。ねえ、これってブルーと同じくらいの効果があるんじゃない?」
まさかの古竜と同じくらいの効果だと言われてニーカの方が驚きに目を見開く。
『直接掛ける術だからな。効果はシルフを通じてよりも当然高くなる。しかし彼女には驚かされたよ。どうやら癒しの術の使い手としては相当に高い適性があるようだな。ふむ、これは将来が楽しみだ』
感心したようなブルーのシルフの言葉に、聞いていた全員が目を輝かせて拍手をしたのだった。
開いた扉の前では、薬箱を持ったハン先生と彼を呼びに行って一緒に戻ってきた執事が、大喜びしているレイ達を見て、驚きに立ち尽くしていたのだった。
それは、大いなる定めを背負った彼女が、知らずに自分の中にあったもう一つの可能性の扉を開いた瞬間でもあったのだった。




