幸せと不安
「予定外の本読みの会まで開催で、お疲れではありませんか?」
部屋へ戻ったところでラスティに心配そうにそう言われて、振り返ったレイは笑顔ですっかり片付いた部屋を見回した。
「僕は全然疲れてないよ。すっごく楽しかった。始まる前は、正直言うとどうなる事かと思って不安だったけど、皆すっごく良くしてくださってあっという間に終わっちゃいました。ねえアルベルト、屋敷の皆にご苦労様でしたって伝えておいてね。急にお泊まり会になったりして、きっと準備が大変だっただろうからさ」
一瞬、目を瞬いたアルベルトはにっこり笑って深々と一礼した。
「かしこまりました。屋敷の者達にレイルズ様が大変お喜びだったと伝えておきます」
「うん、お願い。ええと、じゃあ夕食まで僕は書斎で本を読んでます」
一礼するアルベルトに手を振って、レイは書斎へ向かった。
「あれ、ここもきれいに片付けられちゃったね」
皆が読んでいた本は、すっかり綺麗に片付けられていて、机の上にはレイが使っていたノートとペンとインク、それから読みかけていた光の精霊魔法に関する古い本が置かれてあった。
「これはそのまま置いてくれてあったや。じゃあ、もう少しだからこれを読んじゃおうっと」
本を抱えてソファーへ移動したレイは、クッションを抱えてそこに本を置くと背もたれにもたれかかて少しだけ体を倒して本を読み始めた。
静かな書斎の机の上では、相手をしてくれなくて拗ねたシルフ達が、置いてあったノートをめくったり閉じたりしてこっそり遊んでいたのだった。
「レイルズ様。夕食の支度が整っております」
ノックの音と共にそう言ってアルベルトが入って来た時、レイはソファーに寝転がって読みかけの本とクッションをお腹の上に乗せたまま熟睡していた。
「おやおや、やはりお疲れだったようですね」
一緒に来ていたラスティが、苦笑いしてそう呟く。
「まあもう少しお休みいただいても問題ありません」
同じく苦笑いしたアルベルトがそう言って一礼して下がる。厨房に、予定変更を知らせるためだ。
「失礼します」
不安定な状態になっていた本をまずは取って机の上に置く。それからクッションも取ろうとしたのだがレイがしっかりと抱きしめているのを見て、小さく笑ったラスティはクッションはそのままにしてその上から夏用の薄毛布をそっと掛けた。
「お疲れ様でしたね。この後も、まだまだ楽しい事がたくさんございますよ」
熟睡しているレイに優しくそう話しかけると、ラスティも一礼して書斎を後にしたのだった。
ソファーの背もたれの上に座ったブルーのシルフは、ラスティが出て行って扉を締めたのを確認すると、静かに癒しの歌を歌い始めた。
静まり返った書斎には、レイの健やかな寝息に寄り添うように、ブルーの歌う癒しの歌が流れていく。呼びもしないのに集まってきた大勢のシルフ達は、本棚や燭台、そして机の上やソファーに座ってうっとりとその優しい歌声に聞き惚れていたのだった。
「ううん……あれ?」
不意に目を覚ましたレイは、ゆっくりと起き上がって部屋を見回した。いつもよりも小さな炎が灯されたランプを見て小さく笑う。
「そっか、途中で寝ちゃったのか。ううん、このソファー寝心地抜群だ、書斎に置くのはちょっと考えものだね」
『居眠りをソファーのせいにするのはどうかと思うぞ』
呆れたようなブルーの声に、レイはたまらず小さく吹き出した。
「あはは、良いじゃない。ここは僕のお家なんだからさ」
笑ったレイの言葉に驚いたように目を瞬いたブルーのシルフは、嬉しそうに大きく頷いた。
『そうだな。ここは其方の家だ。何処で寝ようが、何処で遊ぼうが、何をしようが決めるのは其方だな』
「まだ夢みたいだ。だけど、ここがオルダムの僕のお家なんだね」
『竜騎士隊の兵舎にも部屋はあるがな』
からかうようなその言葉に笑って頷き、レイはまたクッションを抱えて寝転がった。
「もうちょっと季節がよくなったら、ここの庭でも木の上でお昼寝出来る場所が無いか探してみようっと。池のほとりあたりなら、かなり寝心地の良さそうな木が幾つかあったと思うんだよね」
『木に寝心地の良さを求める者は、あまりおらんだろうなあ』
完全に面白がっているブルーの言葉に、レイは笑ってクッションを抱きしめた。
「ええ、そこは僕的には重要なんだけどなあ」
『そうか、ならば気が済むまで探すと良い』
ふわりと浮き上がって寝転んだレイの胸元に立つ。
『しかし、これで一仕事終えたな』
「そうだね。始まるまではどうなる事かって思って不安と心配ばっかりだったけど、終わってみたらあっという間だった。すっごくすっごく楽しかったよ。ねえ、考えてみたら自分の家に誰かを呼ぶなんて、ゴドの村にいた頃以来だよ」
小さな深呼吸をして天井を見上げる。
「今の僕は、本当に幸せだよ。あの頃は、こんなに世界が変わるなんて……考えた事も無かった。ずっと、ずっと母さんと一緒にあの村で暮らして……そりゃあ、冒険者になって世界中を回るとか、護衛の騎士になってお城に勤めるなんてバフィー達と冗談で言ったりした事はあったけど、誰もそんなの本気にしてないって」
天井を見つめたまま、妙に明るい声で喋るレイをブルーのシルフは心配そうに黙って見つめている。
「ずっと、ずっと昨日と同じ明日が続くんだと思っていた。だけど、だけどあの日……突然、全部無くし……」
『レイ!』
思わずレイの言葉を遮るように呼びかけるブルーのシルフを見もせず、レイは天井を見上げたままで小さく首を振る。
「だからさ、今が永遠にあるなんて思っちゃいけない。突然全部また無くすかも……」
はっきりと断言するレイの口を、いきなり飛び上がったブルーのシルフが抑えて止めた。
『それ以上言うで無い。其方の身に不吉な事象を呼び寄せかねぬ』
「こんなのただの戯言だよ」
笑ったレイは、そっとブルーのシルフにキスをしてからゆっくりと起き上がった。
「お腹空いた。えっと、夕食ってどうなってるんだろう?」
気分を変えるように明るくそう言って立ち上がって大きく伸びをしたところで、ノックの音がしてアルベルトが入って来た。
「お目覚めでございますね。夕食のご用意ができておりますが、いかがなさいますか?」
「いただきます! 僕おなかぺこぺこです」
「それは大変ですね。ではどうぞこちらへ」
笑顔で促されて、元気よく返事をしたレイはアルベルトと一緒に書斎を後にしたのだった。
「どうやら順調すぎて少し不安になっておられるようですね」
先程のブルーとの会話を控えの間で聞いていたラスティは、そう呟いて散らかったクッションを片付けながら心配そうにレイが出ていった扉を見ていたのだった。




