アルジェント卿へのお願い
「ああ、負けちゃったよ〜〜!」
笑いながらそう叫んで机に突っ伏すレイと違い、子供達は大喜びで飛び跳ねたり手を叩き合ったりして大はしゃぎだ。
「すごかったですね! シルフ達が手伝ってくれたら途端に押し返せました!」
ライナーの言葉に、他の子達も一斉に目を輝かせて大きく頷く。
「おやおや、シルフ達にまで加勢されてはさすがのレイルズも堪えきれんかったか」
完全に面白がっている様子のアルジェント卿の言葉に、レイは顔を上げて笑顔で肩を竦めた。
「力で負けたって言うよりは、この、指をバラバラに引っ張られてここが痛かったのが一番の敗因って感じですね。僕、割と本気で指がもげるかと思いましたもん」
笑いながらそう言い、わざとらしく痛そうに指と指の間の部分を押さえて泣く振りをして見せる。
「ははは、そういう事か。確かにそれぞれの指を別方向に引っ張られたら、指の股は痛いわなあ」
「本当ですよ。裂けたらどうしてくれるんだってね」
とうとう吹き出したレイの叫びに、聞いていた子供達までが揃って吹き出し大爆笑になった。
「ええ、ごめんなさいレイルズ様。そんなにいたかったですか?」
一番年下のパスカルだけは、レイの説明を聞いて血相を変えて彼の腕に縋った。
「大丈夫だよ。ちょっと大袈裟に言っただけだから。ほら、指は無事で〜〜す」
本気で泣きそうになってるパスカルの目の前で、左手を握ったり開いたりして見せる。
「もう大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「もう痛くないですか?」
「痛くない痛くない」
笑いながら顔の前で手を振るレイの言葉に、パスカルは満面の笑みになった。
「よかったです。痛くなくて」
「ごめんね、びっくりさせちゃって」
笑って謝りながら、レイは違う意味で笑いそうになるのを必死で堪えていたのだ。
「そっか、何となく勢いでこう言ったけど、これも一種の例え話、比喩なんだよね。だけど他の子達には普通に通じていたのに、パスカルには通じなかった」
レイの腕を離して、マシューやフィリスにくっついて笑っているパスカルを見て、とうとう堪えきれずに小さく吹き出してしまう。
「どうなさったんですか?」
急に横を向いて吹き出したレイを見て、ライナーとハーネインが驚いたようにそう尋ねる。
「ええとね、ちょっと思い出しちゃってさ」
手を伸ばしてパスカルのふわふわな髪を撫でてやりながら、レイは自分を指差してもう一度笑った。
「あのね、僕がここへ来た最初の頃って、今みたいにちょっと物事を大袈裟に言ったり、死にそうになった、とか指がもげそうだった、みたいな比喩の表現の聞き分けが全然出来なくて、いつも言葉通りに受取ってしまって竜騎士隊の皆やマークやキムに笑われてたんだ。もちろん彼らは今のはこんな意味だってすぐに詳しく教えてくれたんだけど、納得出来なくていつも文句を言ってまた笑われたりしたんだ。だから今のパスカルの様子を見て、まるであの頃の自分を見てるみたいな気になったんだ。ごめんね、パスカル」
「ああ、成る程。確かにパスカルにはまだちょっと早いですね」
納得する子供達を見て、レイは大きなため息を吐いた。
「そりゃあパスカルの年齢なら、それはまだ当然だろうけどさ。僕がここに来た時って十四才だったんだよね。それって今のライナー達より年上だよね」
「レイルズ様。十四才でそれは、いくら何でもちょっと……」
呆れたようにそう言って言葉を濁すライナー達を見てまたレイが吹き出し、もう一度全員揃っての大爆笑になったのだった。
「あの、実はアルジェント卿にお願いがあるんです!」
ようやく笑いも収まり、応接室のソファーに座ってゆっくりと寛いでいた時、レイが目を輝かせて向かいに座ったアルジェント卿に話しかけた。
「ほう、いかがした? 私にお願いとな?」
不思議そうなアルジェント卿に満面の笑みで頷いたレイは、アルベルトが用意してくれていた陣取り盤をそっと示した。
「相当お強いと聞きました。それで……」
「なんだ。手合わせの希望か? もちろん喜んでお相手するぞ。武術や勉強だけでなく、それもかなり頑張っていると聞いているからな」
嬉々として身を乗り出すアルジェント卿に、レイは慌てて顔の前で手を振った。
「あの、もちろん僕もお願いしたいんですけど、今日はこちらの相手をしていただけないかと……」
苦笑いしながらそう言ってティミーを示す。
「ティミーの相手をか?」
驚くアルジェント卿を見て、レイの方が驚く。
「あれ、もしかして……アルジェント卿はご存知無い?」
小さな声でティミーにそう尋ねると、ティミーは笑いを堪えながら小さく頷く。
「あの、僕、ちょっと陣取り盤には自信があるんです! それで、ロベリオ様から陣取り盤ならアルジェント卿がすっごくお強いって聞いて、一度手合わせしていただきたいなって思ってたんです!」
その無邪気な言葉にアルジェント卿が破顔する。
「何だ、其方もこれを勉強していたのか。いつでも言ってくれれば相手をしてやったのに」
身を乗り出すアルジェント卿を見て、レイが満面の笑みで横に置いていた陣取り盤を机に移動させた。
これは、元々この屋敷に置かれていたかなり古い陣取り盤で、動物の牙を削って作られたのだという緻密な細工が施された駒は綺麗な飴色の輝きを放っていた。
「ほう、これはまた見事な細工だ。色合いも素晴らしい。アンティークとしても価値も高いな」
盤の角にある小さな傷を撫でたアルジェント卿は嬉しそうにそう言って、ティミーに向き直った。
「では、ティミーはここへ。マシュー、すまんが席を代わってくれ」
「はい、お爺様!」
アルジェント卿の斜め横に座っていたマシューが、立ち上がってティミーと席を変わる。
手を叩き合って席を交代したティミーは、目を輝かせて席についた。
「では、よろしくお願いします」
改まって深々と頭を下げたティミーは、嬉々として自分の側の駒を並べ始めた。
そんな彼らを、レイだけでなく少年少女達やイデア夫人、そしてそれぞれの竜の使いのシルフ達までが身を乗り出すようにして陣取り盤を覗き込んでいたのだった。




